アンドレ・ギャニオン
1942年ケベック州北部、カムラスカ地方のサンパコムに生まれる。大家族19人兄弟の末っ子に生まれ、4歳の時に教会で聴いた音楽を家のピアノに背伸びしながら弾いてみせ、家族を驚かせた。母親の手ほどきでピアノを始め、6歳で作曲を始め、コンサートも10歳の時にモーツァルトの作品でデビュー。その後モントリオールの音楽院を経てケベック州政府の奨学金でパリに留学。パリでクラシックの勉強をする一方、ジョルジュ・ムスタキと共演、ロジェ・バディムのもとで初めて音楽映画の仕事に携わる。そしてジジ・ジャンメールのパフォーマンスに強い衝撃を受け、クラシックとポピュラー音楽との架け橋になろうと決心する。
モントリオールに戻ったアンドレはケベックを代表する偉大なシンガー達の伴奏を行いプロフェッショナルとしての基礎を築いていった。
67年モントリオール交響楽団を率いて「モーツァルトの夕べ」を自ら企画しコンサート・ピアニストとしての地位を確立する。
レコード・デビューは68年ロンドンにて。以来26枚のアルバムを発表(内5枚は日本制作)し、まさにクラシックとポピュラー音楽の架け橋となるような独自の音楽を確立して行ったアルバムはカナダのグラミー賞といわれるJuno(ジュノー)賞を5回、Felix賞を8回受賞。
アンドレ・ギャニオンの才能はポップスにも及び75年発表したシングル「Wow」は世界的なヒットとなりビルボードのシングル・チャートに24週にわたりチャート・インした。
79年にはカナダで民間人に与えられる最高の栄誉であるThe Order Canadaを音楽への多大な貢献により叙勲された。
77年カナダ国立バレエ団の為に作曲したバレエ作品「Mad Shadow」は、ニューヨークのメトロポリタン・オペラやロンドンのコベント・ガーデンでも上演された。
アンドレ・ギャニオンは映画音楽にもいくつかの作品を提供している。
Jean Claude Labrecque監督による第21回冬季オリンピック記録映画やDesmond Davis監督の「Night Flight」(78)、Steven Stern監督マイケル・ダクラス主演の「Running」(79)、ジョン・ヒューストン監督の「Phoebia」(80)、ロジェ・バディム監督の「Hot Touch」(81)等。
81年にはレーガン大統領の公式カナダ訪問の際にオッタワで演奏。12月には年の締めとしてペリー・コモのクリスマス・スペシャルに出演、この番組は42カ国で放送された。
83年の夏の休暇中に別荘で彼自身の為に作曲したという作品を率いて13枚目のアルバム「Impressions」をロンドンのアビー・ロード・スタジオにてNational Philharmonic Orchestraと録音し同年12月に発売。このアルバムは印象派のインスピレーションに溢れた素晴らしい九つのバラッドで構成されており、アンドレ・ギャニオンの音楽面での大きな転換を示した(日本でのデビュー・アルバムでもある)。
86年にはバンク―ヴァー・エクスポの開会式で自作のピアノ・コンチェルト"Ocean"を演奏。
88年秋からはケベック州政府の依頼でケベック人の心の誇りである詩人Nelliganをテーマにしたオペラを作曲、翌年オタワ、ケベックシティ、モントリオールで公演され90年のFelix賞の“Show of the Year”を受賞。
95年にはオリジナル・アルバムを発表して20年目を祝い、ジュノー賞を受賞。
96年にはモントリオールの競技場モルソン・センターのオープニングを記念して73名のオーケストラと70名のコーラスを従えてコンサートを行った。
97年からはチェリストを主人公にしたテレビドラマの作曲に入り、クラシックの作曲から始めてサウンドトラックに繋げるという画期的な制作にはいる。テレビではシャルル・デュトワが出演。
日本との関係は、70年大阪万博のカナダ館でのコンサートの為に来日したことから始まった。以来、日本はアンドレがもっとも愛する国となっている。
84年アルバム「インプレッションズ(印象物語)」でデビューし、風景と心情が織り込まれたような美しいメロディ、その沈み込むようなピアニズムと繊細なサウンドは静かにそして深く日本の音楽ファンの心を捉えていった。音楽家、詩人、小説化、プロデューサーからビジネスマン、OLまで自然に広がっていった。テレビドラマにおけるピアノ・ミュージックのメイン・ストリームになると共に最近では200万枚以上の驚異的な売上を上げたヒーリング・コンピレーション・アルバム「feel 1、2」や韓国盤の「image」そして「pure」などに代表的アーティストとして作品が収録されている。
来日コンサートも大阪万博以来20年ぶりに90年から自身のコンサートが始まり、11月サントリー・ホールで秋山和慶の指揮、東京交響楽団とコンサートを行った。以降91、96、97、98、99、2000年と自身のコンサートとして8回目を迎えた。
96年コンサート時には同時期に来日していたクレティエン・カナダ首相はアンドレのためにレセプション・パーティを主催。
日本においても映画、テレビドラマとの音楽制作も多く、91年、Claude Gagnon監督の映画「Pianist(ピアニスト)」の音楽を作曲。奥田瑛二主演のこの映画は日本でも公開された。95年のアルバム「インプレッションズ2」から熱心なアンドレ・ギャニオン・ファンである椎名誠からの依頼で、監督作品「白い馬」のサウンドトラックに「夜風に誘われて」、「プロローグ」の2曲を提供。96年フジテレビ系列のドラマ「Age35、恋しくて」のサウンドトラックを担当。98年フジテレビ系列「甘い結婚」のサウンドトラックを担当。
2000年はスタジオ・ワークとしてはカナダの女性シンガーMarie Denise Pelletierのプロデュースを行い、懐かしいシャンソンをアンドレ・ギャニオン・サウンドで蘇えらせロングセラーを記録している。一方新しい活動としてラジオ・カナダで自身のトーク番組を毎週構成、出演し、知的でユーモア溢れる時間を提供している。
そして2001年の6月末からモントリオールのラジオ・カナダのスタジオで7年振りにオーケストラとのアルバムの制作に入った。83年のアルバム「インプレッションズ」、94年の「インプレッションズ・2」に続くこのアルバムはアンドレ自身が「Histoires Revees(夢のほとり)」と名付け、アンドレ・ギャニオンのピアノを中心にモントリオールのトップクラスによって構成されたオーケストラにソロ・ヴァイオリニスト、バンドネオン、イングリッシュ・ホルン、ガット・ギターなどソリストが参加している。
