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お父さん、お母さんへ
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森田 淳(23歳)学生/カナダ
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元気ですか。淳は元気だよ。毎日少しずつ寒くなっています。最近思うんだけど、空気ってにおいがあるよね。外でおもいきり深呼吸してみると、5年前に一人で公園をぶらぶらしてたことや、来るはずのないバスをボーッと待っていたことや、カゼひいて「お母さん助けてー」と泣きそうになりながら飲んだカモミール茶の味が超まずかったことを思い出します。
五年前淳が日本を発つ時、二人はこれからどうなるって思ってた? 正直いって淳は一年後、いや一週間後に自分がちゃんと生きているんだろうかって不安だったよ。
海外旅行もめずらしい北海道の田舎町から「いつ帰るかわからないけどとりあえず勉強しにカナダ行く」と、十八歳になったばかりの娘に宣言された時、二人はどんなことを考えていたのかな。
淳が高校生の頃は毎日バイトと遊びに忙しくて、ろくに顔をあわせることもなかった。カナダへ長い期間いくきっかけとなった、短期カナダ留学の出発の前日、お母さんはこれもあれも持ってけといろいろだしてくれたね。でも心の中じゃ「うるさいな 」って思っていたし、態度にも出してた。それでも淳のナマイキさに辛抱強く折りたたみカサ持ったら」って言ってくれた瞬間、淳は「うるさい!」って叫んでしまった。お母さん、声もたてずに台所で泣いていた。あの頃大学進学やいろいろ決断をせまられる中、自分のこれからの目的も分からずに、すごくイライラしていたと思う。
そんな、人にあたっていらついている娘に何も言わずに、行っておいでと出してくれた二人にすごく感謝しているの。出発の日の昼すぎ、何もなかったように空港まで送ってくれたお母さんの笑顔は一生忘れません。
帰国後、卒業したらカナダへ戻ると言った時、お父さんは「もう決めたんだろ」の 一言で終わらしちゃった。その一言で終わらすのは、簡単だったと思うけど、その裏には数えきれない心配事が頭をめぐっていたと思うんだ。「めんこい、めんこい」って人一倍甘やかされて育った末娘が何の相談もなく、遠い外国に行くって宣言したとき、二人は何を思ったんだろう。その頃はそんな風に考えられなかったんだけど、今は何となくわかるような気がするの。
自分はなんてラッキーなんだって思うの。何でもトライすることを二人から教わったから。いつも夢見ることも、あきらめないことも教えてくれた。たくさん失敗もしたけど、それをせめずに前向きに生きることも教えてくれた。そして、たくさん淳を愛してくれることで、淳は人を愛することを知りました。人は一人じゃ生きていけないし、人は自分のためだけに生きてるんじゃなくて、自分を愛してくれている多くの人のためにも生きているんだって分かったの。けして楽な五年間じゃなかったけど、言葉が通じて、たよる人がいつもいて、逃げ道がたくさんある日本の社会じゃ分からなかったことがきっと私の中には少しずつ根づいていると思う。
今の私も、これからの私も、お父さんとお母さんという世界最強の応援団がいてくれるから頑張れるの。たくさんのあふれるやさしさと深い愛情で、いつも淳を支えてくれているから。
淳をこの世に生みだしてくれてありがとう。
世界一のラッキーガールにしてくれてありがとう。
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■「世界一のラッキーガール」になったのは、両親の愛と彼女の努力があったに違いな い。「人生最高のラブレター」から、「ごめんなさい」と「ありがとう」のふたつの言葉が聞こえてくる。
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プロデューサー/太田空真(生活デザイン研究所所長)
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