佐久間正英プロデュース作品集・奇跡のコンピレーションCD『SAKUMA DROPS』

  • 佐久間正英プロデュース作品集・奇跡のコンピレーションCD。 佐久間正英、選曲/監修。世代を超えて愛され続ける大ヒット曲/レア音源33曲を自らが選曲。
    さらに渾身の遺作「Last Days」も特別収録された全34曲入り2枚組。

  • 2014.3.5(Wed) RELEASE

音楽プロデューサー/ミュージシャン 佐久間正英さんが1月16日に永眠されました。

名プロデューサーとして、偉大なミュージシャンとして、日本の音楽史に輝かしい功績を残された佐久間さん。
ビクターにも数々の素晴らしい作品を残してくださいました。
その揺るぎない音楽への情熱と志は私達にしっかりと受け継がれています。

心よりご冥福をお祈りいたします。

『SAKUMA DROPS』Various Artist

VICL-64136
  • VICL-64136~7 / ¥3,500+税
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  1. DISC 1
    1. Dreamin' / BOØWY
      • 楽曲解説
        Dreamin' / BOØWY
        DISC1がこの曲で始まっていることの意味は限りなく大きい。1985年6月発売、80年代後半のバンドブームの狼煙となった三枚目のアルバム「BOØWY」の1曲目。ロックバンドの勢いと美学。それまでのアルバムとの音質や音像の違いに驚くはずだ。彼は「最初は怖そうなバンドだと思ったけどスタジオの3日目にすごいと思った」と言った。氷室京介(VO)、布袋寅泰(G)、松井常松(B)、高橋まこと(D)。バンドの革命。ビートバンドというカテゴリーの誕生。「デモテープを聴いたときに戸惑った歌謡曲メロデイ」がロックバンドの新しい個性として統一感とともに融合されたのはベルリン録音をともに提案した彼と布袋寅泰の共同作業の成果だ。
    2. Angel Duster / THE STREET SLIDERS
      • 楽曲解説
        Angel Duster / THE STREET SLIDERS
        BOØWYが“縦乗り”の風雲児なら“横乗り”の王者がTHE STREET SLIDERSだった。HARRY(VO・G)、蘭丸(G・VO)JAMES(B・VO)、ZUZU(D)。80年結成。米軍基地のある福生のライブハウスや基地の中のライブで噂を呼び83年にメジャーデビュー。ブルースを下地にしたロックンロールの揺るぎない演奏は今聞いても頼もしい。「研ぎすまされたものがあってすごかった」。85年発売、4枚目のシングル。彼がプロデユースした86年のアルバム「天使たち」のリード曲。佐久間正英が音楽監督をつとめた87年の伝説の野外イベント「BEAT CHILD」のドキュメンタリー映画では、BOØWYとTHE STREET SLIDERSの豪雨の中の共演を見ることが出来る。
    3. KISS IN THE MOONLIGHT / UP-BEAT
      • 楽曲解説
        KISS IN THE MOONLIGHT / UP-BEAT
        80年代後半のブームには功罪両面があったと思う。バンドのアイドル化と演奏力のバランス。バンドメンバーの意識の変化とのギャップ。UP-BEATもそんな経験をした一組だった。広石武彦、(VO)、岩永凡(G)、東川真次(B)、永江慎一郎(B)、嶋田祐一(D)。81年、北九州で結成、バンド名はラモーンズの曲の歌詞。この曲は、87年発売の2枚目のシングル。ドラマ「同級生は13才」の主題歌。彼は同年の2枚目のアルバム「Inner Ocean」から90年のメンバー交代までのアルバムを手がけている。スタジオミュージシャン参加の1枚目のアルバム後、「メンバーが演奏しないなら引き受けない」と言ったエピソードはまさに彼の真骨頂だ。
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    4. キスしてほしい(トゥー・トゥー・トゥー) / THE BLUE HEARTS
      • 楽曲解説
        キスしてほしい(トゥー・トゥー・トゥー) / THE BLUE HEARTS
        音を聞く前に「渋谷公会堂の前の歩道を歩いているパンクバンド風な見知らぬ4人を見かけて、あまりの格好良さに音を聞いてみたいと思った」のが佐久間正英とTHE BLUE HEARTSとの出会い。仕事で会った時に「あの4人だ」とすぐに分かったというのは偶然を超えている。甲本ヒロト(VO・G)、真島昌利(G・VO)、河口純之助(B・VO)、梶原徹也(D)。85年結成、87年デビュー。87年11月発売メジャー二枚目のシングル。二枚目のアルバム「YOUNG&PRETTY」の1曲目。1枚目はマネージャーが「スケジュールだけで断ってしまった」。真っ直ぐな本音と胸が痛くなるような青臭さ。外連味のないロックンロールはパンク以降のシンボル的存在だ。
    5. Miracle Play 天使が降る夜 / dip in the pool
      • 楽曲解説
        Miracle Play 天使が降る夜 / dip in the pool
        佐久間正英プロデユース曲に特徴性を見つけるとしたら、どんなに突出したロックバンドでも品と知性と洗練という言葉が浮かぶ。85年デビュー。ファッションと一体化した80年代の東京が持っていた時代性。その象徴とも言える一組が彼女たち、dip in the poolだ。資生堂「花椿」でモデルデビュー、82年から84年まで雑誌「アンアン」の専属モデルだった甲田益也子とキーボーデイスト、サウンドクリエーター、木村達司のユニット。ファッショナブルで透明な浮遊感はアンビエント・ミュージックのはしりだった。87年発売、4枚目シングル。彼は、ヨーロッパ発売のためにイギリスのレコード会社、ラフトレードに契約書を携えて訪れている。
    6. SUMMER GAME / 氷室京介
      • 楽曲解説
        SUMMER GAME / 氷室京介
        BOØWYは88年4月4,5日の東京ドームで解散、メンバーはそれぞれソロになった。この曲は89年7月発売、3枚目のシングル。同年9月発売の2枚目のアルバム「NEO FASCIO」のリード曲は唯一のポップロック。氷室京介のソロ活動はBOØWYとの差別化に始まっている。ビート系の象徴となった“縦乗り”からの決別。「NEO FASCIO」は、ファシズムをテーマにしたコンセプトアルバム。天安門事件とベルリンの壁崩壊。20世紀の終わりを前にした世界的な激動とロック。ファンクやレゲエ。氷室京介はギターとヴォーカル、佐久間正英がギター・ベース・シンセサイザー・キーボード。ドラム以外は2人で作り上げたアルバムだった。
    7. 暴いておやりよ ドルバッキー / 筋肉少女帯
      • 楽曲解説
        暴いておやりよ ドルバッキー / 筋肉少女帯
        意外性ということでは彼らもそんなバンドの一組だろう。ヴォーカルの大槻ケンヂとベースの内田雄一郎が82年に結成、88年にメジャーデビュー。顔を白塗りにし身体に包帯を巻いたパフォーマンスは語りぐさになっている。不条理とブラックユーモアの混じったバラエテイに富んだロックは突出していた。この曲は93年3月発売の7枚目のシングル。バンドブームへの皮肉のようだ。彼のプロデユースアルバムは92年の「エリーゼのために」と8枚目93年の「UFOと恋人」。複数のギタリストからセルフプロデユースを経験した後に手がけている。バンドの転機に関わりを持った典型だろう。彼は筋肉少女帯について「大槻ケンヂの才能」と言い切った。
    8. 12月はいつもレイン / SCANCH
      • 楽曲解説
        12月はいつもレイン / SCANCH
