大村憲司は、日本の音楽シーンを全速力で駆け抜けた、まさにキラ星のようなギタリストだった。
その歌心あふれるソロ、グルーヴィーなリズム・ワーク、ソングライターとしてのセンスの良さなど、すべてが個性的な、“孤高”の、そして最高のミュージシャンだった。
大村憲司は1949年5月5日、兵庫県神戸市生まれ。
少年時代からギターを習い、関西ではアマチュアの頃から名前の知られたギタリストだった。
71年に渡米してギターを学び、72年に“赤い鳥”のオーディションに合格して上京。本格的にプロとしてのキャリアをスタートさせる。
73年に同グループ脱退後、セッション・ギタリストとして活動を本格的に開始する一方、75年には“バンブー”、76年には“カミーノ”といったグループを結成し、音楽シーンでも注目を集めるようになっていった。
さらに80年にはYMOのワールド・ツアーにも参加し、大きな話題を呼んだ。また彼はソロ・アーティストとしても、78年の『ファースト・ステップ』をはじめとして、『ケンジ・ショック』(79年)、『春がいっぱい』(80年)、『外人天国』(83年)といった素晴らしいリーダー作をリリースし、押しも押されもせぬトップ・ギタリストとなっていった。 その後もセッション・ギタリストとして、坂本龍一、井上陽水、沢田研二、大貫妙子、矢野顕子、吉田美奈子などをはじめとする様々なアーティストのレコーディングやツアーに参加し、またプロデューサーとしても柳ジョージ、山下久美子、大江千里などを手がけるなど、日本のポップス・シーンにはなくてはならない存在として精力的に活動を繰り広げていたが、98年7月に“大村憲司&徳武弘文 with Dr. K Project”名義によるライヴ・アルバム『クロス・エコー』をリリースした後、98年11月18日、持病であった肝臓病の悪化のために帰らぬ人となった。享年49歳。
このCDは、そんな大村憲司の、リーダー・アルバム以外の主要セッションを集めた、まさに“アナザー・サイド・オブ・大村憲司”ともいうべき作品だ。これを聴いて、彼の偉大さをもう一度認識してもらえたら、嬉しい、と思う。
(解説:熊谷美広)