PROFILE プロフィール

ボビー・コールドウェル(本名ロバート・ハンター・コールドウェル)、1951年8月15日、ニューヨークのマンハッタン生まれ。2023年3月14日(日本時間15日)、ニュージャージーのグレート・メドウスの自宅で死去。

6年前の17年に処方された抗生物質の副作用に見舞われ、下半身に影響。18~19年の来日公演では、杖をついたり車椅子を使ったりしてステージに上がったが、パフォーマンスそのものに大きな影響はなく、集まったAORファンを魅了、2020年3月にもジャパン・ツアーを予定していたが、新型コロナにより直前に中止となっており、再来日が望まれていたが、叶わぬものとなってしまった。

ボビーことロバート・ハンター・コールドウェルは、1951年、ニューヨークのマンハッタンに生まれ、両親がオフ・ブロードウェイでショー・ビジネス関連の仕事に就いていたため、幼少の頃から音楽が身近にあった。10歳でギターを弾き始めると、数年後にはあらゆる楽器を演奏できるようになり、ビートルズとフランク・シナトラに夢中になった。その後メンフィスやジャクソンへ移り住み、カトマンドゥというグループに参加してL.A.へ。22歳でリトル・リチャードのバックを務めている。76年、L.A.のローカル・レーベルから初シングル〈The House Is Rockin’〉を発表。その後、両親が住んでいたマイアミへ居を移し、地元TKレコード傘下のCloudsレーベルから本格デビュー。ソウル系FMステーションで〈What You Won’t Do For Love(風のシルエット)〉に火が着き、R&Bチャート6位/全米ポップ・チャート9位の大ヒット。 80年代中盤はソングライターとしての活動に軸足を移し、ピーター・セテラ&エイミー・グラントが歌った〈The Next Time I Fall〉が全米首位、ボズ・スキャッグスに提供した〈Heart Of Mine〉が同35位をマーク。その他、コモドアーズ、シカゴ、アル・ジャロウなど数多くの大物アーティストに楽曲を提供。89年からアーティストとして第一線に復帰し、特に日本で“ミスターAOR”“キング・オブ・AOR”と呼ばれるほどの人気を獲得。ジャパン・ツアーはほぼ年1回のペースで行なわれ、コロナ前の数年は年2回の公演を実施。90年代に入ってから、ファーザーMCやアリーヤ、2パック、モナリザ、タチアナ・アリ、Kool G Rap、エリカ・バドゥらが次々に〈風のシルエット〉をサンプリング。続いて〈My Flame〉をノトーリアス・B.I.G.やエリーシャ・ラヴァーンが、〈Open Your Eyes〉をコモンがネタ使い、サンプルリング・ソースとして、ヒップホップ・シーンの需要が高まり、2015年にヒップホップ世代のグラミー受賞プロデューサー:ジャック・スプラッシュとユニット、クール・アンクルを組みアルバムをリリースしたが、図らずもそれがボビーの遺作となった。

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