BANDA BASSOTTI




Curricolo
Discografia
Notizie
Messaggio
Intervista
Video
top
officialGridalo Forte Records@Victor Entertainment
Curricolo
The BANDA BASSOTTI are:

【オリジナル・メンバー】
Angelo "Sigaro" Conti
 :アンジェロ・"シガロ"・コンティ
ギター/リード・ヴォーカル/コーラス
Gianpaolo "Picchio" Picchiami
 :ジャンパオロ・"ピッキオ"・ピッキアールニ
リード・ヴォーカル/コーラス
Fabio "Scopa" Santarelli
 :ファビオ・"スコーパ"・サンタレッリ
ギター/コーラス
Giuseppe "Peppe" Gugliotta
 :ジュゼッペ・"ペッペ"・ググリオッタ
ドラムス
David Cacchione
 :ダヴィッド・カッチオーネ
マネージャー
Luca Fornasier
 :ルカ・フォルナシエール
ロード・マネージャー

【『アザー・フェイス・オブ・ジ・エンパイア』に参加した盟友達】
Michele Frontino
 :ミケレ・フロンティーノ
ベース
Francesco "Sandokan" Antonozzi
 :フランチェスコ・サンドカン・アントノッツィ
トロンボーン/コーラス
Stefano Cecchi
 :ステファノ・チェッチ
トランペット
Maurizio Gregori
 :マウリージオ・グレゴーリ
サキソフォン/コーラス
Special Guest
Kaki Arkarazo
 :カキ・アルカラゾ/Guitar in "Fino alla Fine"

1981年にローマ近郊にて、ニカラグア、エルサルバドル、パレスチナ、バスクで繰り広げられている人民戦争に対して共感を首唱し始めた仲間のグループによって結成される。このグループは労働団体を結成し、一致団結した率先力を持ち、サンディニスタ民族解放戦線を支持していた。1984年から1987年の間には、建築協同組合のXXV Aprileと共に、学生寮や学校を建設するために3ヶ月間の旅団に参加もした。1987年から1989年にかけて、座り込みやデモ中にその活動を鼓舞するロック・バンドを結成。バンダ・バソッティは他の仲間と共に「Gridalo Forte No fascism!No racism!」(大声で叫べ!反ファシズム!反人種差別主義!)と名づけられたプロジェクトを開始する。それはファシズムや人種偏見に関する証拠書類提出を求めるためのものであった。1990年から1991年にかけての活動としては、1991年5月3日と4日にローマで、同タイトルの反人種差別主義のフェスティヴァルを開催。ヨーロッパの反人種差別主義バンドがコンサートを行い、ビデオを上映し、ミーティングを開いて、このフェスティヴァルに参加した。2年後には、このプロジェクトからGridalo Forte Recordsが発足し、「Balla e Difendi」プロジェクトがスタートした。1991年、インディペンデント・レーベルであるこのGridalo Forte Recordsがプロデュースするこのレコードに、バンドはRed House、Filo da Torcere、AK 47といったローマで活動するバンドと共に参加し、他にもローマの左翼的敵対主義シーンの最も活動的なバンドが参加することとなった。

この活動が成功した後、同レーベルがプロデュースしたバンダ・バソッティのファースト・CD "Figli della stessa rabbia" がリリースされる。このアルバムは音楽ファンや評論家から支持を受け、ローマのみならず、イタリアの国全体、そして国際的にバンドの名を広めることになる。バンドの主義主張を放棄せずとも、バンダ・バソッティはスペイン、特にバスク地方で高い評価を得て、インディペンデントの左翼的バンドと共に数回のコンサートを行う。仲間達と一緒に "Bella Ciao" を制作中に、エルサルバドルでFMNL(エル・サルバドルのゲリラ)を支持するコンサートを開こうというアイデアが浮かび上がる。その国で11年間に亘って続いた内戦が終わり、初の国政選挙が行われた数ヶ月後の1994年3月にそのコンサートが実現化された。FMNLキャンペーンの最終段階でバンダ・バソッティはNegu Gorriakとサンサルバドルにある中心広場で、50,000人の観客を前にして演奏を行い、1週間で4回のパフォーマンスを行った。1995年、バンドはバスク国の山中にあるIZスタジオにて15日間かけて、サウンド・テクニシャンのKaki ArkarazoとNegu Gorriakのギタリストと一緒にGridalo Forte Recordsレーベルのプロデュースで "Avanzo di Cantiere" を録音。 Fermin Muguruzaが "Carabina 30-30" に参加し、このCDは国際的な運営を行っているバスクのレーベル、Esan Ozenkiの支社、Gora Herriak Recordsからバスクやスペインでもリリースされた。このレコードのサポートのため、イタリア国内、ビルバオ、マドリード、バルセロナ、ヴァレンシア、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、サラゴザ、ガステイズ、といったほとんどのスペインの都市でコンサートを行った。

