「誰も知らない泣ける歌」外伝〜スタッフが選ぶこころのベストワン〜

2009年2月18日発売
VICL-63247
\2,520(税込)/\2,400(税抜)

業界初!!レコード会社が選んだ“究極の泣き歌”コンピレーション

日本テレビ系「誰も知らない泣ける歌」オフィシャル外伝コンピレーションアルバム


「自分がいいと思う音楽をたくさんの人に伝えたい。」

入社動機をそう語るレコード会社スタッフは多いです。もちろん、音楽を扱う仕事なのだから、音楽好きなのは当たり前なのですが、“よいと思うものを人に伝えたい”という気持ちにさせてくれる不思議な力が音楽にはあるようです。

実際、スタッフにとっては、所属のアーティストがブレイクすることが大きな喜びです。しかしながら一方で、必ずしも「いい曲=ヒット曲」という図式ではない事も、日々の業務で痛感させられます。音楽には少なからず、時代の雰囲気とリンクしている部分があり、残念ながら「いい曲」がタイミングを逸してしまうこともあるものなのです。

今回、「日本テレビ系『誰も知らない泣ける歌』オフィシャル外伝コンピレーションアルバム〜スタッフが選ぶこころのベストワン〜」ということで、レコード会社スタッフが“本当にいいと思う曲”を集めてみました。ここに収録された曲はビクター社内で公募を行なった結果、選りすぐられたものです。そこには、ヒットしたものもそうでないものもあります。
でも、この全てが“スタッフが本当にいいとすすめられる”音楽です。どうか、スタッフの熱いコメントと共にこの“こころのベスト15曲”に耳を傾けて頂ければ幸いです。

ビクターエンタテインメント株式会社は2008年でレコードプレス80周年を迎えました。
これらからも熱い気持ちで“いい音楽”を皆様にお届けしたいと思います。

ビクターエンタテインメント株式会社 「こころのベストワン」委員会


選曲リスト

※視聴するにはWindows Media PlayerもしくはREAL PLAYERが必要です。

1.トワイライト/GOING UNDER GROUND「この曲を聴くとあの頃を思い出す……」

当時、20代だった自分は仕事だけに夢中になっていた。

一人暮らしの母を顧みることもなく。父は20年以上前に逝ってしまい、姉は結婚して幸せな家庭を築き、自分はと言えば仕事、仕事の毎日だった。そんな母は精神病の、しかも幻覚、妄想状態という非常にやっかいな病気持ちで、入退院を何度か繰り返しており、親戚のおじさんが面倒を見てくれたりと、自分は関わり合いたくないという気持ちでいっぱいだった。しかし、立派な社会人になった自分は、親の面倒くらい一人でみないといけない年だ。

ある日、実家に電話しても誰も出ない。夜になっても出ない。翌日も出ない。胸騒ぎがした。実家は東京の郊外にあり、仕事終わりで急いで実家へと向った。胸騒ぎが外れていてくれと何度も心の中で祈った。家の中に入ると、祈りも虚しく正常な人間の状態とは程遠い母の姿があった。夜だったが、病院の先生の自宅に電話をすると、明日すぐに病院に連れてください、入院の手続きはしておきますから、とのこと。車がないと連れて行けない山の中の病院。翌日もどうしても外せない仕事がある。取り敢えず翌日一度家に戻り、仕事は早退して車で実家に帰り、病院に何とか連れて行く計画を立てた。しかし、駐禁を取られて多忙で出頭していないのを思い出した。ドアミラーに黄色の駐禁章を付けたままだった。会社から実家までの距離は、検問の可能性もなくもない。
地元の友人にこの状況を相談した。そして夕方、友人の先導で実家へ車で帰った。自分が帰るまで何とかもってくれと心の中で叫んだ。そのとき夕暮れの車の中で何度も流れていたのはGOING UNDER GROUND/トワイライト。
翌日、幻覚状態で母と格闘はあったものの、夕方には何とか病院へ。約1年後に母は退院し、それ以来一度も発病していない。

