ぶどうとかたばみ ボスニア・ヘルツェゴビナに
ものがたり文化の会 榎本とく子
「こんな歌が出来ましたから、皆に教えて下さい」研修会の日にお会いすると、新実先生の自筆の楽譜(歌詩が書いてある)と、ピアノとハミングの入ったテープを渡されたものです。
さあ大変!必死で覚えて、黒板やら紙に楽譜や歌詩を書いて準備する。覚えたての歌を何度もリピートする形で皆に教えて大きな声で歌えた時、「いい歌だ」と思った。生れたての歌たちは、ものがたり文化の会の様々な会合の場で谷川さんから紹介された。大人が先だったり、子供達が先の事も。

こんな風に出会った歌をたちまち皆は好きになり、二部合唱曲となった時、この歌の為の合唱団を作りたい旨、相談があり、私は、ウキウキと賛成した。
小3〜大人までの男女で構成する合唱団の誕生。次々に様々の顔を持った歌が生まれ、それを歌う事を皆、楽しんだ。谷川さんは、子供たちの喜ぶ顔を見て益々詩作りを励まれた。子供の誰かがモデルの歌もある。谷川さんからの歌を通してメッセージは、確かに子供の心に、そして大人の胸にしみ込んでいった。賢治さんの言葉ではないが「すきとおった食べ物」の様な歌は、好きも嫌いもなく身になってしまった。全部大好き!そして大切な歌。
「ぶどうとかたばみ」が生まれたての時の研修会の場で谷川さんは、我々に質問された。「ボスニア・ヘルツェゴビナの戦争を終結させるにはどうしたらよいでしょうか?」皆、黙りこみ知恵を絞った。

その時の谷川さんの答は...「戦っている三つの国から一人ずつ連れて来て三人一組にさせるのです。顔見知りの仲良し三人組を沢山つくるのです。異国民であっても知人同志であったら戦いは起こらない。知らないことの恐怖が戦いを起こすのです。」

100曲作るという途中で倒れられましたが、53曲の歌は、どんどん成長している。演奏会でおしゃれになった歌を聴く度に、谷川さんの顔と声を思い出す。

「貴女の営みが実を結びましたね。」生前の声は、今も優しい。

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