        ここに選ばれているバンドやアーテイストの特徴の一つに個性の際立ち方がある。どんなスタイルであれ自分の固有の世界を持っている。SCANCHは、82年にヴォーカル・ギターのROLLYを中心に結成、90年にメジャーデビューした4人組。女装も交えた派手なグラムファッションとハードロックに歌謡曲を織り交ぜ大胆で奇抜なエンターテイメントロックは、実は高度な演奏力に支えられていた。この曲は94年11月発売の10枚目のシングル。色物に見られがちだった彼らの中のファンタジーとセンチメンタリズムを融合させた”歌モノ”のポップスとしての完成度に彼の手腕を見るだろう。オリジナルアルバム未収録の1曲だ。
    9. feminism / 黒夢
      • 楽曲解説
        feminism / 黒夢
        ファンの間でも佐久間正英の“弟子”と言われているミュージシャンがいる。1番弟子がBOØWYの松井常松で2番弟子が、黒夢のベーシスト人時。彼は人時のことを「勉強熱心の楽器好き」と評している。黒夢はヴォーカルの清春(VO)、人時(B)を中心に91年結成、94年メジャーデビュー。彼は1枚目から4枚目までをプロデュース。この曲は95年発売の3枚目アルバムのタイトル曲。当初はアンダーグラウンド色の強かった中でのポップな一面を印象づけ初のアルバムチャート初登場1位を記録した代表作。オープニングのインストは彼の作曲だった。他界後2014年1月のデビュー20周年の武道館で2人は黒衣で彼のプロデユース曲を3曲歌った。
    10. そばかす / JUDY AND MARY
      • 楽曲解説
        そばかす / JUDY AND MARY
        佐久間正英と言えば彼らの名前が出てくる自他ともに一体感を持って語られるバンドだ。YUKI(VO)、TAUYA(G)、恩田快人(B)、五十嵐公太(D)。93年にメジャーデビューした。ヘビーメタル・バンド出身の恩田と五十嵐、オーデイションで加わった19才のTAKUYAとバンド初参加のYUKI。それぞれせめぎあった個性を集約していたのが彼だった。「ありのままのはちゃめちゃさをどう商品として成立させるか。大変だけど面白かった」と言った。この曲は96年2月発売、9枚目のシングル、バンド初のシングル1位曲で唯一のミリオンセラー。イントロが全てを物語っている。アルバムは97年発売、4枚目「THE POWER SOURCE」収録。
    11. 今宵の月のように / エレファントカシマシ
      • 楽曲解説
        今宵の月のように / エレファントカシマシ
        長いキャリアのバンドやアーテイストの軌跡には明らかに転機となる作品がある。作風やイメージが変わることで新しい聞き手をつかんでゆく。エレファントカシマシは、81年結成の4人組、宮本浩次(VO・G)石森敏行(G)髙緑成治(B)富永義之(D)。88年にメジャーデビューした。宮本浩次の強烈な個性は「一発でファンになった」と言った。97年7月発売15枚目シングル。アルバムは96年の「ココロに花を」。共にレコード会社移籍第1弾。彼らにとっても初の外部プロデユース。「前作があまりに素晴らしくて自分のやることがあるかと思った」という。アルバム・シングルともに彼らの最高位を記録。結果を出すというのはこういうことだろう。
    12. HOWEVER / GLAY
      • 楽曲解説
        HOWEVER / GLAY
        関わった時間の長さと関係性の深さという意味では彼らが最も縁が深いと言える。TERU(VO)、TAKURO(G)、HISASHI(G)JIRO(B)。94年発売の3枚目のシングル「彼女の“Modern...”」から、2013年のシングルまで関係が続いていた。彼のスタジオをレコーデイングに使っていた時期も長かった。「最初から4人のバランスを曲の理解度が見たことがないくらいに良かった」。GLAYが過去3回行ったイベント「GLAY EXPO」には三度とも出演、キーボードとギターを弾いた。彼が手がけたバンドが集まるイベント「SAKUMA SUMMIT」の発案もTAKUROだったと言う。これは97年発売、12枚目のシングル。初のミリオンセラーだ。
    13. 東京 / くるり
      • 楽曲解説
        東京 / くるり
        佐久間正英のキャリアは学生時代に日本のプログレッシブロックの先駆、四人囃子にベーシストとして参加したことから始まっている。当時としては珍しかったキーボードの入ったロックバンドは、独自の構築感と音のイマジネーションを持っていた。「大好きであの音をどうストレートに伝えるか,全くの正攻法」という出会いは、そんな経歴を思い起こさせた。くるりは、96年に立命館大学の音楽仲間、岸田繁が中心となった当時は3人組。98年10月発売のデビューシングル。翌99年4月発売のデビューアルバム「さよならストレンジャー」も彼のプロデユース。フォーキーな浮遊感と実験性を兼ね備えたバンドサウンドに彼の力は欠かせなかったはずだ。
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    14. Happy Tomorrow / NiNa
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        Happy Tomorrow / NiNa
        佐久間正英のキャリアには、その時代ならではの“点”の活動と、旧知のミュージシャンとの”線”の関係と両方ある。JUDY AND MARY活動休止中に結成したNinaは、後者の典型と言って良さそうだ。佐久間正英、YUKI、Bー52'sのケイト・ピアソン、元PLASTICSの島武見、サポートには元JAPANのミック・カーンもいた。バンド名はYUKIが27才だったからだ。四人囃子の後に加わったPLASTICSは、Bー52’sやトーキングヘッズと同じニューヨークのマネジメント会社に所属。ケイト・ピアソンはその頃からのつきあいだ。「YUKIに興味あるか聞いたら二つ返事だった」。アルバムは一枚。この曲は99年7月発売最初のシングルだった。
    15. Mr.No Problem / The d.e.p
      • 楽曲解説
        Mr.No Problem / The d.e.p
        NiNaと同じ土俵にあるのが、2001年に結成されたバンド、The d.e.pだろう。ヴォーカルは日本と台湾で活躍する才女、ヴィヴィアン・スー。98年、99年に紅白にも出たブラックビスケッツはひと味違う。ギターに元一風堂の土屋昌巳、ドラムに元ミュートビート、イギリスの人気バンド、シンプリーレッドの屋敷豪太、ベースに元JAPANのミックカーン、キーボード・ギターと佐久間正英という国境を越えた日英台スーパーセッションバンド。土屋昌巳と屋敷豪太は、PLASTICSの中西俊夫が組んだセッションバンド、MELONに加わっていた。佐久間正英は「遊びの延長。一番楽しかったバンド経験」と言った。アルバム「地球的病気」収録。
    16. 空に唄えば / 175R
      • 楽曲解説
        空に唄えば / 175R
        コンピレーションアルバムの面白さは同じオリジナルアルバムに入るとは思えない曲が並んでいることだろう。このアルバムの希有な聴き応えもそこにある。The d.e.pのスタイリッシュなサウンドの後には青春パンクの筆頭的存在が続く。98年、ヴォーカルのSHOGOを中心に結成された4人組。この曲は2003年4月発売の2枚目のシングル。「あの真っ直ぐが良かった」。九州の若者らしい熱血な一途さは、ブルーハーツらにも通じる。荒削りなロックバンドが、彼の手を借りることでメジャー感を獲得したという一例だ。一人のプロデユーサーが手がけたとは思えない人もいるかもしれない。それこそが、彼が伝えようとした音楽の面白さだと思う。
    17. プラネットマジック / N'夙川BOYS
      • 楽曲解説
        プラネットマジック / N'夙川BOYS