GOING UNDER GROUND/トワイライト、この曲を聴くとあの頃を思い出す。

ビクター・ミュージックパブリッシング株式会社 制作部 金子憲太郎

2.どうしようもない哀しみに/斉藤和義「そのタイトルに導かれるように惹かれ、ずーっと病室でひとり聴き続けました……」

高校3年生・17歳の夏。誰にでも人生最後というくらいに刹那的な季節。私も当時その類に漏れず、人生で最もキラキラした夏を迎えた矢先、思わぬ事故に遭いました。

バイト先の分厚い鉄ドアに誤って勢いよく挟まれ、右手の小指に大怪我を負ったのです。五体満足で当たり前と思っていた普通の女子高生だったので、手術が終わるや否や「いつ退院できるのか」「爪は元通りになるのか」と詰めより、主治医から「爪がどうのなんて怪我じゃない、指が元通りつながるかどうかを心配しなさい!」と叱られました。
もしかしたら小指がなくなるかもしれないと不安に押しつぶされそうになりながら、毎日寝ても覚めても腕を心臓より高く掲げ続けて入院生活を送りました。(回復のためにはそうするのが重要らしいのです)

毎日泣いてばかりいた私に母が家からCDをいくつか持ってきてくれ、その中に大好きな斉藤和義さんの「どうしようもない哀しみに」という曲がありました。私はそれまでつらい、哀しいことがあると、うるさいくらいに明るい音楽に触れるようにしていたのですが、この時ばかりはそのタイトルに導かれるように惹かれ、ずーっと病室でひとり聴き続けました。

「ただ感じるだけ それでいいじゃないか」

この歌詞とあの優しいギターで私の心は解きほぐされ、指一本なくたっていいじゃないか、17の夏が終わっても夏はまた来るじゃないかと素直に受け入れ、スーッと胸のつかえは消えていきました。誰もが抱えるどうしようもない哀しみをもっと大きな力で包み込んでくれる、そんな曲だと思います。その後半年の時を費やし、私の小指は完治しました。そしてこの時以降、哀しい時は無理せず哀しいままこの曲を聴くようになりました。

この事故から4年半後、斉藤和義さんの所属するビクターに入社するなんて、この時の私は知る由もありませんでした。

営業本部 販売統括部 東京営業2G 京極史野

3.Dear/広瀬香美「その歌声を聞くたびに僕は、“もう会えない人”に無性に会いたくなる……」

入社して初めての仕事は、先輩から頼まれたカセットコピーだった。

編集室でダビングをしながら、初めて聞いた広瀬香美の「Dear」に思わず涙した。
遠く離れた恋人への想いを歌ったその歌詞が、故郷に残してきた彼女との境遇に重なったのだ。
その夜早速、僕は彼女に「Dear」の事を電話で伝えた。「Dear」は僕達二人にとって特別な曲になった。やがて時は流れ、そんな恋も終わった。

僕も結婚し、全てが遠い想い出になっていたある日、先輩が亡くなった。あまりに突然すぎる出来事に、会社のみんなは、ただ泣くだけだった。
先輩の葬儀では担当アーティストの曲が流されていた。繰り返し流れる「Dear」を聞くと、先輩との想い出があふれ出した。教えてもらった仕事の数々や、飲み屋で交わした音楽の話。そして、最後に交わした他愛もない会話。そのどれもが中途半端に終わっている気がした。
その事が悔しくて、僕も泣いた。そして、「Dear」は僕にとって特別な曲になった。

毎年、クリスマスが近づくと街中で「Dear」が流れ出す。
“クリスマスまでには 間に合うように 私のもとへ帰ってきてね ずっと遠く すごく遠く 離れているけど”

