今年の1月にリリースされた坂本真綾の6枚目のアルバム『かぜよみ』。この作品を作り終えた時、彼女は「この世のものとは思えないほどの幸福感」を味わったという。それは制作期間の数ヶ月だけではなく、前作『夕凪LOOP』からの3年3ヶ月という時間でもなく、歌を歌い始めた頃や、それ以前も含めて自らが歩んできた道がひとつに繋がったような感覚。見晴らしのいい場所でこれまでの道のりを振り返り、そしてこの先もまた自分らしく夢を抱いて進んで行こうという新たなエネルギーを手にした瞬間だったのだろう。そして、彼女の口からこぼれた言葉は「私、ライブがやりたいです」。
 というわけでアルバム『かぜよみ』のリリース後に行われたのが、初めてのホールツアー『坂本真綾 LIVE TOUR 2009“WE ARE KAZEYOMI!”』。1月21日の名古屋(愛知県芸術劇場大ホール)を皮切りに、22日の大阪(大阪厚生年金会館 大ホール)、24日の東京(東京国際フォーラム ホールA)の3会場で行われたこのツアーはなんと、ファンクラブ限定ミニライブなどのイベントを除くオフィシャル・ツアーとしては約5年ぶり。会場では、久しぶりの彼女のパフォーマンスへの期待でいっぱいのお客さんたちの熱気が開演前からビシビシと伝わってきた。

 赤いミニ・ドレスで彼女が登場した鮮烈なオープニング。河野伸(p,key&g)、佐野康夫(ds)、大神田智彦(b)、石成正人(g)、三沢泉(per)、沖祥子カルテット(strings)からなるバンド・サウンドが輝かしくも力強く鳴り響くと、たちまち会場中が大きな興奮に包まれた。この日のために、ひとつの不安要素も残さぬよう念入りに行われたリハーサルと本人の気合いの入れようはハンパじゃない。選曲にしても“Get No Satisfaction!”“Remedy”“カザミドリ”といったアルバム『かぜよみ』からのナンバーはもちろん、デビュー曲“約束はいらない”や“奇跡の海”“プラチナ”といった代表曲まで彼女が「今歌いたい曲」にこだわったラインナップは、デビュー当時からのファンも、初めて坂本真綾のライブを観るというファンにも大満足だったはず。そして1曲ごとに移り変わる楽曲の世界観を、繊細な歌声と大胆な表現力でステージから放つ彼女のパフォーマンスは、とてもパワフルかつキュートで、5年ものブランクがあったなど微塵も感じさせないものだった。生で聴くと、その伸びやかで透明感あふれる心地良さに思わずうっとりしてしまうほどの声も、少しの動きも見逃したくないほどに引きつける佇まいも、まさに「天賦の才」とはこういうことなのだ、と頷きたくなるほど。
 しかしライヴも終盤にさしかかった頃、彼女は「何故5年ぶりのライブになってしまったのか、話さなきゃいけないと思ってこのツアーを周っています」から始まる長いMCをする。その正直な告白の中に、このツアーの原動力と、そして会場でオーディエンスと坂本真綾の絆を深める大事な瞬間があった。きっと多くの人が心に抱えているはずの「弱い自分」に、正面から立ち向かって見えない壁を越えていく。アルバム『かぜよみ』に背中を押されて、彼女が大きな一歩を踏み出す瞬間を私たちはこのツアーで共有したのである。そのMCの後に“光あれ”を熱唱しながら両腕を空に掲げた、あの眩しい瞬間は心に焼き付いて離れない感動的なシーンのひとつだ。
 前半の赤いミニ・ドレスは“Get No Satisfaction!”や“プラリネ”といった快活でハッピーなナンバーに良く似合っており、中盤で黒いワンピースに衣装チェンジしてからは“約束はいらない”や“指輪”といったしっとりとしたナンバーを響かせる、そのコントラストも実にドラマチック。彼女が長いキャリアの中で、どんなことを日々考え、感じながら「歌」というパーソナルな表現に向き合ってきたのかが伝わってきた。坂本真綾というアーティストが特に「音楽」というフィールドにおいて、いつも真っ直ぐに、生身の感情を放ち続けてきたシリアスでリアルな表現者である、ということも。

 お客さんとスタッフによるサプライズに感動して泣きながら本編ラストの“ユニバース”を歌う場面があれば、彼女が心を込めてピアノの弾き語りを披露する場面もあり、一瞬一瞬が見逃せないシーンの連続。初のライブDVDとなる本作『坂本真綾 LIVE TOUR 2009“WE ARE KAZEYOMI!”』には、本当に見どころが盛りだくさんなのだ。東京公演の模様をMCまで含めて完全収録し、ドキュメント映像ではリハーサル風景や、名古屋・大阪だけで披露された曲や衣装も楽しめる2枚組。本番前の緊張した顔も、ピアノを弾き終えてホッとした顔も、そして嬉し涙も、色んな坂本真綾の表情に触れることができる。そして何より、彼女の勇気と、お客さんの温かさが交差して素敵なエネルギーに満ちていた空間が、ここにパッケージされている。会場にいた人も行けなかった人も、プレイ・ボタンひとつで誰もをみな「かぜよみの民」にしてしまう今作。14年のキャリアがひとつの到達点を迎えて新たな扉が開かれるその時を、より多くの人と共有できるアイテムだ。そしてその扉から、素敵な歌と、心が元気になるような光がいっぱいに差し込んでくる。

Text:上野三樹