        「今の子供も昔の子供も、今の大人も昔の大人も、人間ってそんなに変わらないんじゃないでしょうか」。佐久間正英は生前最後となったこのアルバムについてのインタビューでそう言った。N’夙川BOYSは、2007年結成した3人組。現役モデルのリンダdadaとマーヤLOVEの男女ヴォーカルはギターもドラムも担当、ドラムのシンノスケBOYsもギターも弾く。楽器パートをチェンジするという編成やカラフルでファッショナブルな立ち居振る舞い。リンダdadaは、再結成PLASTICSのヴォーカルでもある。彼がそう言ったのはN’夙川BOYSとPLASTICSに共通点がある、と言った後だ。この曲は2011年8月発売メジャー最初のミニアルバムのタイトル曲。
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  2. DISC 2
    1. 東京ワッショイ / 遠藤賢司
      • 楽曲解説
        東京ワッショイ / 遠藤賢司
        このコンピレーションの真骨頂はDISC2にあると言っても良いかもしれない。日本のロックベストアルバムと言えそうなDISC1とは違う多彩な個性に彩られているからだ。拓郎や泉谷と並んで70年代フォークロックの中心人物が遠藤賢司。佐久間正英が最初にレコードを買った日本のアーテイストが彼だった。この曲が先行シングルになった79年発売の同名のアルバムと翌年の「地球防衛軍」の演奏は四人囃子。SFもロックもテクノも演歌も歌謡曲も取り入れた型破りな作品は、30代の遠藤賢司をパンクのカルトアーテイストに変貌させた。「アルバム『東京ワッショイ』のレコーデイングには800時間かかった」。異例の長時間なのは言うまでもない。
    2. 美術館で会った人だろ / P-MODEL
      • 楽曲解説
        美術館で会った人だろ / P-MODEL
        プロデューサー・佐久間正英は”望んでそうなった”というより“求められるまま自然にそうなった”という成り立ちだと思う。シーンの要請と言えば良いかもしれない。「プロデュース第一号」のこの曲は、P-MODELの79年7月発売、彼らのデビュー曲。リーダー、平沢進が「プロデユースしてもらえないかと四人囃子のライブに訪ねてきた」ことから始まった。佐久間正英が四人囃子とPLASTICSを掛け持ちしていた時期だ。70年代から80年代。構築されたロックと対照的に重厚さを排したテクノポップ。その両端を融合させる佐久間プロデユース。P-MODELはPLASTICS、ヒカシューと並んでテクノポップの御三家となった。
    3. COPY ('79 UK VERSION) / PLASTICS
      • 楽曲解説
        COPY ('79 UK VERSION) / PLASTICS
        テクノポップは、テクノロジーとロックという意味での革命だった。リズムボックスがもたらしたロックの大衆化。ヴォーカル・ギターの中西俊夫はイラストレーター、ヴォーカルの佐藤チカはスタイリスト、ギターの立花ハジメはイラストレーター、リズムボックスの島武見は作詞家だ。結成は76年。佐久間正英は78年に参加、テクノポップバンドとして道筋をつけた。この曲は79年11月発売のデビュー曲。イギリスのレコード会社、ラフトレードからも発売。海外からの評価も高く、ニューヨークのマネジメント会社に所属、ワールドツアーも成功させている。クラフトワークとアンデイ・ウオーホールに触発された日本のポップカルチャーの代表曲だ。
    4. ヴァージン・コンプレックス / SKIN
      • 楽曲解説
        ヴァージン・コンプレックス / SKIN
        実を言うとこの曲に対して何の知識もなかった。81年7月発売のアルバム「ZUN ZUN」の中の曲。彼は「TVのオーデイション番組で出てきたバンド。彼らがやったおかげでその後のBOØWY以降のビートバンドに対応出来た。自分にとっては忘れられない曲」と言った。シンプルなリフと抑揚を排した切れの良いビートの繰り返しはパンクからテクノロックへの移行期を感じさせる。それでいて重心の低さは明らかにロックバンド。間奏のシンセの華やかなきらびやかさは時代の気分だろうか。彼が「PLASTICSをやめてニューヨークに残るより東京のシーンが刺激的だった」という時代の産物。東京発80年代バンドシーンの知られざる一曲だ。
    5. むらさき / はる
      • 楽曲解説
        むらさき / はる
        この曲も初めて聞くという方が多いのではないだろうか。映画「大奥十八景」主題歌、イメージアルバムも担当したニューウエイブバンド。彼は「忘れられない1組」と言った。「この1枚だけでしたけど、すごかった。青柳君というヴォーカルは早稲田出身で聖飢魔IIの後輩で、聖飢魔IIが優勝したコンテストの翌年の優勝か準優勝バンド。芝居がかっていて他ではあり得ないヴォーカルでした」。佐久間正英は、母親が三味線と日本舞踊の師匠だ。異端の和風テクノに対しての好意的な姿勢も彼ならでは。「彼とは今もつきあいがあります。特別な才能の人たちは長いつきあいになりますね」。彼らもその後、会社との軋轢で姿を消してしまったという。
    6. Private Eyes / RAZZ MA TAZZ
      • 楽曲解説
        Private Eyes / RAZZ MA TAZZ
        彼は「仕事は断らない。もし、自分に断られた人がいたら、それは100%スケジュール上の理由」と言った。それは「どんな音楽でも面白い」からだ。ここに納められている曲がどれも個性的なのはその証明だろう。ただ、そういう個性派ばかりの依頼が来るわけではない。RAZZ MA TAZZは89年結成、94年にフォーライフレコードからこの曲でデビューした5人組。素直な育ちの良さは「普段やらないタイプで面白かった。最初はどうしたら良いのか分からなくて戸惑ったんですけど、その中で素直さ,自然さをどう出すかという方向になっていった」。必ずしも大きな結果が出なかったものの、忘れられないバンドの一組として残ることになった。
    7. ひまわりの花 / 早川義夫
      • 楽曲解説
        ひまわりの花 / 早川義夫
        佐久間正英が和光大に進んだのは、最初に衝撃を受けたバンド、ジャックスの早川義夫がいたからだ。バンド解散後ソロアルバムを一枚発売、本屋の主人になり94年にソロ活動を再開。この曲は95年発売の再開後二枚目のアルバムタイトル曲。彼はその時のことを「永遠の恋人みたいなもの。片想いだった人とやっと両想いになれた」と言った。2003年にCes Chiensを結成、病気発覚後もライブを行い、2014年1月22日にライブの予定もあった。「全く”孤”の世界に入って、その中で昇華してゆく感じは他での演奏では経験出来ない不思議な感覚」。技術や知識では解明出来ない精神世界。それは彼が最後に求めた音楽の快感だったのかもしれない。
    8. なんかいいこと / エレキブラン
      • 楽曲解説
        なんかいいこと / エレキブラン
        どんな世界でもそうなのかもしれないが、才能と成功は一体ではない。才能は可能性に繋がっても成功を約束するものではない。音楽の世界でもそうだ。エレキブランは今もソロで活動するイズミコウジロウ(VO・G)ハダヨシコ(B)ナカザワトモコ(D)という3人組。92年に結成、94年にメジャーデビューした。この曲は96年のシングル。男女3人のハーモニーとイギリスで広がったネオ・アコの流れを組む軽さとキャッチーさ、それでいてねじれた歪みも感じさせる。97年の解散後も根強いファンがいる。「繊細で大好きなバンドだった。イズミコウジロウ君は天才だと思っていたんで、どうしても入れたかった」という一組だった。
    9. コイビト / ROBOTS
      • 楽曲解説
        コイビト / ROBOTS
        佐久間正英の中にあるアーテイストへの愛情は一種の父性愛なのではないかと思うことがある。才能や可能性を持ちつつ正当な評価を受けられないミュージシャンへに対して向けられた温かい視線。関わったバンドやアーテイストのその後の関係にも表れていそうだ。JUDY AND MARYのギタリスト、TAKUYAもそんな一人だろう。「ポジションの探し方というか、ギタリストとしての立ち位置の見つけ方が特殊でしたね。特に、何が格好いいかという着眼点が他のギタリストと違うんです」。彼のTAKUYA評である。この曲は97年9月発売、JUDY AND MARYと平行していたソロユニットのデビュー曲。最後まで近しかったミュージシャンの一人だった。