その歌声を聞くたびに僕は、“もう会えない人”に無性に会いたくなる。

ビクターレコーズ マーケティングルーム A&Rグループ 藤井麦彦

4.幸せであるように/FLYING KIDS「みんな、今どこで、何しているのかな……」

バブル経済の只中で僕たち同期はビクターに入社した。研修中、パッケージングや出荷作業をしていたCDの中の1枚が、この曲だった。イカ天バンドの中でも際立った個性と実力で、FLYING KIDSは僕を虜にしてしまった。相部屋で泊まり、同じ釜のメシを喰う。内定から研修終了までの10ヶ月間は、“同期”を“同志”へと変えて行った。そして迎えた研修最終日。それぞれに辞令が下る。いよいよ明日からはそれぞれの赴任地へと離散し、本当の社会人生活が始まるのだ。

その夜の送別会は大いに盛り上がり、2次会はカラオケだ、ということになった。そして、会がお開きとなる最後の1曲で、誰かが歌いだしたのが、この曲だった。<幸せであるように心で祈ってる>。まるで僕達の気持ちを代弁しているかのようで、全員涙を浮かべながら大合唱し、同期が集う最後の夜は終わった。僕はその日、家には帰らず、大阪赴任が決まったY田のアパートに泊まらせてもらって飲み明かした。おかげで翌日はよれよれのスーツと真っ赤な目で、本社の配属部署に初出社する羽目になってしまった。

時は流れ、日本の経済も様変わりし、同期の多くは会社を去った。あの時飲み明かしたY田も、今は別の会社に勤め、もう10年以上も顔を合わせていない。僕もいっぱしに家族を持ち、仕事人と家庭人との両立に奮闘する毎日だ。自分では変わらないつもりでも、後輩たちからはやっぱりオヤジに思われているんだろうなあ、と思うことも多くなった。それでもこの曲を聴くたびに僕は、まるで昨日の事のように、ただがむしゃらだった自分を思い出す。携帯もPCも普及せず、まだ昭和の元号のほうがしっくりしていたあの頃を。そして、思ったほど成長していない自分に気づき、情けないような、はがゆいような、ほっとするような、奇妙な感覚に襲われるのだ。

<別れはつらくて/でもみんな愛しあうのに/涙がなんでこぼれ落ちるのかな/声を奮わせて/ママも死んで/それでも僕は君とキスを交わしてる/子供も生まれてくれば/懐かしい友のことなど/忘れるかもしれないよ>

みんな、今どこで、何しているのかな?

ビクターレコーズ ディレクターズルーム 助川仁

5.おきてがみ/坂本真綾「やはりこの曲を聴くと、泣いてしまうのです……」

たくさんの女の子が遠くふるさとを離れて、東京でがんばっています。ある日のライブのリハーサル中に、一緒に仕事をしていたスタイリストの女の子がこの曲を聴いてぼろぼろと泣き出しました。そして周りのオンナノコたちも連鎖的に泣き出しました。みんなオイオイと泣いて止まりません。

彼女たちの誰もが体験してきた、家をでる朝。希望と不安とを胸に大事にしてくれた家族の元を離れる朝。毎日忙しくて忘れてしまっていても、ずっとココロに残っている朝。

ほんとのおきてがみのように短い言葉でその朝の風景を切り取ったちいさな曲です。紫色の朝焼けと、凛とした空気が聴くたびに目の前に広がります。

わたしはというと、娘を送り出す家族の側にシンクロしてやはりこの曲を聴くと、泣いてしまうのです。

株式会社フライングドッグ 音楽制作部 井上裕香子

6.卒業の歌、友達の歌。/19「この曲を聴くと、今でも当時のちょっと切ない気持ちを思い出します……」

私がこの曲に出会ったのは、中学2年、3月のちょうど卒業シーズンでした。教室のラジカセで、ある友人が「この曲すごくいいよ!」と言ってかけていた曲がこの曲でした。時期がぴったりということもあり、我がクラスの教室では当時かなりヘビロテされていました。

