
青春って「漠然とした自信」だと思う。「俺なら出来る」っていう漠然。「耳目を集めてみせる」という漠然。「俺には俺の生き方がある」という漠然。
その自信には根拠があるのか。
今晩持ってきた「展覧会の絵/エマーソン、レイク&パーマー」は、イギリスの若者ミュージシャンのそんな「自信」が偶然何かのパワーを帯び、「あるはずのないものをこの世に出現させること」にまで昇華した傑作。
ロックがまだ形の定まっていなかった「あけぼのの時代」、1971年のライブ・レコーディング。ツェッペリンもストーンズもすでにあった。片やそれらと屹立する形で無数のロック的なものがあった。エマーソン、レイク&パーマー(EL&P)もそのロック的な一群のひとつに過ぎない。しかしかれらは「漠然」としてはなかった。そも、ムソルグスキー作曲・「展覧会の絵」の原曲など、およそロック的ではない。まず8ビートとは無縁。しかしEL&Pは原曲のフレーズの端切れをいっぱい持ちこんで、新しいビートでつなぎ合わせてしまう。彼ら自身だっていろんなジャンルのバンドから寄せ集まったトリオだから、次からつぎに個人プレイの飛び道具がくり出される。しかし「展覧会の絵」という布地にパッチ・ワークしていくと、漠としたものがちゃんと形をなす。のちのロック用語のグルーブとは無縁。だけどパーカッシブという縦糸が全編を貫いている。
腕に自信だけはある。ロック・ミュージシャンとしての自信ではない。異質のテクニシャンなのだ、そして独りよがりの。ましてやロック・トリオのワン・パートに徹する気などもともとない3人。どうなるかは分からないけど組んだバンドが「展覧会の絵」という獲物に3方向から喰らいつき、すべて食い尽くしたアルバム。
スナックでつい演説めいた。---だけどもう一度言う。こんなものがあるからますます俺たちは「漠然と自信を」持ってしまうのだ。「俺にも出来る」って。
(自身の50歳の誕生日にこのアルバムの前半を完コピしてライブで演ってみた、元青春のやつ)