坂本真綾「抱きしめて」Interview

――34枚目のシングル「抱きしめて」がリリースされます。1月2日のライブでも披露されましたが、あらためてこの曲は真綾さんにとってどんな1曲ですか。

この曲はアニメ『火狩りの王』第2シーズンのエンディングテーマとして書き下ろされました。そのアニメのオンエアより前に年明けの1月2日に東京ガーデンシアター公演で演奏して、初めてお客さんたちにフルコーラス聴いていただいたんですけど。今年の元旦には能登半島地震が起こってお正月の華やかな空気が一変し、気持ちがざわざわしているなかでお届けするのが、人の心を優しく包みこんでくれるこの曲で良かったなと思いました。歌詞も<あたりまえだと思いこんでた 全てを今は奇跡のように感じてる>という部分など、誰にとってもすごく実感を伴って聴けるものだったのかもしれなくて。私自身も噛みしめるように歌っていましたし、聴く人の心にも染み込んでいる感覚はありました。公演が終わった夜に、羽田空港で飛行機事故があったニュースを見て、お正月早々でファンの方も遠くから来てくださっていましたから『帰り道は大丈夫だったかな』とか、『石川にお住まいの方はどうしてるかな』とか、すごく心配もしましたし、私たちは東日本大震災のときもツアー中だったことを思い返して。あのときは突発的なことにみんなで対応していくことに追われていましたが、今回はライブは行うけれど、来る人が『こんなときにライブに行って大丈夫かな』とか『もしかしたらまた余震がくるんじゃないか』という心配のあるなかで、それでも来るという選択をしてくれたということは、やっぱり音楽を聴いて気持ちを明るくしたいと思ってくれていたり、このライブで今年1年をスタートさせたいという人がいるということだと思うので。来てくれる人にちゃんと届けることに集中するしかないと思いました。どんなときでもちゃんと日が昇って明日が来るよという歌詞なので、この1年どうなってしまうんだろう、何が起こるんだろうと不安になってしまうときに『抱きしめて』を聴いていただけたらと思います。

――聴いた方からの反響はいかがでしたか。

シングルの表題曲としては割と派手で壮大な曲が多いなかで、『抱きしめて』はストレートな曲だしバラードですので、ファンの方が新鮮に思われたようで『こういうのも待ってました!』という反響も多くいただきました。同じ作品のエンディングでも『まだ遠くにいる』とはこんなに違うのかというくらい世界観が違いますけど、こういう曲も皆さんが好きな世界観だったのかなと感じられて嬉しいです。

――CDジャケットの2つの傘にはどんな意味が込められているのでしょうか。

見る人によってどう受け止めてもらってもいいんです。『これってどういう意味なんだろう』と想像したくなるジャケットであることが大事でした。今回このアイデアを出してくださったアートディレクターさんは『抱きしめて』の世界観に合ういろんなパターンを提案してくれたんですけど。無人のなかで浮かぶ傘というのは一番、『どういう意味だろう?』と受け手が考えちゃう抽象的なもので、一番素敵だったのでこれを選びました。アートディレクターさんやカメラマンさん、私やフライングドッグのスタッフたちも、もしかしたらみんなそれぞれ違う解釈で『このジャケットはこういう意味なんじゃないかな』って多分思ってる、そこがいいなと思ったんです。今回のシングルではデジタル配信用とCD用の2パターンで空の色が違っているので『これは目覚めかけの空かな』なんて、いろいろとイメージしていただければ。傘は雨だけではなく何かから守ってくれるものの象徴にも思えますし、まるで小説の表紙みたいで気に入っています。

――カップリング曲の「Once upon a time」は華やかでジャジーなアレンジが印象的な1曲ですが、こちらはどんな制作でしたか。

作曲はこれまでも何曲か書いていただいているSIRAさんです。大江千里さんが書いてくださった『抱きしめて』はシンプルでしっとりとした曲なので、カップリングはまた違ったタイプの楽曲がいいかなと思っていました。ただ『Once upon a time』はこのタイミングでSIRAさんに書いていただいた曲ではなくて、以前に別の機会にいただいたデモで、いつか歌いたいなと思っていた曲なんです。SIRAさんにどういう発想からこの曲が浮かんだのか聞いてみたところ『真綾さん、こういう曲はどうですか』と私に個人的に手紙を書くような気持ちで書いたそうです。それが確かに私に刺さる曲だったというのも、嬉しかったです。タイアップがあったりすると、テーマに沿って作ることが前提になりますけど、SIRAさんがそうした作品やテーマを抜きにして私をイメージして曲を書いたらこうなるんだというのが面白かったです。

――歌詞にある<魔女>や<摩天楼>といった言葉はこの曲からインスパイアされたものだったんですか。

最初はこういう歌詞を書こうと思って書き始めたわけじゃないんですが、スリリングだけど明るくて楽しいアレンジから、ちょっと昔の、私が初めて訪れた頃のニューヨークをイメージしていきました。いろんな国からいろんな人たちが集まってくる都会の人混みの中で、もしかしたら1人くらい『魔女の宅急便』みたいに魔女がいてもおかしくないよな、なんて妄想から。雑踏感というか、いろんなものがミックスされている曲の雰囲気に都会の風景を思い浮かべたんです。あとはメロディに独特の面白さがあるので、意味よりも無理なく日本語が乗るような語感重視で書いていた部分もあり、感覚で書いていったら、後からそこにストーリーがあったみたいな感じでした。