    10. 君に触れるだけで / CURIO
      • 楽曲解説
        君に触れるだけで / CURIO
        バンドの成功は才能や運だけではない。思いがけない出来事で運命が一変してしまうこともある。95年に結成されて97年にメジャーデビューしたCURIOもそんな1組かもしれない。95年のNHK BSヤングバトル決勝大会に進出した大阪の4人組。デビューアルバムからのプロデユースだった。この曲は2枚目のシングル「ときめき」のカップリング。自己最高位のシングルチャート14位。ジュデイマリやTM Revolutionも担当した「るろうに剣心」主題歌というところにもレコード会社の力の入れようが分かる。アルバムチャート7位を記録した98年の2枚目「Sweet&Bitter」も彼だ。一癖あるポップロックバンドとしての期待株は、2000年に活動休止。2003年に解散するも今は再結成、活動中だ。
    11. DEEP KISS / BY-SEXUAL
      • 楽曲解説
        DEEP KISS / BY-SEXUAL
        「あのレコーデイングがなければ今の自分はない」。BY-SEXUALのベーシスト、DENは、2013年8月に佐久間正英が癌を告白した時に、自分のブログでそう書いていた。BY-SEXUALは、88年に大阪で結成、90年にメジャーデビューしたビジュアル系4人組。この曲は92年発売の9枚目のシングル。彼が書たのは、この曲のレコーデイングについてだ。生意気盛りの若気の至りで「知らねえよ、そんな人」と勇んで望んだものの、同じ楽器を使った音の技量の違いを見せつけられ、そこから「怒濤のスパルタ佐久間塾(笑)」が始まったこと。最終段階の音作りで、自分の至らないベースを彼のピアノがさりげなくフォローしていることに気づいて感動したことなどだ。彼は「勝手に弟子だと思い込んでます」と感謝の言葉を連ねていた。
    12. 壊れていくこの世界で / PIERROT
      • 楽曲解説
        壊れていくこの世界で / PIERROT
        “点”の出会いと“線”の関係性ということで言えば、この曲は“点”と言うことになる。PIERROTは、95年結成、98年にメジャーデビュー、その半年後に武道館公演を成功させている。作詞作曲をするリーダーのヴォーカル・キリトの陰陽の美意識的なこだわりやメジャーに在籍しながら独自性を失わない存在感を持っていた。この曲は、2002年のシングル。レコード会社移籍後3作目。佐久間正英が手がけた唯一の曲。タイトルは象徴的。ストリングスを配したスケール感は、ビジュアル系の範疇に止まらない。「キリト君がクールな人で、どう接していいか気を遣いつつでした。意外に難しかったですね」。シングル1枚でも忘れられないという曲だ。
    13. クローバー / cune
      • 楽曲解説
        クローバー / cune
        「2000年代は売れるものと売れないものが明確になってしまって、売れないものはその後、続けようがなくなってしまった」。彼は、2013年の秋のインタビューでそう言っている。その中でcuneについては「うまく行ったけど、惜しかった。本当にもったいないと思います」と話していた。cuneは、小林亮三(VO・G)生熊耕治(G・CH)中村泰造(B・CH)、大北公登(D・CH)の4人。グループ名は“胸キュン楽曲”の意。インデイーズ時代からメジャー3枚目のシングル、2枚目のアルバムの途中までが彼だ。この曲は2002年発売の3枚目。多くのバンドがそうであるように佐久間プロデユースが自己最高位という1曲。まさに胸キュンの隠れた名曲の1つ。
    14. ショッキングエクスプレス / オーノキヨフミ
      • 楽曲解説
        ショッキングエクスプレス / オーノキヨフミ
        ここに選ばれている曲の中で数少ないソロ・アーテイスト。78年北海道北見市生まれ。高校卒業後に札幌でストリートライブする傍ら始めた宅録が事務所の目にとまった。ザ・ビートルズやサイモン&ガーファンクル、桑田佳祐らを敬愛、路上フォークに収まらないイマジネーションを持っていた。2004年4月発売のデビュー曲「平凡」は、佐久間正英がベース、ドラムは屋敷豪太。この曲は2枚目。彼がスコアを書いたストリングスとスライドギターが印象的。「個人的には好きだったんですけどあまり売れなかったですね。ニヒルで、熱く語っているときも冷静な視点を持ち併せているんです」。この曲のPVは浪人姿の時代劇。「よく出来ていて面白いですよ」とお勧めだった。
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    15. 陽の光さえ届かないこの場所で feat.SUGIZO / 雅-miyavi-
      • 楽曲解説
        陽の光さえ届かないこの場所で feat.SUGIZO / 雅-miyavi-
        「今までは売ることを目的に音楽を作っていたけど、もう,音楽を作ることの目的は売ることじゃないと思う」(BARKSインタビュー)。従来の環境を飛び出して自由な冒険を続けているアーテイストとの共同作業。それは“仕事”という次元にはない。改めてそう思わせてくれるのがこの曲。雅は81年生まれ、ビジュアル系バンドを経て2002年からソロ活動を開始、アコーステイックギターの型破りな奏法と過激なビジュアルや海外から見た日本という独自な視点。この曲は、彼が手がけた2008年のアルバム「雅-THIS IZ THE JAPANESE KABUKI ROCK-」の先行シングル。ビジュアル系とプログレが融合した日本のロックの到達点を思わせる一曲だ。
    16. ダンボールに囲まれて / ウラニーノ
      • 楽曲解説
        ダンボールに囲まれて / ウラニーノ
        佐久間正英が最後まで関わりのあったバンドが彼らだろう。作詞作曲をする山岸賢介(VO・G)と小倉範彦(D)の2人組。2003年に埼玉大学の音楽サークルで結成された。2007年から彼がプロデユースしていた。「歌に全部物語があるんですね。それも今は珍しいストーリーグッと来る短編小説のようなものばかり。ものすごく好き」。去年の10月発売のアルバム「音楽はあるか」も彼のプロデユース。映画「BEAT CHILD」の主題歌も歌う。去年の10月26日に西川口ハーツで行われたツアーの初日には病院を抜け出した彼の姿があった。この曲は、2010年5月発売、メジャー2枚目のシングル。格差社会と言われ出した頃の若者達の心情を唄った名曲だ。
    17. Last Days / Masahide Sakuma
      佐久間正英(Guitar, Bass, Apf), TAKUYA(Vocal, Guitar, Background Vocal), 屋敷豪太(Drums), 生田絵梨花(Apf, Background Vocal), 佐久間音哉(Keyboards, Programming)
      • 楽曲解説
        Last Days / Masahide Sakuma
        それは経験したことのない透明な空間だった。2013年12月13日、横浜のランドマークスタジオ。集まっていたのは佐久間正英、TAKUYA、屋敷豪太、彼の従姉妹の娘、乃木坂46の生田絵梨花、そして息子の佐久間音哉。レコーデイングしていたのは、病気発覚後に書いた「Last Days」。彼と一緒に詞と曲を書いたTAKUYAが歌った。誰もが、この時が最後のレコーデイングになるかもしれないことを覚悟している。延々8時間に及んだレコーデイング。彼は、最後に自らベース・ギター・ピアノを弾いた。それは病人とは思えない神々しい姿だった。息を引き取ったのは、この曲のマスタリングにOKを出したその夜だ。まさに遺作である。
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佐久間正英プロフィール

