板野さん インタビュー(抜粋)

___もう大分前の作品になっちゃうんですけど、ご記憶って結構...
板野: ありますよ。一本目の監督作品なんで思い出もひとしおと言うか、あれで監督やって若いのに白髪だらけになった記憶がありますね。
___1では演出、2で初監督なんですね。
板野: そうです。石黒さんは監督としてベテランなんで、全体を見ようとするじゃないですか。その中で突出してるものとか面白そうなものとかあったら、それは見せ場として生かして、全体でバランスを取ってくれる人だったんですよ。
俺たちはその時は若かったんで、もう自分の好きなことに無我夢中で、ディティールアップとか、こだわりとか凄いあって、で、1で石黒さんを見てバランスを学んでいったっていうか。それで全体をやれる機会があったら良いなと思っていたら石黒さんが2は板野くんやんないかと言ってくれて。しかも1の流れをそのまま使うよりも、2は好きなようにやって良いよっておっしゃって下さった。
自分はすでにパート1の時にはガンダムの頃からやっている突出した原画マンなり、突出した演出ていうところのスペシャリストだったんで、パート2では全体を見切る技量、一本通してどれだけ自分が監督としてやっていけるのかつていうところの初挑戦だったんです。それで、キャラクターデザイン・作画監督に梅津さんをと。当時は俺がアニメーターとして画力があって芝居ができるっていうことで、梅津さんが好きだったんです。いっぽうで、平野さんと話してた時に、俺監督やるんだけどって言ったら平野さんも自分の監督作品があると。じゃキャラだけ作ってもらってもあれだし、俺どうしてもリアル嗜好なんで、キャラ変えちゃっていいかなって話で。
賛否はあったんです。スポンサーも反対したんですよ。でも、自分が任されて監督やるんだったら、こういうキャラでメガゾーンをリアルにしたいと、もっともっと1の世界観とは変えたいんだと。それまでそういうスタイルってあんまりなかったんですよ。
___PART2は描き込みがすごいですね。
板野: あの美樹本さんもイヴで頑張ってるから梅津さんも張り合って、梅津さんのキャラに合わせるためにこっちも一生懸命メカを1よりもリアルにしてどんどん大変になっていって。今だったらCGでやりゃいいのに、当時はみんな手書きですからね。梅津さんがキャラクターをリアルにして頑張れば頑張る程、メカがついていけなくて結構大変だったんですよ。
メカ作監だけでも大変だったんですけど、それでも絵を描いてるときはバイク乗ってる時みたいに何も考えないで、ひたすらいい絵を描き込もうって頑張れるんですけど、それ以外の仕事で大変だったのが凄く印象深いですね。自分の中では結構社会派なんでメッセージもちゃんと伝わるようにと。
___2に関しては特にここはって部分は?
板野: 今も当時も同じでやっぱり若い人が迷ってるんですよ、何やったらいいかとか、自分の表現力をどうしたらいいのかとか、やりようのない怒りや力。メガゾーン2でやりたかったのは若い人達が、バカでも何でもいいけど、なんか目標があって、集まって精一杯生きてると、何かそれだけで人間て輝いてるんじゃないかって...
