第73回 いいモノ


あーかいーかいーかいー。乾燥肌が強烈にかいーわ。あー今日もまた忘年会だー。飲むと楽しいけどさー、眠いわ気持ち悪いわで・・・。「ん? う、うげげげ」・・・。
(そのまま倒れて寝ゲロ)

連日の忘年会によりマミの意識が朦朧としている為、本日は、総合マーケティング・コンサルタント岸利透氏による「曲がり角を迎えた音楽業界について」の第2回をお送りします。

「いいモノを作れば売れる」という考えが未だにはびこっているのはどうしてでしょう。何故あなたはお金を出してそれを買ったの?欲しかったからでしょう?で、それはいいモノ?別に必ずしもいいモノってわけでもないでしょう?「わ、なんだこれ。おもしれー」と思わず感じてプッと笑っちゃったものに心奪われて買っちゃったりした事もあるでしょう?別に自分がいいと思わなかったものでも、周りで流行ってるからつられて買っちゃったりしたものもあるでしょう?別に確固たる自分なんかないもんね、周りに左右されて買ったりもしたよね。自分のセンスの良さを周囲にアピールする為に買ったりもしたでしょう。くっだらないものに金を出す、そんな自分が好きで買ったりもしたでしょう。ね、よく考えてみてよ。必ずしも買ったものは「いいモノ」というわけでもないでしょう?なのに作り手は未だに「いいモノ幻想」に囚われてんだよね。消費者がお金出すに相応しいドラマがあれば別に「いいモノ」でなくたって構わないの。別に「いいモノ」を作る事を否定しない。でも売れる売れないの世界で「いいモノ」は絶対条件では決してないってこと。誰も指摘しないけど、ものすごーく根本的な話なんだけどね。制作者側の「いいモノ幻想」は、売れなかった時のエクスキューズなんだよな、結局。だいたい、「いいモノ」を誰が決めんのよ。まずそれをハッキリさせてくださいよ。ちなみに俺はいいモノ持ってるぜ(エロい含み笑い)。イッヒッヒッヒ。
play♪メリークリスマス、、、。/風味堂

 収録:「メリークリスマス、、、。
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街もなにもかも、Xmas色につつまれて、クリスマスの意味さえわからなくなりそう。でもそのおかげで恋人や家族との絆が確かめられるのなら、いいコトね。この曲もそうだけど、ビデオクリップがまさに愛。しかもドキュメント。しかもまだ作ってる、ってんだから、ビックリ!
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展覧会の絵 (K2HD盤) / エマーソン、レイク&パーマー




2005.09.28 / アルバム / VICP-63173 / ¥2,500(税込)

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 青春って「漠然とした自信」だと思う。「俺なら出来る」っていう漠然。「耳目を集めてみせる」という漠然。「俺には俺の生き方がある」という漠然。
 その自信には根拠があるのか。

 今晩持ってきた「展覧会の絵/エマーソン、レイク&パーマー」は、イギリスの若者ミュージシャンのそんな「自信」が偶然何かのパワーを帯び、「あるはずのないものをこの世に出現させること」にまで昇華した傑作。

 ロックがまだ形の定まっていなかった「あけぼのの時代」、1971年のライブ・レコーディング。ツェッペリンもストーンズもすでにあった。片やそれらと屹立する形で無数のロック的なものがあった。エマーソン、レイク&パーマー(EL&P)もそのロック的な一群のひとつに過ぎない。しかしかれらは「漠然」としてはなかった。そも、ムソルグスキー作曲・「展覧会の絵」の原曲など、およそロック的ではない。まず8ビートとは無縁。しかしEL&Pは原曲のフレーズの端切れをいっぱい持ちこんで、新しいビートでつなぎ合わせてしまう。彼ら自身だっていろんなジャンルのバンドから寄せ集まったトリオだから、次からつぎに個人プレイの飛び道具がくり出される。しかし「展覧会の絵」という布地にパッチ・ワークしていくと、漠としたものがちゃんと形をなす。のちのロック用語のグルーブとは無縁。だけどパーカッシブという縦糸が全編を貫いている。
 腕に自信だけはある。ロック・ミュージシャンとしての自信ではない。異質のテクニシャンなのだ、そして独りよがりの。ましてやロック・トリオのワン・パートに徹する気などもともとない3人。どうなるかは分からないけど組んだバンドが「展覧会の絵」という獲物に3方向から喰らいつき、すべて食い尽くしたアルバム。

 スナックでつい演説めいた。---だけどもう一度言う。こんなものがあるからますます俺たちは「漠然と自信を」持ってしまうのだ。「俺にも出来る」って。

(自身の50歳の誕生日にこのアルバムの前半を完コピしてライブで演ってみた、元青春のやつ)