the id : 2003.10.9

『 ストーノウェイ 』

思った以上に、ものすごく寒い。ロンドンでなくしたパーカーがさらに恋しくなる。

朝7時の飛行機で、ロンドンからスコットランドのグラスゴーまでは約1時間。そこから乗り換えてストーノウェイまでがまた1時間。この2つ目に乗った飛行機がかなり小さくて、プロペラで飛ぶやつだった。ストーノウェイはスコットランドのメインランドからさらに海を越えたところにある、ルイス島という島の小さな町。降り立つと、さっそく何もない。空港とは思えぬ小さな駅に、私たちのドライバーを担当してくれるクリスさんが迎えに来ていた。

車を走らせるとそこにはもう空と大地と、道が1本。それ以外に見えるものと言えば羊と馬と牛。寒くて、風が強い。さえぎるものが何もないから、風は自由奔放に吹きたいだけ吹く。地平線がずっと続き、天気が変わりやすいのでよく虹がかかる。同時にいくつもの虹が空にかかることも珍しくないという。静かで、ずいぶんと遠くの音まではっきりと聞こえてくる。寒さに震えながら、でも幸せな気持ち。小さなラウンジでスープを飲むと、その暖かさが体中にしみわたって格別なおいしさ。

町は17時にほとんどの店が閉まる。でも白夜のように外は夜9時頃までは明るいので、時間の感覚が少し鈍ってきた。数少ない夜でも開いているレストランに私たちが入っていくと、中にいた人全員の視線が集まる。この島へはアジア人はめったに来ないらしい。翌日、隣のハリス島まで行ったときも、そこで会ったクリスさんの知りあいが、私たちを見て「町ですっかり噂になっているよ!」と笑った。

ここでは人よりも、羊をよく目にする。
羊たちはただひたすら食べている。食べては寝て、また起きて食べて、フンをする。そこらじゅうに羊のフンがある。羊の寿命はだいたい6年、とクリスさんが言った。毛を刈ると、少し弱って寿命が縮むんだそうな。あの子たちの命を削ってまで作られたマフラーを、昨日この町で買った。あたたまってます、どうもありがとう、大切に着るからね。

島のはずれまで行くと、海を見下ろす崖の上に、赤い灯台が立っていた。風がびゅうびゅう吹いている。

私の住んでいるところは、この丸い星のほとんど反対側にあるのだ、と考えた。だけどこうして、風が強くて空が広くて、本当に世界の果てかと思うような、誰もいない崖の上に立っていると、不思議なことに私にとって大切なものの存在がいつもよりずっと近くに、はっきりとした手触りで感じることができるのはどうしてだろう。こんなに遠くまで来たのに、何かとっても優しいものが私を包んでいると思った。小さな田舎町の端っこ(もしかしたら「地球の端っこ」)に居ながら、世界の隅々を見渡しているような、そういう言い方はもしかしてすごくエゴイストかなとも思うけど、だけど本当にそんな気がしていた。

「ここに居る」ということ、それをこんなに強く確信したことはない。自分が立っているのが「大地」の上であると、こんなにもしっかり噛みしめたことはない。私と地球の関係、私と宇宙の関係、すべては単純化され、わかりやすくなっていく。空というものの実寸大を初めて目の前に広げられ、あるものはちっぽけになり、あるものは偉大になり、そうやって今までと違う価値観が私の中に生まれつつあった。

生かされているという奇跡。今ここから、私は遠くの誰かにそれを届けるのだと灯台の横に立っていると、なんとなく手ごたえがあった気がした。

*maaya*