Letter of thanks : 富野監督

富野監督とお会いした日から、
あれからいろいろと自分の中で考えていました。

引き出しから分厚い聖書を日夜出しては、少しずつ拾い読みするような感覚に近く、
頭をひねって考えてみたり、気持ちに触れるような一行を見つけて妙に納得するような、
そんな心境でいました。

私にはまだ監督のような「観」で物事を考えられない。 
ですが、この対談で富野監督が落とした言葉は、私の中では簡単に通り抜けていったものではなかったことだけはお伝えしたいです。

監督にお会いした時は、ちょうど私は「機動戦士ガンダム00」の劇場版挿入歌に
取り組んでいた時だったのですが、
それは主人公の「目覚め」、「気づき」の部分という感動的なシーンでありました。
約三分あまりの制約された時間の中でおさまるモノとしての考え方、
任されているストーリーのその部分だけを切り取って、
眺めていたような気がして。そのまま行けば危険な方向に向かっていたと思います。
いえ、自分では広く考えていたつもりでしたが。 作りこんでいく過程の甘さをすごく感じました。

映画としての大きなストーリーの起承転結は、
実はワンシーンごとの多くの「起承転結」に支えられている。
そして、その起承転結の「起」の中に存在する、更なる「起承転結」を
細かくセンシティブに考えなくてはならない。
その上で全体を大きく引いてバランスを観る、その繰り返しの作業なのかと。

一曲の音楽の中にも多くの「起承転結」が実は存在しているように。
サビに存在する言葉が、曲が伝える最も重要な主軸ではないように。

富野監督は想像以上に「観えている」方でした。横にも縦にも広い。
「視野を拡げることができる」と表現した方がいいのでしょうか。
普通なら恐らく、無駄だと捨ててしまっている部分までも拾って観ている。

私たちは両手に収まるものを「全て」と呼んでいるが、
そんな狭いところで勝負してはいけない
改めてそう思いました。

私なりの不十分な解釈で申し訳ないのですが、
種はしっかりと頂きました。
根付くまでに時間はかかるかもしれません。

これからまた仕事や年を重ねるたびに、対談で頂いた言葉が
新しい「気づき」として何度も想い出すことができるように
目の前のことを一万年先の瞳で考えていきたいと思います。

ありがとうございました。

石川智晶

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