PROFILE プロフィール

1970年代から現在にいたるまで疑いの余地なく「ハードロック界最高峰のヴォーカリスト」と賞されるヴォーカリストの一人。若くして音楽キャリアをスタートさせていた彼が所属していたバンドが70年代初頭にELFと改名、その時からロニー・ジェイムス・ディオと名乗るようになり、ヴォーカリストに専念していった。

そのELFは1972年にディープ・パープルのベーシスト=ロジャー・グローヴァーのプロデュースによるアルバム「ELF」にてデビュー。3枚のアルバムを残すが、大きなチャートアクションを得ることはなかったが、その後プロデュースを努めたロジャー・グローヴァーを通じてリッチー・ブラックモアと出会う。この時リッチーはディープ・パープルを脱退したばかりで新プロジェクトをスタートさせようとしていた。そこで意気投合したELFのほとんどのメンバーとリッチーによりリッチーの新プロジェクト「レインボウ」が結成されることになった。その後デビュー作「Ritchie Blackmore’s Rainbow」から1978年までの間にロニーは完全にハードロックシンガーとしての地位を確立し、現在においても名演、名曲と賞される作品を発表していった。

しかし78年の「LONG LIVE ROCK N’ ROLL」を持ってレインボウを脱退、その後ブラック・サバスに加入。「HEAVEN AND HELL」と「MOB RULES」というアルバムを残した。特に「HEAVEN AND HELL」アルバムは現在でもハードロック名盤と賞される名作である。順調に見えたブラック・サバスでの活動も1982年にロニーの突然の脱退で終了。

その後ロニーは自分自身のプロジェクトをスタートさせる。彼の名前をとってDIOと名づけられたこのプロジェクトはLAで結成され、おりしものハードロックムーヴメント真っ只中のアメリカで初期作品2枚は100万枚を超える売上を記録した。そのハードロックとしての完成度の高さのみならず、ドラゴンや城というファンタジックな要素やそれをそのままコンサートで体現するシアトリカルなライブも話題となり、アメリカではスタジアムクラスの会場をツアーしてまわった。1985年、ハードロック版「バンド・エイド/USA FOR AFRICA」とも言える「HEAR N’ AID」を提唱、スターが大集結したこのプロジェクトはロニーのペンによる「STARS」をリリースし、その年のハードロック界の大きなニュースとなった。

その後もDIOとして活動を続けていたが、90年代初頭電撃的にブラック・サバスへ復帰。モダンなへヴィネスを追求した「DEHUMANAIZER」アルバムをリリース。それに伴いDIOは解散することになった。しかしそのブラック・サバスへの復活もそのアルバムとツアーで解消。再びDIOを結成し、現在に至る。

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