学生時代、卒業シーズンと言えば、憧れの先輩の学ランのボタンがほしい!なんて盛り上がる時期です。 当時、私にも憧れの先輩がいました。私と同じアルペンスキーをやっていた他校の一学年上の先輩でした。遠距離+冬にしか会えない…そんな限定されまくりな恋でした。先輩が高校に行ってしまったら、きっとほとんど会えなくなってしまう!毎年4月に行われるシーズン最後の大会で先輩に告白しよう!!私はそう決めたのです。そりゃもう、人生初めての告白ですからいろいろ考えました。いつ言おうか、何て言おうか…まさに♪君に届け!この想い、まっすぐ!♪状態。素敵な先輩のことだから、きっと卒業式の日は女の子に囲まれちゃうのかな…なんて妄想も日々繰り広げていました。

そんな時です…不幸は突如訪れました。なんと修学旅行と大会の日程がもろにかぶったのです…。先生に説得されながら、泣く泣く最後の大会の欠場を決めました。この曲が流れる教室の中で、恋のイベントを前に盛り上がる女の子達の輪の中で…心の中で一人泣いている私がいました。そんな私を励ましてくれているかのような歌詞にもまた涙です。結局想いを告げることはできず、その後、その彼には一度も会っていません。

この曲を聴くと、今でも当時のちょっと切ない気持ちを思い出します。

経営企画部 情報システムグループ 矢嶋菜実子

7.涙 風にたくして/つじあやの「この曲を聴いた、16歳の春……」

高校の頃に、好きな先生がいた。背の高い、眼鏡をかけた、少しクセ毛の地理の先生。歳は、ひとまわり以上も離れてて。たしか、奥さまもいらしたかもしれない。

この先生の授業は、マジメに聞いてて、たぶん他の科目よりも成績が良かったと思う。生徒の中での人気があったかどうかは忘れてしまったけど、たぶん、そのときの私にとっては、そんなこと問題じゃなかったと思う。そもそも「先生と生徒」だから、雑談をする機会なんて、ほとんど無かったんだけど、 例えば、すれ違う廊下。昼休み。放課後。下校する前。自分でも気づかないうちに、タイミングを探しては、話しかけていたかもしれない。……話していた内容なんて、今は全く覚えてないけれど。

“君ともっとはやく会えていればもっと良かったね”
もし、もしも。あたしがもっと早くに生まれて、もっと早くに出会えていれば……
「トモダチ」になれたのかしら。
「コイビト」になれたのかしら。

この曲を聴いた、16歳の春。

ビジネスプロデュース室 今津芳実

8.世界でいちばん頑張ってる君に/キグルミ「あらためて聴いて泣きそうになりました。というか泣きました……」

自分の担当アーティストの曲です。こういうのは別の人の担当の曲の方がいいと思いながら、考えても考えてもこの曲になってしまうので、やっぱりいちおししたいと思います。不況の時代・・・なんて言われておりますが、この曲は、そんな中でも仕事で忙しく夜まで働いていたり、辛いことがあっても夢に向かって頑張っているようなみなさんに、ぜひ聴いて頂きたい曲です。

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僕は知ってるよ
ちゃんと見てるよ
頑張ってる君のこと
ずっと守ってあげるから
君のために歌おう
当たり前というけど
当たり前じゃない
頑張ってる君のこと
ちゃんとわかってあげたいから
君のためのラブソング
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こんな歌詞から始まって、頑張っている大事な人へのエール、そして二人ですごす幸せで大切な日々への感謝やおじいちゃんおばあちゃんになっても守ってあげるよ、というようなメッセージを歌った、あたたかいラブソングです。私自身、なんだかひどくいろんな仕事やトラブルが重なって、友達や家族との約束を全部ぶっちぎって、朝まで朝まで毎日毎日働いていた時期、夜中に歌詞の校正をしていて、あらためて聴いて泣きそうになりました。というか泣きました。無垢な子供の声で歌われた歌詞がすごくストレートに響いてきます。

