カヒミ・カリィ

Trapeziste  *Trape´ziste

2003.02.21
アルバム / VICL-61070
¥3,190(税込)
Victor

  1. 01

    Tornado(outside)

  2. 02

    Trapeziste

  3. 03

    About The Girls

  4. 04

    Habanera

  5. 05

    Au marche de Saint-Ouen   *marche´

  6. 06

    Lexie

  7. 07

    Sleep

  8. 08

    Tornado(inside)

  9. 09

    Je veux un vieux

  10. 10

    Kinski

アルバム全体が一つの楽曲として成立するコンセプチュアルな世界観。前作から約3年ぶりのオリジナル・アルバム。



「夢の中でまで彼女が囁いている理由」

~カヒミ・カリィの「Trapziste」を巡るあまりに図式的な精神分析~

かなり無防備な作品と言うことが出来るだろう。そして、無防備であることは、戦略的である事よりも力強く、雄弁だ。いつでも。

ここで言う無防備さは、主にフロイト的な意味での強い被分析性。つまり、聞き手が精神分析的に読み解かざる得なくなってしまうような、ある種の強制力の喚起を生む。何せこのアルバムは、夢を媒介として全曲が円環を成す、トータル・アルバムなのである(一聴した瞬間に僕が連想したのは、ちょっと驚くべきことに、ビートルズの「サージャント・ペッパース~」とピンク・フロイドの「狂気」だった。要するに“トータル・アルバム”という古典的なスタイルの作法にかなり忠実である。という事を意味する訳だが。)

先ずは、竜巻によってイメージがもたらされる。と書けば「オズの魔法使い」を連想する方も多いかも知れない。しかし、夢の中のサイケデリックな冒険を経て、故郷の家族愛こそが最高だという、1940年代アメリカ式オプティミスティックな解答に達する少女ドロシーに対し、(それは「信じがたい事に」と書いても良いだろう)34歳のカミヒ・カリィにとって、竜巻とは自分を陵辱し、総てを踏みにじった後、一瞥の憐憫もなく過ぎ去ってしまう強大な力であり、それが男根的な父であることは、彼女が無防備であればあるほど、危ういほど明らかである。

アルバムはこの強大な力の存在の抑圧したまま進んでいく。抑圧は投影や昇華といった加工によってあらゆる少女的な感覚のヴァリエを産みだし、奔放な組曲を形成する(その1曲1曲が、驚くほど様々な趣向を凝らしながらもみな優れてポップである。というのが“トータル・アルバム”の作法であり、その点も忠実に守られている)。そして、途中のうたた寝によって夢の検問が解放されてから再び目覚めると、最後にはその力がとうとう具体的な姿を現す。

それは、竜巻が過ぎ去った後の、水と光に満ちた聖なる荒廃の光景の中に立つ、怪優クラウス・キンスキーに象徴化された、醜悪かつ荘厳な父なる姿なのだ。唐突であり必然であるキンスキーの登場と共にキリスト教的な自然讃美の歌詞は、ポップスのフィールドでは珍しく、一番が繰り返される。ひとつの歌詞がゆっくりと二度復唱されてこのアルバムは終わり、そして冒頭に戻っていく。

この図式を過ぎるといっても良いほどの元型的な、そして極めて個人的ではあるが故に普遍的な父娘の物語をさらけ出す、力強いまでの無防備さは何なのだろうか?この、極めて美しくも斬新な(古くからの彼女のファンは、この完成度の高さと内容の衝撃性に、若干のどよめきを禁じ得ないだろう)、彼女の3年ぶりの、パリに渡って7年目の、そして、彼女が我々の前に姿を現してから11年目の最新作。これを生み出した様々なちからはどこから生まれてきたのだろうか?

そう。結局のところ、彼女は(驚くべき事に)大人になったのである。パリで。
そして、夢の中で少女で居るのである。僕はこのアルバムに関して某雑誌でインタビューする機会を得た。その全長は2時間に及び、とても興味深いセッションになったのだが、その中で彼女はパリでの7年間の生活の中からフリージャズや現代音楽(特に、ミュージック・コンクレート)という、このアルバムに散りばめられた、パリには伝統的に存在しながら、今まで彼女の作品には現れる事がなかった類の手法に彼女が近づいていく過程を、リアルな言葉で語った。そしてついでに言えば、呪術的な黒い塊を持つフリージャズや、知的にも凶暴なピエール・シェフェールのミュージックコンクレートと並び、精神分析もパリ伝統の風物であるのは言うまでもない。

録音こそ東京だが、最早これは、渋谷系フレンチなどではない、フランスの文化に直接コミットしたパリの音楽だ。と言ってしまっても良いのではないかとすら僕は思う。我々は“日本からパリに移住して暮らす憧れの女性”という伝統を、過去、女優や服飾家といったジャンルに持っていたが、彼女はこの作品に於いて、女性の音楽家としてそのセリーの最後列に並ぶ存在に成った。と言っても良いのですらないかと僕は思う。長い黒髪や、黒い瞳、抑圧的とさえ思えるぐらいのピアニッシモの声。彼女のフィギュールは恐くなるぐらい、11年前と何も変わらないのだけれど。そして彼女は、夢の中ですら大きな声を出さないという事実を我々に告白しているのだけれど。


菊地成孔(DCPRG/スパンクハッピー)

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