バスは来るのか、来ないのか。
溢れる思いを抱いて、見えないものを追い求めて旅する“ぼく”。
ちょうど昨年の今頃、私は“ぼく”となって、ローマ郊外にいました。
ローマから東へ60km、すべての神々の母フォルトゥーナに捧げられた神殿、ヘレニズム時代のモザイク等で古代史ファンを魅了するパレストリーナは、街の名で称される16世紀の作曲家ジョヴァンニ・ピエルルイジの生誕地です。
“ぼく”の年頃に、私はジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナを知りました。楽譜、資料は乏しく、演奏を聴く機会も無い当時、注文して何ヶ月も待ってやっと届いたレコードを聴く感動、幸せ。あの“ぼく”の気持ちのままにパレストリーナに行きたいと、願ったのでした。
テルミニ駅から列車で30分。ザガローロで下車し、バスに乗り継ぎ30分、とホテルで教えられて出かけた。ギリシャ・ローマ旅行の中の小旅行という気分でした。
ザガローロ駅の近くのバス停で、案内も何も見当たらず、パレストリーナ行きのバスはこのT字路のどちらから来るかも判らないまま、バスを待ちました。しゃがみこんで待っているアラブ女性に訊いてみても、英語は通じない。でもパレストリーナに行くのは、ここで待っていればよさそう。ほっとして、周りの春の木々や草花を眺めたりしながら待ち続けました。
ザガローロ、パレストリーナはカラヴァッジョがローマから逃亡し隠れていた所です。
現在は車でローマから短時間のドライブで着きますが、当時の道のりは遥か遠く険しかったに違いない、とローマで見たカラヴァッジョの祭壇画を思いうかべながら、バスとの根比べでした。
待ちに待ったバスが来て、パレストリーナの街に辿り着きました。聖ペテロが隠者として住んでいた頃と変わっていないと思わせる美しい丘陵の風景、中世の井戸、谷川さんだったらどう表現されるのでしょう。パレストリーナの作品は当時、ローマ、ミラノで盛んに演奏されたとのことで、カラヴァッジョも必ずや耳にしたことでしょう。この遺跡の街を出てローマに行った作曲家、ローマからお尋ね者として追われた画家が潜んだ街、時代を拓いた人々への思いが駆け巡りました。
美しい旋律に導かれて≪白いうた青いうた≫を歌い、谷川さんの詞の世界を訪ね巡るとき、“つばめのように、うみをこえたい”と願った“たびずきな、ばかな子”が越えたのは、海だけではなかったのでした。
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