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01
ラヴ・キャン・ビー・ソー・ミーン
LOVE CAN BE SO MEAN -
02
フー・ドゥ・ウィ・ケア・フォー?
WHO DO WE CARE FOR? -
03
バイ・カヴァー・オブ・ナイト(ファイア・ファイト)
BY COVER OF NIGHT (FIRE FIGHT) -
04
アイム・オール・レイジ(ライヴ '05)
I'M ALL RAGE (LIVE '05) -
05
アイ・ヘイト・マイ・フレンズ
I HATE MY FRIENDS -
06
(アー・ゼア)ウェイズ・トゥ・カム・ホーム?
(ARE THERE) WAYS TO COME HOME? -
07
ナイアガラ
NIAGARA -
08
(アイ・アム・ライク・ア)リヴァー
(I AM LIKE A) RIVER -
09
ラヴ・イズ・ノット・ア・コンテスト
LOVE IS NOT A CONTEST -
10
アメリカン・ネームズ
AMERICAN NAMES -
11
ミート・ニュー・フレンズ
MEET NEW FRIENDS -
12
レネゲイド・サイレンス(FEAT. ザ・リズム・メソッド)
RENEGADE SILENCE (FEAT. THE RHYTHM METHOD) -
13
マップ・オブ・ザ・ワールド
MAP OF THE WORLD
アルバム1枚で世界に衝撃を与え、アルバム1枚で世界から姿を消したバンド=デス・フロム・アバヴ1979。そのセバスチャン・グレインジャーのソロ・プロジェクト、遂に始動!
■「俺達はリヴィング・ルームにいる象のような存在でありたい」という宣言とインパクトある象鼻男のロゴ、ベースとドラム&ヴォーカルという2人組みというギターレス・コンビであるということの奇抜さ、ダンス・ミュージックを貪欲に取り込んだスタイル、そしてその曲の良さで2004年のデビュー・アルバム「ユー・アー・ア・ウーマン、アイム・ア・マシーン」が地元カナダ、アメリカ、イギリスそしてここ日本でも大きな話題を集めたデス・フロム・アバヴ1979。
■ここ日本でも各方面大絶賛の中デビュー。その直後に行った来日公演で渋谷クラブクアトロをほぼソールドアウトさせ、順調なスタートを切った。そして日本のみならずアメリカ、ヨーロッパでも大きな現象となっていった。翌年にはリミックス・アルバムをリリース。現在シーンで名を馳せるメンツを先取りしたような豪華盤でこれからの活動が世界規模で大きな期待を集めていった。
■しかし残念ながらあっけなくバンドは解散。ベースのジェシーFキーラーはすぐに新しいユニット、MSTRKRFT(マスタークラフト)を結成し、アルバム1枚リリースし、世界中のフロアを揺らし続けていてる。
■そして遂にセバスチャンも始動。彼の音楽はセバスチャン・グレインジャー&ザ・マウンテンという名前で遂に形になることとなった。バンドを思わせる名前だが実際にはバンドではなく、「バンドとしてのアイディアのひとつ」であり、あくまでもソロ・プロジェクトである。ツアーは4ピース・バンドとしてツアーをまわっている。
■デス・フロム・アバヴ1979を彷彿とさせる部分もありながらメロディ重視でストレートな方向に進んでいった音楽性の上に、一聴して彼と分かるヴォーカルがのる。
■アメリカでのリリースは名門インディペンデント・レーベルSADDLE CREEKより