  • 1952年:東京都文京区生まれ。

    1970年:和光大学入学。

    大学卒業後、「四人囃子」にベーシストとして参加する。

    80年初頭には海外でも高い評価を得た革新的なテクノポップバンド「PLASTICS」のメンバーとして活躍、P-MODELのプロデュースをかわきりにBOØWY、GLAY、JUDY AND MARY、エレファントカシマシ、黒夢、くるりなど数々のロックバンドを手がけ、現在に至るまで日本のロック・ポップス界に多大な影響を与え続けた。2014年1月16日、残胃癌により永眠。

  • 佐久間正英

Liner Notes

日本の音楽シーンでプロデユーサーの存在が脚光を浴びるようになったのはそんなに古いことではない。世間的な認知度という意味では90年の半ばからだろう。一人のプロデユーサーの書いた曲がヒットチャートを席巻するようになってからだ。”プロデユーサーの時代”という呼ばれ方をするようになったのがその頃だ。もちろん、それまでも存在した。でも、その多くがレコード会社の役職者や制作プロダクションの主催者である。つまり、金銭的な責任や作品全体を統括することが主たる役割だった。

佐久間正英は、彼らとは決定的に異なっている。彼はどこにも所属しないフリーランスであり自立していた。自らも世界に認められたミュージシャンで、しかもベース、ギター、キーボードとこなすマルチプレイヤーであり作曲家。更に自ら設計したスタジオも持ち、独自開発のギターブランドも持っている。つまり一人のアーテイストと楽曲が世に出て行くあらゆる過程を把握習得する究極の音楽人だった。

とは言うものの、自省と自責を込めて言えば、生前に彼の功績が正当に評価されていたとは言いがたいではないだろうか。それぞれのバンドやアーテイストのファンの間では知られていてもキャリア全体に光が当たる機会は多くなったように思う。彼自らが選んだこのベストアルバム「SAKUMA DROPS」は、そのための最高のアイテムと言える。1978年の「東京ワッショイ」から2013年の「Last Days」まで丸35年間。手がけたアーテイストは約140。その中からのDISC1は「当然、入れなければいけない売れた曲」で、DISC2は「売れた売れないに関わらず印象深かった忘れられない曲」だ。その顔ぶれの豪華さに改めて驚く人が多いに違いない。80年代以降の日本のロックの歴史そのものと言って過言でない。

これだけの実績を残しつつ語られることが多くなかったのは、ひとえに彼の姿勢もあった。裏方指向というのだろうか。生前最後となったインタビューで彼がきっぱりと口にしたのは「音楽はアーテイストのものであってプロデユーサーのものではない」だ。「自分の色が出たらお終い。佐久間がやったと思われたら負け」とも言った。それぞれの個性を伸ばす。どうすればそのバンドやアーテイストが求める音を作り出せるか。彼のプロデユースを受けたバンドには、楽器の選び方や演奏、あるいや録音の仕方から教わったという例も少なくない。ここに納められた曲にプロデユーサーの自意識やエゴを感じないことの答えがそれだった。荒削りで未完成な新しい才能を世の中に送り出すことに力を貸す喜びや楽しみ。それは”助産”と言った方が良いかもしれない。「SAKUMA DROPS」は、色も形も味も違うその一粒一粒が愛情の結晶でもあると思う。