今の若い人達はニュース見てても警察もダメ、政治もダメ、病院もダメ、どこもかしこもダメ。なんかその辺でダメダメで、努力もしないで全部ダメだからって頭の中だけで考えちゃって、行動もしない。たとえ結果がダメでも...省吾たちもダメだったんですよ。イヴに選ばれなかったんですよね、最終的には試験には落ちたんだけども、落ちて、あ落ちちゃったでどうでもいいやって人間になっちゃうか、落ちたけど精一杯やったから悔いはないや思えるかってところで、それを最後まで見てたイヴがそこだけ助けてくれた。
その辺なんですよね。その時代、自分がメガゾーンの監督やってて、関係者の大人がみんなクソで道標がなかったんですよ。やっぱりサラリーマンだったり、他人事だったり、その辺しか見えなかったりして。二十代半ばくらいの若造としてはその時の道標になりそうな大人ってのが外にはいて、自分の仕事ではそんなに関わってないんですが、大塚康夫さんとかアニメ関係としては石黒さんや富野さん、作画では安彦良和さんととか、ガンダム、その後のイデオンの湖川友謙さんとか、いい道標があったんですよ。
それで、1、2に出てくるB・Dってやつが1では結構悪い大人だったんですけど、2では最終的には大人の中の一つの道標…大人の中でも腐ったものを利用しながらいい方向に導こうとしているやつもいるんだと。それが若い人達の道標になってくれればなと。その辺を一生懸命描いたんですよ。それが当時の若い人に伝わってくれたのかな、人気が出たってのは。
___作品の隅々まで板野さんのカラーで統一されてきていたわけですね。
板野: そう、で、どうしても制作会社と折り合いが合わなくて板野生意気だっていわれて。作品にもスポンサーにも企画や制作会社にもガンとばしながらやってたんです。
___板野さんは過去のどういった作品に影響されたんですか。
板野: やっぱり小学校時代の、旧ルパン三世ですよね。宇宙戦艦ヤマトもギリギリ見てましたね。でもやっぱり一番はルパンですよね、あれ子供向けじゃないじゃないですか。小学校で見てても、峰不二子みてて興奮しましたからね。いやらしくて色っぽくて、大人の女ってみんなああなのかなって。わくわくしてましたからね、早く毛生えてこないかなって(笑)。
でも俺達にはあれはくだらない子供のアニメではなくて、まるでヨーロッパの映画に見えたんですよ。アメリカ映画じゃなくて。西部劇じゃなくて、ジョン・ウェインじゃなくて、マカロニウエスタンでもないんですよね。映画も好きだったんですよ。クリント・イーストウッドのマカロニウエスタンとかが好きで見ていたら、原作が黒沢明だっていうんで、で黒澤も見るようになったんですけど。
それからガキの頃はやっぱ特撮ですよね。仮面ライダーとか。そういうのとか、笑いながら楽しんで仮面ノリダーみたいな感覚で見ていたのがキカイダーですかね。それで自分たちもバイクにロケット花火つけて走って遊んだりして。そこに板野サーカスの基本があるんですよ(笑)。
___それであの独特の芸風が生まれたんですか(笑)。
板野: 友達が自動車クラブとか八ミリ同好会とか作ってて、もうそっちが面白くてそつちばっかりやってたんですよ。で追試追試で卒業できたんです。そんな経験をもとに絵を描いてたんですが、映画の戦闘シーンや、ニュースで望遠カメラで遠くから撮ったミサイルの映像とかは説明的にこのミサイルがこの飛行機に当たりますよっていう具体説明ばっかりだったんで、もっとカッコいいアングルあるのになって始めたら、富野さんがビックリして、何で今までこういうのが出てこなかったんだって。で、ガンダムで初めて認知されて。若い人に任せろっていわれて、それでだんだんガンダムの途中から入ってって。
ガンダムとイデオンからですね、スタッフにあいつの戦闘シーンはおもしろいとか、動きがあるとかスピード感があるとか、サーカスみたいだとか言われるようになったのは。それでマクロスやつてて雑誌に紹介されて板野サーカスとかっていう話になっちゃって。
___コンピューター上でシミュレーションして、頭の中とか画面上で確認したものではなく、実体験でっていう。
板野: そうですね、自分は昔からコンピューターもやってますけど、実体験では死ぬような目にも遭ってますからね。人間て恐怖を直前にすると、集中力が高まってリアルタイムでもスローになつたりするんですよ。滝壷に飛びこんだときも、滝壷の表面の泡が見えたりとか、滝壷に着底するまでに時間がかかったりとか。ちゃんと恐怖のあまり恐怖度が増して頭の回転速度がよくなったりするんですよね。だから今まで1メガヘルツだったのが急に400メガヘルツになって、解像度が良くなるんですよ。そう言うところをうまく書きながら誇張したのは、俺が最初かもしれないですよね。あと望遠も広角も一つのカットの中で全部使い分けてっていうことをやってましたね。

9月4日