プロフィール

ボズ・スキャッグズと並んで“ミスターAOR”との愛称を持つボビー・コールドウェル。主に影響を受けたアーティストは、フランク・シナトラ、スティーヴィー・ワンダー、ドナルド・フェイゲン(スティーリー・ダン)とのこと。1951年8月15日ニューヨーク・マンハッタンに生まれ、幼少の頃父親からプレゼントされたギターがきっかけで音楽に目覚め、シナトラ、カウント・ベイシーに始まり、ビートルズなどの数々のポップソングに傾倒した後、22歳の 時にリトル・リチャードのバンドに参加し、1976年「ザ・ハウス・イズ・ロッキン」でデビュー。これがスマッシュ・ヒットとなりアメリカ、カナダ、イギリス、南米等のディスコ、R&B、POPチャートを賑わして上位にランク・インしたものの、ロサンゼルスでの本格的なデビューには繋がらず、本拠地マイアミに戻り暫くは父親の事業を手伝う日を送る。その後母親の勧めでTKレコードへデモ・テープを持ち込んで認められ晴れて契約。そして78年に発表されたデビュー・アルバム『イヴニング・スキャンダル』の時点で、すでにメロディ・メイカーとしての才能を開花。特に、白人でありながら黒人アーティストのごときエモー ショナル・ヴォーカルを繰り出した、「風のシルエット」「スペシャル・トゥ・ミー」「カム・トゥ・ミー」といったナンバーは、高品質なAORとして名高い。ボビーの姿は、当初このファースト・アルバムのシルエットのイラストと、雑誌で見かける、ハットを深くかぶりサングラスをした写真しかなく、黒人なのだろうかとも思わせるソウルフルな声のため、まったく謎の人物だった。しかし、80年に発表されたセカンド・アルバム『ロマンティック・キャット』ののジャケットで、すべてが明らかになった。 本国アメリカでは、このセカンド・アルバムがリリースされた直後にレコード会社(T.K.)が倒産。新人にして2年という長いインターバルを開けた末、満足なプロモーションもできないまま世に出てしまった。82年にシングル「ジャマイカ」を含むサード・アルバム「キャリー・オン」を発表。翌年シングル「シェリー」を含む4枚目『オーガスト・ムーン』発表。このアルバム発表後、表舞台から遠ざかりコンポーザーとして活動。86年にはPETER CETERA & AMY GRANTに提供した<Next Time I Fall>が全米チャート1位に輝き名実ともにコンポーザーとしての地位を確立。87年には市川昆監督作品『竹取物語』(サントラ)へ「ステイ・ウィズ・ミー」を提供。88年、ピーター・セテラ&エイミー・グラントに提供した「ネクスト・タイム・アイ・フォール」の実績が大きく評価され、コンポーザーとしてのオファーが急増。代表作としてはボズ・スキャッグズのカム・バック作『ジ・アザー・ローズ』へ提供した「ハート・オブ・マイン」であろう。そして89年長い沈黙を破っていよいよフロントラインへ動き出す。パーラメントのCF曲として<カム・トゥ・ミー>が起用されリバイバル・ヒット。次いで<ステイ・ウィズ・ミー>も同CFに起用される。そしてオリジナル・アルバム『ハート・オブ・マイン』を発表。90年約1年のインターバルを置いて6作目『ソリッド・グラウンド』発表。ジャジーな新境地を開く。そして2曲の新曲を含む『グレイテスト・ヒッツ』を日本のみで発売。93年には通算7枚目のアルバム『ホエア・イズ・ラヴ』を発表。95年『ソウル・サヴァイヴァー』発売。96年には噂のあったジャズ・テイストのアルバム『ブルー・コンディション』を発表。この年『ビバリーヒルズ高校白書』に「風のシルエット」が使われもした。98年アメリカで初のBEST盤『タイムライン』を発売。日本では7曲差し替えジャケも国内仕様に変更しリリース。99年『カム・レイン・オア・カム・シャイン』をリリース発売。2001年「セイ・マイ・ネーム」を高橋真梨子に提供し、日本盤ベスト『エヴリ・タイム・セイ・マイ・ネーム・ソングマスター』をリリース。2002年竹内まりやのトリビュート企画に参加し、「カムフラージュ」をカバー。2003年には小田和正トリビュートに参加、「君にメリー・クリスマス・メリー・クリスマス」をカバー。2004年最新ベスト盤となる『ボビー・コールドウェル・ザ・ベスト』を発売し、ファースト及びセカンドも紙ジャケットにて復刻。2005年、6年ぶりの新譜となる『パーフェクト・アイランド・ナイツ』をリリース。2010年には自身のジャズ・スタンダード・ナンバーを集めたベスト盤『コンサメイト・オブ・ボビー・コールドウェル』をリリース。そして2012年、約7年ぶりとなるオリジナル・アルバム「ハウス・オブ・カーズ」をリリース。

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