彼が、癌に侵されていることを告白したのは2013年8月。それ以降は打って変わったように饒舌になった。あたかも遺言のように語られる言葉の中には「音楽家が音楽を作れなくなる」という危機感がにじみ出ていた。ここ数年、彼のような才能あるミュージシャンがプロデユーサーとしてめざましい活躍を見せている。その先駆であり指針となるのが佐久間正英であることは言うまでもない。レコード会社の枠を超えて実現したこのコンピレーションが、時代の波にさらされている音楽業界への刺激になることを、彼も遠い空の彼方から願っているのではないだろうか。

田家秀樹

Artist Comment

  • Angel Duster / THE STREET SLIDERS

    レコーディングのスタジオに佐久間さんの柔らかな佇まいと笑顔があるだけでもうサウンドが鳴ってた気がします。
    一緒に音を作った日々と佐久間さんのこと、ずっと忘れません。

    土屋公平
  • KISS IN THE MOONLIGHT / UP-BEAT

    佐久間さんはアーティストの個性を最大限に引き出してくれるプロデューサーでした。
    予想外なアイデアを出すと「面白い」と言ってそのまま伸ばしてくれる。「KISS IN THE MOONLIGHT」はサビが3回あるんだけど、サビを抜ける所のコードとメロディーが3回とも違ってる。シングルとしてはかなり変な作りだけど「個性」という判断。間違った方向には絶対に首を縦に振らないけど、間違ってなければ「どんどん何でもやりなさい」というスタンス。
    もし佐久間さんと出会っていなかったら、UP-BEATはもっと早い段階で崩壊していたと思うし、今でもミュージシャンとして活動している僕も無かったと思います。
    佐久間さん、ありがとうございました。

    広石武彦
  • Miracle Play 天使が降る夜 / dip in the pool

    佐久間さんが使う音楽に対する誉め言葉に”ありがたい”というものがある。
    「このギターの音、ありがたいねぇ」「この曲はありがたいねぇ」みたいな言い方。
    「『Miracle Play 天使が降る夜』はホントありがたい曲だよねぇ」…そんな音楽を一緒に作ることが出来て、ありがたき幸せ。

    木村達司(dip in the pool)
  • 暴いておやりよ ドルバッキー / 筋肉少女帯

    筋肉少女帯で2枚のアルバムをプロデュースしていただきました。
    ちょうどバンドが音楽的に転換期だったので、佐久間さんの包みこむようなアドバイスが本当にメンバー一同うれしかった。一度、佐久間さんのイベントで、佐久間さんがプロデュースしてくれた曲を、佐久間さんまじえて、筋少が横一並びにカラオケで歌ったことがありました。先に亡くなった者が、天国の上から人々を優しく見守り、時にアドバイスを与えるという内容の歌詞の曲でした。
    ご冥福をお祈りします。

    大槻ケンヂ(筋肉少女帯・特撮)
  • 12月はいつもレイン / SCANCH

    中学二年生の時、四人囃子の『ゴールデン・ピクニックス』を友人の奨めによって購入しインフルエンザ発症時に「泳ぐなネッシー」をヘッドフォンで聞いた私は人生初のサイケデリックトリップを体験し、それまでの価値観をすべて覆された!
    その日以来、熱狂的な四人囃子フリークスの私が、佐久間正英氏と初めて仕事させていただいたのは、すかんちの5枚目のアルバム『GOLD』ございました。佐久間氏はもちろん色々な録音テクニックを教えてくださいましたが、その中でも一番印象が強く、且つ自分の中で今でも燦然と輝いているのが一般的なピッキングとは逆のアングルでギターの弦にピックを当てる佐久間式のピッキング。佐久間氏は海外ミュージシャンが実践する、このピッキング方法をご自分がプロデュースするギタリストに必ず伝授されておりました。私ROLLYはその日以来ずっと現在も佐久間式ピッキングを続け、また後輩のギタリストにも佐久間式を広めようと今日も活動しております。
    佐久間さん本当にありがとうございました!

    ROLLY
  • 東京 / くるり

    氏と初めて一緒にやったレコーディング、思い起こせば、当時キャリアのない自分たちにとって、まず音の良さが感動的だった。佐久間さんは、王道のサウンドを追求していらっしゃるように見えて、普通ならこうするよね、という所を直感的に斜めから切り込み、ポップな曲なら正反対のアブストラクトな音を、パンクロックなら全く正反対のジャズ的なギターのトーンを、といった風に、一筋縄ではいかないけれど、常にエクスキューズをバンドに提供してくれた。風通しのいい現場と、1音1音を大切にしてくれる素晴らしい耳。自由かつ柔軟なお人柄で、作業がとにかく楽しかった。目黒のドッグハウス・スタジオ近くの公園で、寒い中2人でギターとアコーディオンのセッションを録音したのがとてもいい思い出。今もなお、自分はしっかりと佐久間さんのある部分を受け継いでいる気がします。

    岸田 繁

    「ピック弾きで指弾きの音とかスラップの音を鳴らすのが一番難しいから、僕はピックでベースを弾いているの」
    佐久間さんが何気に質問に答えてくださった言葉は、デビュー前の自分には到底理解できる答えじゃなかったけど、まずは良い音を鳴らす努力が大事なんだと鮮明に当時の自分にインプットされました。そして、環境、機材、楽器の力を借りて「良い音」とは何かを教えてもらえたのが、佐久間さんとのレコーディングだった気がします。これからも精進していきます。ありがとうございました。

    佐藤征史
  • プラネットマジック / N'夙川BOYS

    佐久間ジックできらきらと、光を帯びたプラネットマジックが、色とりどりのドロップスの中に在る事が、佐久間さんからのラブレターやと勝手に、想ってます。
    とけない魔法をありがとう佐久間さん。