ちなみに同じ時期、同じく仕事があまりに大変な友人にも、「お互いがんばろうね」とこの曲を送ったら、その人も泣いてました。夜中にお互いウルウルしながら電話をしたのを覚えています。きっと今いろいろ大変で頑張ってる方もたくさんいると思いますがそんな方でもふと、身近にいる大事な人のことを大切に思える歌だと思います。

もともとはHARCOさんの曲を、キグルミがカヴァーしました。HARCOさんの曲は自動車のCMで使われていたので聴いたことのある方はいるかもしれませんが、キグルミのこの曲は、残念ながらあまり知られていないかもしれません。また、この、あまり多くの人に知らせられなかったことにも泣けるのですが…。でもおすすめです!

企画制作部 制作宣伝グループ 平井映子

9.愛(かな)よ 愛(かな)よ/夏川りみ「思わず仕事中だというのに涙があふれてきました……」

2001年の6月に息子を出産して2002年の4月に職場に復帰し、仕事と家庭(育児)に追われて自分の時間がまったくなく慌しく毎日を過ごしてきました。

平日は仕事が終わってから子供を保育園に迎え。家に着いたら食事、お風呂、の準備。子供がやっと寝たと思ったら洗濯物や食事の片付け・・・。

休日は家の掃除、洗濯、平日の夕飯のおかずを作って冷凍したり、買い物などであっという間に終わってしまってまた月曜日が始まる・・・。時には自分の思うように事が進まずについつい子供や家族に嫌な思いをさせてしまうこともありました。

そんな時、私の仕事の一つ、DVDの検聴で夏川りみさんの“Concert Tour 2004 ∞ un RIMI ted ∞”を見たのです。“愛よ 愛よ”を歌う前に夏川さんのMCで“この歌の好きなところは、あなたがそっと微笑むだけで温かくなる人がいるんだよっていうところとか、がんばって・・・じゃなくて、がんばらないで・・・っていうところが好きで、がんばりすぎる人にぜひ聞いてもらいたいです”と言っていて“愛よ 愛よ”を聞いたときに思わず仕事中だというのに涙があふれてきました。どんなに一生懸命がんばっても子供や家族に対して笑顔でいられないないなら意味がないんだ・・・と。

りみさんの“がんばらないでたまには人にすべてを任せる勇気を出して・・・”と歌っているのを聞いて自分が笑っていられることが家族の幸せなんだな・・・と思わされました。

ビクタースタジオ FLAIR 臼井幸代

10.未成年/岩崎宏美「自分としても長く聴き続けていきたい楽曲です……」

子供の頃から母親が岩崎宏美の声が好きで、家族で出かけた際は車の中でよく聴いていました。

小学生の頃に見た紅白歌合戦で岩崎さんが歌っていた「未成年」という曲が、『大人になること』への希望とそこはかとない切なさのようなものを子供ながらに感じ、またその世界観を表現する岩崎さんの圧倒的な歌唱力にとても感動した記憶があります。当時はまだ楽曲の内容を理解できる年齢ではなかったですが、今改めて聴いても本当に良い曲だと思いました。

今のようにインターネットで調べることも出来ず、ベスト盤にもあまり収録されていなかった曲なので、しばらく誰の歌だったか分からずにいました。そんな折、新入社員として札幌営業所で働いていた時に、取引先のレコード店の某店長と商談をしていて、その方が岩崎宏美が大好きであることを知りました。ずっと心のどこかで気になっていた「未成年」についてお聞きし、ようやくその楽曲の存在と歌手名を確認することが出来ました。

その店長と自分は親子ほどの年齢の差がありましたが、このことがきっかけでその店長と仲良くさせて頂くようになりました。そんな思い出もある、自分としても長く聴き続けていきたい楽曲です。聴いたことのある方も、初めて聴かれる方も、是非その世界観に酔いしれてもらえたらと思います!

