サァ、今日の仕事も終わったかな、「もう一度読み合わせを――」と時計を見る。今までの緊張が少しづつ弛み、心地よい。
この日本橋の筆耕会社に週一回伺う様になって丸六年。何も出来なっかたのに、いろいろと御指導を戴いた。
一、レイアウトは正しく把握して中心線上を曲がらない
一、誤字がない
一、汚れに気をつける
一、一時間の出来上がり枚数など
表彰状、のし袋、封筒の宛名書きの毛筆筆耕で、田を耕す様に毛筆で字を耕すのだと聞く。辞書を片手に根気がいるが、最初の目標の一万枚はクリア出来、三万枚もどうやらかしらと思う。とにかく六十六歳からの手習いで、上達は望むべくもないが好きな仕事であり、解らない字が有る時でも辞書を牽く事が少しも億劫でない。時に知人のお孫さんのご結婚のご依頼があると、もうそんなお年頃になられたかと、心がはずみ打ち合わせの刻が楽しくなる。
七十二歳も過ぎた高齢者ではあるけど、お江戸日本橋に出社する時は、やはり多少の姿形を気にしながら家を出る。昼ともなれば同僚と美味しい食事に歩くことも格別だが、一日が終わって見直しの際、思うような字が書けていない時の苦しさは限りない。
六年も前に家事を退き、やれやれと思ったが暇がありすぎて困った上のシルバーライフである。お仕事をして居る時、自動車の騒音等は全く気にならない。フッと気が抜けて窓越しに青空があるとホッとする。
十一月の半ば頃より年賀状の宛名書き。企業よりの依頼の各自責任枚数を納期に合わせる事は十二月一ぱい忙しい。いろいろなイベント、ダンスコンテストの記名の時は、競技を見せて頂けるのも楽しい。
巻物の様な上申書、弔詞等も専門にされる方も、体力のいる仕事となる。いづれの場所でも緊張の連続であるけれど、左右に居られる同僚も、黙々と筆を運ぶ。
五万枚に目標を持ってゆきたいのだが、体力がどこまでついてゆけるか、まさに「迂まず、弛まず、急がず」にである。
こんな自由な道を歩かしてもらって居る事は暖かい家族の心づもりに他ならない。程よい距離で、あまり干渉せず、時折必要とされる時を心待ちにして、毎朝佛前に「今日も穏やかに過ごさせて戴けます様に」と合掌する時、両親の写真を見ながら、六月に誕生した曾孫を含む二十一人の家族への感謝をこめた、ささやかなラブレターとしたい。
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