    リンダdada

    佐久間さんにレコーディングしていただいた曲は、「プラネットマジック」、「Freedom」、「24hour」、「路地裏BE-BOP」、BUCK-TICKさんのトリビュート「Empty Girl」という5曲です。「路地裏BE-BOP」では佐久間さん直々にベースもプレイしてくれました。一緒にスタジオに入って練習など一切なしで、初めて聴く歌とギターとドラムしか鳴ってない曲に同時進行でベースをサクサク録音していく佐久間さんに、ほんまスゲーなこの人と心の底でゾクッとしながらブース後ろで見てました。穏やかでとても親切に接してくれる佐久間さん、しかしやはりロック気質な一面も多々あり、たまに飛び出す毒舌などにも震えました。楽しい思い出ですが、俺がね、ごちゃごちゃうるさかったんやとおもいます。「はいっ、マーヤは寝といてください」とミックス作業中スパッと言われたのは「うぉっ」となった記憶がございます。最後に録音してくれた時の終了時、たくさん生意気を言ってすいませんでしたと話したんすが、佐久間さんは「最近はこうしたいんだと主張するアーティストがへってきている、しっかりヴィジョンを持ちどうしたいのかしっかり伝えるということは大切なことだからそれでいいんだよ!」と、返してくれました。いちミュージシャンとして、先輩として、頂けたエールだと思ってます。佐久間さんとのレコーディングで得た知識や思い出をしっかり胸に刻み付けロックンロールしていきます。ありがとうございました。

    マーヤLOVE

    佐久間さんとのレコーディングは音楽の深さ、自由な表現の可能性、楽しみ方、アートとの向き合い方など様々ことを学ばせていただきました。またライブでは同じステージで演奏させてもらい、今でもその曲をプレイする時は佐久間さんのサウンドが心の中で鳴り響いています。名だたる先輩アーティストと共に『SAKUMA DROPS』に収録していただいたことにとても感謝しています。本当に有り難うございました。

    シンノスケBOYs
  • 東京ワッショイ / 遠藤賢司

    『佐久間正英ワッショイ!』
    1978年、渋谷は、キャバレーロンドンチェーンの三階に、ライブハウス渋谷屋根裏は、在った。僕は、僕の新アルバムに、イギリスでもアメリカでもない、日本人の、東京の音が、欲しかった。四人囃子の大迫力生演奏のち、汗だくでベースを抱え、控室へ向かう佐久間くんを、客席で呼び止めた。「おお!勿論やりたいです。高校の時買ったシングル盤『本当だよ』大好きなんです」と、初対面のお公家様顔は、にょろっと、歯を剥いた。そして、確か、初夏から秋にかけて、他人から見ると、かなり奇想天外らしい僕の構想を、画の視える音楽にすべく、佐久間くん、岡井大二くんたちとの、空前絶後800時間にもわたる、【東京ワッショイ】の録音が、始まった。そして、その800時間、いつも皆、クスクスと、時には腹を抱えて、兎に角、笑ってた。

    この世には、あの世という願望は在るけど、皆目、分からないので、「そろそろ、君と、も一度、一緒に、録音したかったよ。お人好しで、のんびり優しく、何にでも真摯に応えてくれる、君が居たから、「東京ワッショイ」は、今日においても、完璧です。衷心よりありがとうございました。「佐久間正英ワッショイ!」

    象形文字で謳う!言音一致の純音楽家 エンケン
  • 美術館で会った人だろ / P-MODEL

    優しい数学者のような風貌。 どんな音楽家や業界人の類型にも当てはまらない、等身大で清潔感の漂う誠実な方でした。デビューアルバムプロデュースのオファーを頂いた時、警戒心の強いP-MODELも「佐久間さんなら信頼できる」と即決したものです。

    平沢進
  • COPY ('79 UK VERSION) / PLASTICS

    まーちゃんと過ごしたプラスチックスの時代は異常に濃い奇跡のような時間でありヨーロッパ、アメリカツアーはメンバー、スタッフ我々全員にとって希有な体験だった。
    そして作品は永遠に近いくらい未来にも残るそれを誇らしく思っている。

    中西俊夫

    P÷1/5=m.p×1/5=M.な感じですね。
    WTの時はいつも同室。静かに2人で睡眠薬の数を数えてました。

    島武実
  • むらさき / はる

    「むらさき」という楽曲を歌いました。当時佐久間さんはまだ30代であったと思われますが、常に不思議な静けさを漂わせセントバーナードを従えて、決して無理強いはせず、微笑みを持って我々を見守っていてくれました。河口湖のスタジオでのリハ合宿の事など懐かしく思い出します。 佐久間さんありがとう。そして さようなら。

    青柳亨
  • Private Eyes / RAZZ MA TAZZ

    今から20年前、僕の音楽人生のスタートは佐久間さんとの出会いでした。まだ青春の延長の光の中にあった「Private Eyes」を素敵な作品に仕上げてくださいました。いつも猫の毛を服に くっつけてスタジオに現れた、僕らにとっての音楽の先生でした。音楽は愛と光となって永遠に残されます。この楽曲を作曲したギターの故三木拓次と、天国で一緒にセッションしてくれてたら嬉しいです。

    阿久 延博
  • ひまわりの花 / 早川義夫

    佐久間正英さんから「あれ?何で俺はこんなことが弾けるんだ?何でこんなに自由に演奏できるんだ?」と言われたことがある。「自由に弾ける」ということは、いったいどういうことなのだろう。おそらく、ふたりの間には言葉を交わさずとも、同じ音楽が流れていたのだと思う。

    早川義夫
  • なんかいいこと / エレキブラン

    収録曲は俺の昔のバンドのもので、当然、佐久間さんと録音したもの。スタジオにパンジーとキウイが遊びに来るレコーディングは楽しかった。そして佐久間さんがあまりにこちらの思考や、先に起こる事象を読み取る事に長けているので、バンド内では「佐久間正英宇宙人説」がまことしやかに流れた。時は経ち、佐久間さんが病気を告白なさる直前、久々にライブで共演する機会に恵まれた。佐久間さんは俺のステージを観てから重大なアドバイスを下さり、俺はそれを活かし、前へ進めた。その成果を見てもらうことは叶わなかったが、残念だとは思っていない。だってきっと、宇宙人は何もかもお見通しだったろうから。

    イズミコウジロウ
  • 君に触れるだけで / CURIO

    「君に触れるだけで」は、CURIOの1stアルバムで佐久間正英さんに数曲プロデュースをしていただいた後の、出会って2年目の共同制作でした。バンドデモの段階では詰め込みすぎていたアレンジを、解きほぐしてきちんと並べていただきました。こんなに間引いていいのかなと思ったほど。でも今聴くとまだ音数多いですね(笑)。佐久間さんにはずいぶん苦労をお掛けした楽曲でしたがCURIOの代表曲として今も演奏させていただいております。ありがとう!佐久間さん。

    CURIO
  • DEEP KISS / BY-SEXUAL

    佐久間さんとの出会いは、DEEP KISSのレコーディングでした。あの頃の私は恐ろしいほど無知で勢いだけで唄っていました。
    それまでのレコーディングとは違い淡々と作業を進める佐久間さん。メンバー間で「絶対ロボットに違いない!」と話をしていたものです。そんな佐久間さんから「あの歌い方良かったね」と一言。堪らなく嬉しくなった事を今でも覚えてます。
    そして今から3年程前にある場所で16年振りに偶然再会。そこにはとても楽しそうに赤ワインを飲み仲間と語り合っているナチュラルな佐久間さんが居ました。
    その時に一言「SHOやん、また唄わないの?」って....
    堪らなく嬉しさが込み上げ、あの時と同じ気持ちが甦りました。