freedom records 笹原学

11.春夏秋冬/泉谷しげる「すごく情けない気持ちだった、あの頃の自分を救ってくれた……」

この曲を初めて聴いた時は、思い出せない。誰かのカバーだったのかもしれない。「なんとなく知ってる」曲でしか無かった。でも、この曲が強烈に刻まれた瞬間は覚えている。

長く付き合っていた彼女にもフラレ、留年が決まった大学3年生。暮れも押し迫り、街中はクリスマスムード一色。周りの仲間は徐々に就職活動に慌しくなるもの、海外に留学をするもの、一から自分の道を切り開いていこうと動き出した者。ついさっきまで同じような時間を過ごしてきたはずが、なんだか周りは違う時間が流れだしている。「ヒマ大好きだし、人生長いし。」なんて一人思ってはみるものの、なんだかわけの分からない時間の流れに嫌な汗はかいたりもして。

そんなある日、目の前の13牌を倒し、「ロン!」とか力なく言ってた時に、昭和の汚れが染み付いた雀荘「ふじ」の有線から、「今日ですべてが終わるさ 今日ですべてが変わる、今日ですべてがむくわれる 今日ですべてが始まるさ」という言葉が耳にすっと流れてきた。油断しきっていたタイミングで思わず泣きそうになるぐらい、胸の中に響いた泉谷さんの声、言葉。

「始まるさ」で終わるこのフレーズが、すごく情けない気持ちだった、あの頃の自分を救ってくれた。そんな泣ける歌です。

営業本部 販売促進部 販売促進1G 宮島裕

12.魂こがして/A.R.B.「殺されるかと思うほど怒られ、事務所からはなじられ……」

「魂こがして」は、ARBの精神支柱ともいえる歌である。1978年に「野良犬」でデビューしたバンド、ARB。しかし一年弱で、事務所との方向性の違いから独立、メンバーも2人脱退し、ベーシストも資金もなく、極貧生活からの再スタートとなった。ギリギリの精神状態と反骨心から生まれたのがこの曲で、再スタートの意思表明として、シングル化された。

「一生歌っていきます」。石橋稜は、この曲の前のMCで必ず誓う。当時23歳 アーティスト担当だったボクは、苦しい生活の中から光を掴み取ろうともがく同年代の彼らと、ぬくぬくと社会人生活を続ける自分を対比しながら、この歌を胸に刻み、人生を学んだのだ。今でも聞くと、新宿ロフトで命を絞りきるかのように歌い、ステージ上から助けを求める彼らの姿が鮮明に浮かんで、体が上気する。目頭が熱くなる。そんな曲なのに。それなのに。

1982年だった。軌道に乗り始めたARBの軌跡を、A3二つ折りのパンフレットに仕立てた。印刷が上がったパンフを広げ、得意満面で読み始めて、目が点になった。1979年発表シングル「鬼ころがして」。もう一度書く。「鬼ころがして」。一番大切な曲の校正ミスの上に、意味まで通っちゃってる。「魂」と「鬼」、「こがして」と「ころがして」、二つ間違えちゃっている。最悪。

直ちに隠蔽しようとしたが、時すでに遅し。当時のディレクター高垣さんと当時の宣伝課長に、殺されるかと思うほど怒られ、事務所からはなじられ、死んでしまいたい状態。印刷屋に交渉し、最速で上げてもらった。印刷費は自腹。今度はボクが極貧生活を送ることとなった。ああ、泣ける。

ビクターレコーズ 本部長 牧元裕之

13.君に会いに行くよ/上田現「自分がこのプロジェクトに携われたことを誇りに思います……」

2008年3月9日にお亡くなりになったキーボーディスト・上田現(ex.LA-PPISCH)の5枚目のソロアルバム「Atlas」に収録された作品です。死後、ご遺族が自宅を整理したところハードディスクを発見し、中には未完成の状態の楽曲が多数収録されていました。その音源を旧知のミュージシャンが集まり、作品化したのがこのアルバムです。私は制作担当としてお仕事をさせて頂きました。

