ニューリリース

ジャズを歌う

2011.11.23

アルバム / VICL-63813

¥2,400+税

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Victor

FUJIYAMA meets JAZZ!!
国民栄誉賞歌手・藤山一郎は偉大なJAZZシンガーだった!

若き日の藤山一郎が甘く颯爽と歌うポピュラーソング。
ジャズ、映画主題歌、タンゴ、ハワイアン・・・
あくなき音楽への探究心があふれでる鮮烈な作品集!

音楽学校卒業後、20代前半で録音した当時流行のジャズソング。
どこまでもスウィートでモダンなニッポンの真のクルーナー!

01

誰ゆえに?

02

嘆きの街

03

いとしの今宵  

04

君は微笑む

05

公園で

06

おゝどんな・くらら

07

蒼い月

08

ミッキイ・マウスの結婚

09

夢の薔薇

10

想い出の唄

11

僕の失恋

12

メリー・ウィドウ・ワルツ

13

憧れの乙女(ヴィリアの歌)

14

希望の船路(ヴァガボンドの歌)

15

ばらの面影(おやすみウィーン)

16

踊り踊らずに

17

葦の葉笛

18

想い出のギター

19

思い出の星

20

涙のセレナーデ

21

陽気な四人組

22

ラ・ボムバ

23

夜風(告白)

24

恋の花束(奥様お手をどうぞ)

真のクルーナー、藤山一郎

解説:瀬川昌久

 藤山一郎といえば、戦前の「酒は涙か溜息か」や「丘を越えて」に始まり、戦後の「青い山脈」「長崎の鐘」、そのほか数々のヒット曲を放って長く活躍した歌謡曲系流行歌手の大立物であった…というのが、一般の受け取り方だと思う。しかし、彼の音楽歴を仔細に見ると、長いキャリアの中で意外に多くの外国曲、しかもアメリカ映画の主題歌などを歌っているのに驚く。このアルバムは彼のビクター専属時代、1933〜1936年に至る期間に録音されたジャズ調ポピュラーソングのほとんどすべてを収録したもので、従来顧みられることのなかった彼の貴重な足跡を初めて紹介するものとして極めて意義深い上に、非常に優れた歌唱集となっている。
 藤山一郎は、明治44年(1911年)4月8日、東京日本橋に増永丈夫の名で生まれた。慶応義塾幼稚舎に学び、普通部を経て東京音楽学校(現:東京芸術大学)に入学。オペラを学び昭和8年首席で卒業する程の卓越したクラシックの歌唱力を身に付けた。一方大衆歌曲にも興味を抱き、在学中の昭和6 年、コロムビアから古賀政男作曲の「キャンプ小唄」と「酒は涙か溜息か」でデビュー。大ヒットしたため一時は退学処分の噂も出たが、卒業時の公演では「ローエングリン」やベートーベンの「第九」を堂々たるバリトンで絶唱し、絶賛を博した。コロムビアには昭和7年までに36曲を録音したが、その中にもアメリカ映画の主題歌などが数曲含まれている。慶応から上野に学んだ過程が示すように、高い教養と品性、社会性を身に付けた彼が、当時のモダンな音楽文化の象徴であるアメリカのジャズや映画音楽に大きな関心があったのは不思議でない。普通部時代に慶応の先輩で学生ジャズバンドを運営していた財閥御曹司、堤徳三氏と交流。夏は房州勝浦の豪華な堤の別荘に出入りして、宮田東峰のミヤタバンドのリーダー松本伸(偉大なジャズ・サックス奏者)らとも遊び仲間であったから、早くからジャズとも縁があった(藤山は昭和5 年、藤村二郎名でオデオン・レコードにナポリ民謡「美しきスパニョーラ」を堤徳三編曲指揮、慶応ワグネルオーケストラ伴奏で録音している)。
 昭和8 年ビクターに正式入社して、まず吹き込んだのは松平信博作曲のハバネラタンゴ「赤い花」であった。以降ビクターに昭和11年まで在籍して130 数曲に上る流行歌を吹き込んだ。その中には外国民謡、内外の歌曲、タンゴ、ジャズソングの類が相当含まれており、彼は美しく甘いテナーを駆使して、クラシックファンも鑑賞できるような流行歌作りを目指したのである。丁度この頃、レコード会社の洋盤には欧米のジャズやポピュラー歌手の歌が多数含まれ、男性歌手ではルディ・ヴァレーとビング・クロスビーのようなクルーナー歌手の人気が高かった。彼はテナーの発声を広いホールでもよく透るよう工夫して、曲の内容によってソフトな甘い声と高低音を響かせる重厚な声とを使い分ける術を編み出して効果をあげた。
 昭和11年、古賀政男がコロムビアからテイチクに移った時に、強く勧められて藤山もテイチクに移籍。古賀作曲の「東京ラプソディ」を始め数多くのヒットを飛ばすが、その間もアメリカ映画の主題歌を何曲か歌っている。そしてまた、古賀のコロムビア復帰とともに昭和14年コロムビアの専属となり、服部良一の「懐かしのボレロ」でデビューする。昭和15〜17年、戦争がはげしくなるにつれ軍国調の曲が多くなるが、藤山の端正で優雅な声で聞くと余り苦痛を感じないのが不思議だ。この頃は多くの歌手が自分の楽団を結成して、劇場や映画館のアトラクションとして舞台で盛んに歌っていた。藤山一郎も自分のバンドをもって、時として自らアコーディオンを弾いて歌っていた。
 日米開戦後、ジャズが禁止された昭和18 年頃に日劇のステージで藤山一郎とその楽団を聴いた時、「美しき南の島」というバラードをスローなフォービートのリズムで、サックスのアンサンブルをバックに彼がじつに甘く囁くように歌い、まるでガイ・ロムバード楽団でビング・クロスビーが歌っているような気分にさせてくれたのが忘れられない。早速レコードを探したところ、藤浦洸作詞・平川英夫作曲で、戦争激化中の昭和18年2月に発売されたばかりだった。このSPレコードは、戦後長い間探したがなかなか見つからず、やっと最近コロムビアの「藤山一郎全集」に復刻されたので愛聴している。藤山氏とは、彼が戦後得意の英語力と歌唱力を生かして盛んにアメリカ進駐軍クラブで歌っていた時、親しくしていたアメリカ人将校と連れ立って御自宅を訪問し、御夫妻におもてなしを頂いたことがあった。その時この「美しき南の島」の曲のお話をしたら、「自分も好きな曲でした」と云われたことが、心に残っている。

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