山本恭司は日本が生んだ最高のハード・ロック・ギタリストのひとりだといっていいだろう。
彼は日本にハード・ロックがまだまだ根付いていない70年代中頃から、その天才的なテクニックとセンスで、日本のロック・シーンをリードしてきた。まさにニッポンのハード・ロック・ギターのパイオニアである。
山本恭司は1956年3月23日、島根県松江市生まれ。
高校1年生でバンド“MAD ROCKER”を結成し、地元ではけっこう有名バンドだったという。その後74年にネム音楽院に入学し、75年にBOW WOWを結成。当時彼はまだ19歳だった。BOW WOWのオリジナル・メンバーは山本恭司(g,vo)、斎藤光浩(g,vo)、新美俊宏(ds)、佐野賢二(b)。
76年12月、『吼えろBOW WOW』でデビューを果たす。彼らは当時日本ではまだ珍しかった正当派ハード・ロック・グループとして大きな注目を集め、特に山本恭司の天才的なギター・プレイは、ギター少年の熱い注目を集めていた。その後彼らは78年にはロサンゼルスでライヴを行ない、さらに香港、モントゥルー(スイス)、イギリスなどでライヴを行なうなど、早くから海外にも視線を向けていた。だが83年に斎藤光浩の脱退に伴って大幅なメンバー・チェンジを行ない、グループ名も“VOW WOW”に変えて再スタート。その後も日本のトップ・ハード・ロック・グループとして活躍を続け、またイギリスやアメリカでも高い評価を得て、真のワールドワイド・アーティストへと成長していったのである。
しかし87年に佐野賢二が脱退し、その後ベーシストが定着しなかったこともあって、90年に解散。その後山本恭司は“WILD FLAG”を結成し活動するが、95年に新生BOW WOWを結成、また98年には山本恭司、斎藤光浩、新美俊宏のオリジナル・メンバーによるBOW WOWを再結成し、現在も活動を続けている。
このCDは、BOWWOWの76年のファースト・アルバム『吼えろBOW WOW』から、78年のサード・アルバム『CHARGE』までの3枚のアルバムに収録されていた楽曲をまとめたコンピレーション盤である。彼らの原点を凝縮した、初期BOW WOWのベスト・アルバムであるとともに、ギタリスト山本恭司にスポットを当てた作品でもある。
1975年 山本恭司、斉藤光浩、佐野賢二、新美俊宏の4人により「BOW WOW」を結成。 (解説:熊谷美広)
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