「君に会いに行くよ」の君とは上田現が愛する娘であり、彼女に捧げた曲です。遺作となった「Atlas」の1曲目に収録されました。

この曲だけはハードディスクに収録されていた状態からほとんど手を加えられていません。曲としては未完成な状態ですが、レコーディングされた瞬間の空気や魂、そして愛娘に捧げる想い、目に見えない全てが詰まっている、そんな作品になりました。

自分がこのプロジェクトに携われたことを誇りに思います。

スピードスターレコーズ 制作部 池上健一郎

14.Ramen/ミナコ「東京での生活の右も左も分からない時でした……」

私がビクターに入社して、プロモーターになって初めての宣伝会議で聴いたのがミナコの「Ramen」。

プロモーター業の右も左も分からない頃で、“悲しみにくれたら、何か食べに行こう”という歌詞が胸に響き、ミナコの透き通るような声と心地よいメロディに吸い込まれたのを覚えています。

入社と同時に東京へ引っ越し一人暮らしを始めたばかりで、仕事と同様、東京での生活の右も左も分からない時でした。それまでの私は、あまり食べることに興味がなく、寧ろ食べることが面倒くさいくらいでした。人間三大欲は“性欲”、“食欲”、“睡眠欲”と言われますが、当時は“性欲”、“睡眠欲”、そして“喋り欲”、のこの3つが私にとっての三大欲でした。ミナコの「Ramen」に出会ってからというもの、すっかり食べることの素晴しさを知り、入社時から私の体重は10キロ、20キロと増していき、お酒を呑んだ後のラーメンの旨さにハマっていく様になったのです。今では、“食欲”が加わり、私の四大欲になりました。

食べることによって、元気が生まれ、エネルギーを感じるようになりました。人間は悲しい時、つい温かさを求めるもので、そんな時に食べるラーメンは人間の温かさに似たものを感じるのです。この曲の意図としていることとは違うのかも知れませんが、“自然に生きる”ことを教えられた気がします。彼女の作品の世界観にはものすごく人間らしさを感じるのです。そして、社会に生きる人間としての思いがこの「Ramen」に込められていると思います。

いつ聴いても新鮮な作品「Ramen」、ぜひ“悲しみにくれたら”お聴きください。食べたら元気になりますよ。

ビジネスプロデュース室 兼 ビクターレコーズA&Rグループ 西野真也

15.「私にできること」/KOKIA「一人でも多くの人に聴いてもらいたい曲です……」

2007年7月16日に起きた新潟県中越沖地震。
特に被害の大きかった柏崎市では、街が倒壊し、市民は絶望の中にいた。

地震から3日後、KOKIAの女性ファンが彼女に送った一通のメール。

「崩壊してしまった街を見ていると不安に襲われますが、こんな時だからこそ、KOKIAさんの歌に支えられ、生きていく力をもらっています。」

メールを受け取ったKOKIAはシンガーソングライターとして自分にできることを考える。

「1人じゃないよ、励ましあって、みんなで頑張って。」

そんな想いを伝えるため2時間でこの曲を書き上げ、贈った。
受け取った女性ファンは柏崎コミュニティ放送FMピッカラに持ち込む。

「この曲は私だけでなく、多くの柏崎の皆さんに聴いて欲しい。」

そしてオンエアされたこの曲は大反響を呼ぶとともに市民を強く勇気づけ、希望を与えた。
さらには8月6日に行われた復興支援コンサートではKOKIA自らが現地に足を運び、自衛隊音楽隊の演奏をバックに歌い、地震発生からわずか2ヵ月後の9月16日にはFMピッカラを中心にCDの販売が開始。彼女のオリジナルアルバム「The VOICE」にも収録されることになった。

歌の力、曲の力、そして一人の想いが大きな力を持つこと。そんな音楽の持つ力の強さと暖かさを証明する、一人でも多くの人に聴いてもらいたい曲です。

こころのベストワン委員会


CD情報