二千年のお正月が来ると七十才。
人生古希稀なり。おめでとうございます。
昨年十二月八日、兵庫大会の戦友とそのつれあいが集って、靖国神社参拝と忘年会が行われました。又、今年戦後半世紀を過ぎて加西市鶉野に建立された姫路海軍航空隊の平和記念碑に、非常な戦争で亡くなられた在天の御霊とこしえに安かれと参拝。
過去を振り返ると、貴方は小学六年生で郵政省の航空隊の試験を受け、難関を合格。タスキ掛の婦人会の人たちに送って頂き、長崎予備航空隊のきびしい猛訓練に明け暮れ、終戦が一年遅いと生きて帰れなかったでしょう。
又、広島の原爆投下の翌日、休暇で帰姫途中列車が一つ手前で止まり、大勢の犠牲者の痛々しい人々の中をくぐって歩いて帰って来たそうですネ。
今思えば一日早く列車に乗っていたら、現在こうして元気に古希を迎えることは出来なかった。貴方との結婚はもちろん、二人の子どもの姿も見ることも出来ません。
会社を定年退職して、安定所で出逢った戦友との奇遇。あれから家族ぐるみのおつきあいで、有意義に旅行等も共にし、カラオケでセリフ入りの「岸壁の母」を私が歌うと、前途有為な多くの戦友たちが敢然と死地に赴いた姿を思い出して涙ぐむやさしい酒友達の出逢い。今は、お昼まで思い切り畑仕事、ガーデニング、日曜大工等して、お昼からは陶芸、カラオケ、喫茶で一服。私も水墨画、琴と塾を持って、二人とも自分らしさ、案外、贅沢?と充実した日々を送り感謝の毎日です。
私たち、天皇陛下と同じ年に結婚して四十年□□婚式も迎えました。
畳一帖の大きさの台所から新婚家庭を持って、一万三千八百円。贅沢いわなきゃくえるじゃないか。こんな歌がはやってましたネ。
私の給料で扇風機を買ったら終わり。それが今年、念願の我が家のリフォームと息子の家が完成。運気最高潮達成の年でした。
何事にも熱心で器用に私たち家族のためにおしみなく努力して、ここまで安泰に暮らせたのもあなたのお陰と思います。
これからは共に助け合って健やかな日々と素敵な歳を重ねるように頑張りましょう。
一九九九年十二月八日
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