バンダ・バソッティはNegu Gorriak と共に、1995年、Bilbao Gaz Squareで行われた町の祭典で10,000人の観衆を前にしてコンサートを行っている。その後しばらくして、バンドは表現の自由を提唱するHitz Eginのデモに参加し、Negu Gorriakの民間警備隊General Galindoに対する裁判の資金調達のためにコンサートを開く。訴訟対象の曲は "Ustalkerria" であった(この曲で民間警備隊糾弾を行った彼らとその曲をリリースしているレーベルを民間警備隊が告訴した)。15バンドが演奏するそのコンサートには、12,000人もの人々が集まり、200,000,000リラを調達することに成功。バンダ・バソッティ以外は、すべてバスクのバンドで構成され、バンダ・バソッティは他諸国を代表して彼らに共感を示すこととなった。1996年の半ば、バンドはこれまでの活動で消耗し、かつ、働きながら活動を続けることが難しくなり、解散を決める。2001年2月、バンダ・バソッティと同時期に人気が出たNegu Gorriakは、この法的訴訟が終焉し勝訴したことを記念して、以前からバンド・メンバー内で約束となっていたバンド活動復帰(Negu Gorriakも活動を休止中だった)を実行することにする。その時の約束では、バンダ・バソッティもこのバンド復活に参加することとなっていた。そこでバンダ・バソッティは復活、ブラス・セクションを強化することにし、RamicciaのシンガーでありInternational Fermin Muguruza Dub Manifest and Radici nel Cementoのトロンボーン、Sandokanをトロンボーンに、それからMuguruza Dub Manifest and Radici nel Cementoのトランペット奏者であるStefano Cecchiを起用した。バンドは自分たちの曲をアレンジし直し、Bilbaoへ向かった。当初2回の公演予定だったが、チケットの売れ行きが盛況だった(30,000枚)ために3回の公演となった。この機会を利用して、バンドは2001年3月15日と17日にローマでコンサートを開く。最初のコンサートはローマを訪れたオーストリアの右翼代表格ハイデルへの抗議デモで訴えられた人々のために開かれ、2回目のコンサートは9,000人の観客を徴集した社会センター "Villaggio Globale" でのコンサートである。これらのコンサートが成功することで、バンドが新しいエネルギーを獲得し、これからの活動基盤を作ることとなった。その後、活動を続ける間に、イタリアとスペインで人気が沸騰し、2001年5月に2枚組みのライヴ・アルバムをGridalo Forte Recordsよりリリース。"Un altro giorno d’amore"というタイトルがつけられ、Villaggio Globaleで録音され、Euskadi Garate StudioでKaki Arkarazoによりミックスされた。そのビデオは5月17日の模様を収めている。Fermin Muguruzaが自身の最初のバンド、Kortatuの有名な2曲、"La Linea del Frente" と "Zu Trapartu Arte" をそのコンサートで歌っている。その後、"Carabina 30-30" のビデオ撮影を行い、Ramicciaのサクソフォーン演奏者であるMaurizio Gregoriがバンドに参加。2001年の夏は、9月までイタリア、スペイン、バスクとツアーを行い、Manu ChaoやAfrica Uniteなどと共にIndependent Day Festivalに参加を果たす。

バンドは自分たちのアティテュードを守り、パルチザンのWalter Dall’Olmoとその家族を支持するためローマでコンサートを開催し、その後、イタリアとスペインを周り、2001年11月には初めてのツアーを7ヶ所で行い、合計30,000人の観客を集めた。12月には二度目のツアーを行い、この4回のコンサートの観客合計数が7,000人になった。この月に、日本のレーベルのTwo Children Recordsからコンピレーション・アルバムである "Poetry and reality" をリリースしている。

2002年3月、Kaki Arkarzoにより録音されミックスされたニュー・アルバム、"L’altra Faccia dell’Impero" がリリースされた。そのリリースを記念して企画されたツアー「STREET BEAT FESTIVAL」に日本からBRAHMAN、UKからはKing Prawnを呼び寄せ、レーベルメートでもあるSenzaSicuraと4バンドでのツアーをイタリア国内主要4都市で決行、ツアーファイナルとなるローマの「C.S.I.O.A Villaggio Globale」(昨年春ヨーロッパツアーを行ったTHE 3PEACEもここでフェスティバルに参加)には11,000人を超えるオーディエンスが押し寄せ、その影響力を見せつけた。

Copyright(c)2002 Victor Entertainment, Inc. All rights reserved.