
エセックスに生まれ育つ(曰く「退屈な毎日」だったそうだ)。ベースのジョーとは彼らが4歳のころからの知り合い。彼がまだ幼い頃に両親は離婚、母に引き取られ育てられる。11歳の頃にジョーとセッションを初める。InMeの歌詞はすべて彼が担当。歌詞の内容について質問されると、長い沈黙の後に「あまりにパーソナルなことで、いろんな意味を持っている。だから言葉で説明するのは難しいし、自分でも完全に把握できているとは思えないんだ。」ということらしい。歌うということは「自分の中のものを吐き出していく感じ。それが悪いもののわけがないし、楽しんでいるよ。」とのこと。ジョー曰く「デイヴはシャイだけど情熱的で自分の意見をしっかりと持っているタイプだね。もちろんそれを必要以上に表に出すことはないけどね。」


エセックスに生まれ育つ。デイヴと同じく彼がまだ幼い頃に両親は離婚、母に引き取られ育てられる。音楽に向かって行ったのもデイヴと同じ。11歳の頃にジョーとセッションを初める。デイヴに較べるとよくしゃべる。バンドの「心臓部分」的存在でもある。



デイヴとジョーより1つ年下。彼が12歳の時にバンドに加入した。自らをこのバンドの中では「レイド・バック」しているタイプと評する。現在も家族とエセックスで暮らしている。父はドラマーでその血を受け継いだ。その両親が正式にマネージメントが決定するまではその仕事を代行してくれていた。影響を受けたドラマーはジョン・ボナーム(レッド・ツェッペリン)とキース・ムーン(THE WHO)。「でも決してキースほどクレイジーではないよ。」とは本人。



デイヴ・マクファーソンとジョー・モーガンは4歳の時から知り合いだったが、11歳の時(1996年)に2人でジャム・セッションを始めた。13歳になるころにドラマーのサイモン・テイラーが加入し、今のラインナップとなる。当時は「Drowned」と名乗っていた。その後「InMe」と名前を改めた。当初はあくまで「お楽しみ」の為のバンドであり、趣味にすぎなかった。しかしデイヴとジョーが17歳になる頃までにはいくつかの地元のバンドコンテスト等で優勝していく内にだんだんとバンドに対する意識が真剣なバンド活動へと変わってきた。デモテープを作成、様々なレーベル、マネージメントへ送り続けていった。そして2001年3月ある晩のライブをMusic For NationsのA&Rが偶然目にしたことからバンドはその後半年後にそのMusic For Nationsと契約を結んだ。KERRANG!誌曰く「彼らのデビューアルバムで間違いなく一騒動起きるね。」と言わしめるほど。2002年の7月にUKではシングル「オーヴァードーズ」でデビュー。マネージメントはステレオフォニックスを擁するマネージメントと契約。そしてセカンドシングル「ファイアフライ」を9月にリリースする。そのリリースにあわせて行われた初の全英ヘッドラインツアーは全公演ソールドアウトになった。
そのあまりの急速な注目度の高まりに批判の声も出始めているが、そういった批判に関しても彼らは非常に冷静に受け止めており「もちろんそう言った批判があるのは知っている。例えばバンドが通るべきステップを踏んでない、とかね。まぁ、確かにそうかもしれない。でも考えてみてくれよ、僕達はもう7年もやってるんだよ。僕たちの年齢だけを見ているからそんな発言になってしまうんじゃないかなぁとは思うけど。」とはジョーの発言。
インスパイアされたバンド=ニルヴァーナ、KORN、ピンク・フロイド
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