    SHO

    BY-SEXUALの「DEEP KISS」、この曲からアルバムレコーディングへと佐久間さんと作らせていただきました。
    佐久間さんと過ごす時間はとても緩やかに流れ、スタジオ中に流れる空気の清らかさに驚き、そしてその空気がとても居心地の良いものだった事を憶えています。
    何も知らない、何も出来ない、何も解っちゃいない
    間違いだらけの僕らの音楽の良いトコ伸ばして頂きました。

    RYÖ

    佐久間さんと初めての出会いとなった曲BY-SEXUALのシングル「DEEP KISS」。
    あれから20年以上が過ぎましたがあの時、佐久間さんに出会っていなかったら恐らく僕は音楽を続けて行けなかったと思います。
    この曲のレコーディング後に行ったアルバムレコーディング時に佐久間さんからBASSの弾き方を教わりました。教わる際に「まずどうしたらイイですか?」との僕の言葉に「まず爪を切りなさい!」と佐久間さん...そして「ハイ!」と従いパチパチと爪を切る僕に「そうやって、すぐ人の言う事を聞くからダメなんだよ(笑)」
    スタジオ内は僕以外、大爆笑!
    真面目で冷静そうに見えるけど実は茶目っ気たっぷりな佐久間さん。
    僕はそんな佐久間さんが今も大好きです。

    DEN

    DOG HOUSE STUDIO
    そこは今まで大きなブースでしかRECをした事のない自分には衝撃的でした。
    こんな所で何が出来るんだ?
    これが正直な僕の感想でした。
    たった4畳半程のブースとコンソールルームだけのスタジオ。
    しかしそのスタジオで起きるマジックに只々ビックリするだけでした。
    そこでは数々の日本の代表作が出来ました。
    その1枚として僕等の音楽にマジックを起こしてくれた佐久間さん。
    今でも自分の楽曲製作の参考にさせて頂いてます。
    本当に有り難うございました。

    NAO
  • ショッキングエクスプレス / オーノキヨフミ

    「ちょっとこの曲歌ってるんだよこの人!」そう言って佐久間さんがご自身の音楽仲間にYouTubeで「ショッキングエクスプレス」のPVを再生したのは、お亡くなりになる約1年前の2013年2月。その時の子供のような笑顔が忘れられない。僕はこの日、佐久間さんに作っていただいたばかりのテレキャスターを受け取りに、目黒のスタジオを訪れていた。この夜、佐久間さんと語ったのは、楽器のこと。音楽のこと。生き方のこと。話しながらこの曲のレコーディング当時の事を思い出した。コンソールの前で素直に良いものを追及していくその姿勢。時代や音楽業界の形が変わっても、その姿勢は10年前とまったく変わっていなかった。佐久間さんがふれた多くの曲たちは、そんな単純で純粋な思いに満ちている。もちろん、生み出した楽器達にも。それらはこの先もずっと残っていくのだろう。
    この日、佐久間さんが「この人みたいな才能を持つ人とまた仕事をしたい」と言ってくれたこと。この時は恐れ多くて照れ笑いしか出来ませんでしたが、実は音楽を続ける大きな原動力になっています。ありがとう。

    オーノキヨフミ
  • ダンボールに囲まれて / ウラニーノ

    ウラニーノはインディーズ時代から最新作まで7年間、佐久間さんにプロデュースしていただきました。制作現場での佐久間さんは、いつでも静かに見守ってくれ、そして確かに導いてくれる人でした。静かすぎるなと思ったら寝ていることもよくありました(笑)
    「アーティストに最も必要なものは根拠のない圧倒的な自信」。そう教えてくれた佐久間さんのもと、のびのびと表現をさせてもらえたことは、この上ない幸せな経験でした。シングルでありながら自分たちの色を出し切ったこの曲を選んでくれたことも、最後にまた佐久間さんに背中を押されたような気がしています。

    山岸賢介
  • Last Days / Masahide Sakuma

    僕のソロでのデビューシングル「コイビト」
    JAM唯一のシングルチャートNo1「そばかす」
    そして師との最後のセッション「Last days」
    この3曲以外にも佐久間さんとの思い出のレコーディングは沢山あるけど、最後にソファーに倒れたまま、何度もサムズアップで頂いたプロデューサーOKを僕は生涯大事にこの先も佐久間さんにOKもらえるような演奏、音楽がんばります!

    TAKUYA

    風の様な人、風を操れる人。
    迷っていると追い風をくれて背中を後押してくれたり、集中したい時には無風にしてくれたり。
    辺りがはしゃぎ過ぎてるとクールな風になったり、辺りが沈み気味の時には暖かい風で僕らを和らげてくれる。
    自分自身は風だけにスルッと無理難題を通り抜けられる人でした。
    人間的にも音楽的にも包容力があり、知恵と才能を兼ね揃え世界でも通用出来る人でした。
    でも、日本の音楽シーンを盛り上げる事に本当の意味で命を捧げて来た人です。

    屋敷豪太

    佐久間さん、そして素晴らしいアーティストのみなさんに囲まれて、本当に貴重な経験でした。

    レコーディングの時はプロの姿を目にしてたくさん刺激を受けました。
    その中で、佐久間さんに「のびのびと楽しんで」と言っていただきリラックスしてみなさんとセッションを楽しむことができました。

    こんな素敵な機会をもらえたことに感謝しています。

    佐久間さんの最後の作品で、自分も一緒に音を吹き込むことができて、本当に光栄です。

    このアルバム『SAKUMA DROPS』には、色とりどりのドロップのように佐久間さんがプロデュースしてきた色んな年代の様々な曲が入っているので、私も佐久間さんの集大成を聴くのを楽しみにしています。

    乃木坂46 生田絵梨花

    ある晴れた週末の午後。父と僕はソファに座って話していた。
    「アルバム用にアンビエントテクノぽい曲を3曲作ってくれない?」
    アルバム『Last Days』を計画していた彼は僕に曲のオファーをしてきた。結局アルバムは作れず、この表題曲が遺作になってしまった。

    2014年1月15日、彼はその日マスタリングが終わったばかりのこの曲を聴き自らオッケーを出し、その夜、永眠した。

    佐久間正英が自身の最後の日々についての思いを描いたこの曲のレコーディングに参加できたことは今後の僕にとってとても大切なものになることだろう。

    佐久間音哉

Special Movie

Masahide Sakuma - Last Days 【MUSIC VIDEO & DOCUMENTARY】