――作詞をするとき既にこの華やかなアレンジも完成していたんですか。

もともとSIRAさんのデモもかなり完成形に近い形でしたので印象としては大きく変わらないんですけど、山本隆二さんによるアレンジでより一層、ちょっと大人っぽい雰囲気に仕上がっていったんです。その生演奏のレコーディングに立ち会って、ミュージシャンが目の前で演奏している音を聴いているときに歌詞のイメージが湧くことが結構あります。今回の場合だとホーンセクションの音色を聞いているときに都会の喧騒を想い描いたし、佐野(康夫)さんのドラムもいろいろアプローチを試してもらって最終的にたどり着いた景色みたいなものがあって。出来上がった音だけじゃなくて、完成していく過程を一緒に見ることで、自分の書きたいものもだんだんピントが合ってくる。なのでレコーディング現場でパソコンを開いておいて、思いついたら歌詞を書いて、という感じ。何日か後には歌をレコーディングしなきゃいけないというタイミングだったので、ちょっと焦ってたんですけど(笑)。皆さんの演奏を聴いたあと、一晩で歌詞が出来上がりました。何もなかったところにこれだけ物語が生まれるというのは、それだけ受け取るものがあったんだと思います。タイアップもテーマも、本当に何もないところから書く自由度の高さもありましたし、時期的には直前まで他の制作をしていたなかで、ちょっと切り替えて、新しい雰囲気のものを書きたいと思っていた中で生まれたのが『Once upon a time』でした。普段こういう物語性のある歌詞はあんまり書かないので、自分の中では新鮮です。

――確かに何かのアニメ作品のオープニングテーマみたいな、鮮やかな世界観がありますね。

『奥様は魔女』的な、人々に幸せをおすそ分けしている可愛い魔女が主人公のイメージがあります。今ちょうど、FCイベント(『坂本真綾IDS! 20th Anniversary EVENT2024』)でも演奏しています。難しい曲ではありますが、歌っていて心地良いです。

――そして今回のシングルには「抱きしめて-Live 2024 Ver.-」ということで、1月2日の公演のライブ音源が収録されています。ライブの空気感と生の歌声の響きの美しさが入ったテイクで、レコーディング音源とはまた違うものになっていますね。

レコーディングのときはもうちょっと、近い距離の人に歌っている感じだったのかな。『抱きしめて』をライブで何度も歌ううちにあらためて思ったのは、言葉では上手く言えないんだけど、なんか姿形のないものが『窓を開けてごらん』と語りかけてきているような感じがして。ライブでは広い空間で、みんなで共有する音楽として歌っているし、何曲も歌ったあとでその日のライブをまとめるような流れでこの曲を歌うと、レコーディングで何度も歌っていたときよりもイメージしているものが大きくなっちゃうという違いはあります。

――真綾さんご自身が目の前のお客さんの温かさを感じながら歌えていることも大きいんでしょうね。

それもありますね。もうすぐ会場を出て帰っていくお客さんたちが本当に良い1年を歩み出せるように、送り出す気持ちでもあったので。よく年明けのライブでは松任谷由実さんの『A HAPPY NEW YEAR』をカバーで歌わせていただいて、新年の冷たい空気や緊張感を感じさせるあの曲が大好きなんですけど。『抱きしめて』もまっさらな気持ちになるような神聖さもある曲なので、年明けに皆さんに向けて『新しい1年に向かって行ってらっしゃい』みたいな気持ちで歌っていました。私自身、歌いながらだんだん解釈が変わってきたり、『こうかもしれないな』とか『こういうところもあるな』なんて発見が続いています。シンプルな曲だからこそ、後から余白の部分に意味が生まれてくるようなところがあるのかもしれません。でも、自分で言うのもなんですけどシングルの表題曲のライブバージョンがカップリングに入ってくることってなかなかないですよね(笑)。

――確かに珍しいパターンかもしれないですね(笑)。そして初回限定盤にはその年明けのライブの映像作品が付属されます。真綾さんが思う見どころは?

アルバム『記憶の図書館』のツアーということで、ライブで歌うのが初めてだった曲がこの映像にも多く収録されています。アルバムをじっくり聴いていただいている方もライブで聴くとこんな感じなんだと楽しんでもらえたらと思います。新曲たちもライブで何度も歌うたびに違った成長を遂げていくところもあるので、そのあたりも見どころです。

――ライブ映像にはアルバム『記憶の図書館』のツアーで初めての試みだったセルフカバー・コーナーから鈴木みのりさんの「Crosswalk」も収録されています。

ツアーではセルフカバー3曲を用意していたんですが、そのなかの1曲です。1月2日のライブは初回限定盤用の映像収録があるということで失敗しちゃいけないと、私だけじゃなくてバンドのメンバーもどこかそういう意識があったように思います。でも『Crosswalk』を歌ってる時ってカバーだから収録されないでしょと思ってリラックスして歌っていたんですよ。そしたら後で『Crosswalk』が良かったからぜひ入れましょうって言われてびっくりしました。録られてないと思う気楽さって大事なのかもしれないですね。

Text : 上野 三樹