Miho Hatori『Ecdysis』
みんな大好き!Cibo MattoのシンガーMiho Hatoriのセルフ・プロデュースによる初のソロアルバム''Ecdysis''が遂に完成!ニッポンが世界に誇るキュートでクリエイティブなアーティスト羽鳥美保が穏やかに歌い奏でる夢想の音楽的桃源郷!
キッチではなく正統的に世界で成功をおさめたに数少ない日本のポップ・ミュージックの一つがCIBO MATTO(チボ・マット)。そのアートスクール系ガールズ・パワーに魅了されデートを申し込んだ(共演した)男子ミュージシャンは枚挙にいとまがない;
Beastie Boys , Sean Lennon , Jon Spencer Blues Explosion , Handsome Boy Modeling School(Prince Paul+Automater) , Gorillaz(BlurのDamon Albarn他)etc…Cibo Mattoでぶっとばした大充実の20代を経て、Miho Hatoriが今、遂に完全セルフ・プロデュースによるソロアルバムを発表する。アルバム・タイトルの''Ecdysis''が意味する「脱皮」は現在のハトリ・ミホの心理的そして表現上のステイタスを端的に表している。自らの魅力で引き寄せて来た才能溢れる友人達との幾多のセッションを経て蓄えて来た個人的、内的な充実と円熟。いまこそ若さというさなぎが蝶という本当の人間的美しさへ脱皮する様を自らの手で描き始めた!なんという無邪気な才能!なんという澄み切った歌声とメッセージ!なんという迷いのないエネルギー!ハトリ・ミホは過去の栄光などどんどん脱ぎ捨てメリメリ進化し続けている!息の会ったNewYorkの友人ミュージシャンたちとのオーガニックな演奏と自らプログラミングした大胆且つきめ細やかなブレイクビーツの融合が紡ぎ出す夢想の桃源郷はニッポンのようでもあり、インドのようでもあり、ブラジルのようでもあり、バリのようでもあり、オキナワのようでもあり、ニューヨークのようでもあるけれどどこでもないようでもある。オノ・ヨーコ、ミカ(SadisticMikaBand)、チカ(Plastics)、サンディー(Sandii andtheSunsetz)、そして今ハトリ・ミホはこのソロ・アルバムをもって数少ない日本が世界に送り出した本当に才能有る女性アーティストの栄えある殿堂入りを果たしたのだ!
Written by Bamboo Boy
高橋健太郎ライナーノーツ
なんて気持ちの良い声なんだろう。彼女の声を知ってから、十年以上が過ぎているのに、あらためて、そう思ってしまった。
ただ歌が上手いとか、声質が魅力的だとか、そういうことではなくて、羽鳥美保の声を聞いていると、自分の中でポンと何かが動く感じ・・・もやもやしていた頭の中が澄み切っていく感じだったり、へなっていた背筋がぴんとする感じだったり、あるいは、食欲がもりもりと湧くような感じだったり・・・言葉ではうまく言い尽くせないけれど、そんな「効果」を持った声に触れた気がするのだ。
たぶん、それは羽鳥美保の声の中に、優れて彼女自身が滲み出ているからにも違いない。いつだってポジティヴ。イノセントな探求心に満ちていて、必要とあらば、躊躇なく、一瞬でエネルギー全開になるような思い切りの良さがある。チボ・マット時代からの羽鳥美保の音楽活動を知る者ならば、すでに彼女のそんなキャラクターを感じとってきたに違いないが、この初めてのソロ・アルバムにはよりダイレクトに、そんな彼女自身を感じとれる声と、その背後の広々とした空気が詰まっている。それは自分自身をよく知る、大人の女性になった彼女が作ったアルバムだからかもしれない。
僕が羽鳥美保の声を初めて聞いたのは、ちょうど10年前の夏だったか。ニューヨークのバワリー地区にあったフェズというクラブで、チボ・マットのライヴを観たのだった。チボ・マットのワーナーからのデビュー・アルバム「ヴィヴァ・ラ・ウーマン」のプロデューサー、ミッチェル・フルームがチボ・マットのライヴに遭遇したのは、その二週間後くらい。だから、結成してまもないチボ・マットのごく初期のギグ(というのが僕の自慢)だったのだが、その時点ですでに、チボ・マットとしての個性は確立されていた。サンプラーをかつてないアイデアで駆使する本田ゆかの独創的なサウンド。それに応える羽鳥美保の思い切りの良いヴォイス・パフォーマンス。ふたりの絶妙なコンビネーションは、一瞬にして観る者にインパクトを与え、以後、チボ・マットの快進撃が始まる。
1995年にインディーからのミニ・アルバムを発表したチボ・マットは翌年にはワーナーと契約し、アルバム「VIVA LA WOMEN」を発表。このアルバムはローリング・ストーン誌が選ぶベスト・ヒップホップ・アルバムの一枚に選ばれるなど、高い評価を受ける。とりわけ、ミュージシャンからの支持は高かった。
以後、97年にミニ・アルバム「SUPER RELAX」、1999年にセカンド・アルバム「STEREOTYPE A」を発表。また、その間にふたりはジョン・スペンサー・ブルーズ・エクスプロージョンのラッセル・シミンズらとバター08を結成してアルバムを発表したり、本田ゆかがショーン・レノンのデビュー・アルバムをプロデュースしたりする中、ニューヨークのダウンタウンのミュージシャン達によるチボ・マット・ファミリー的なサークルを生み出しても行った。
さらに、羽鳥美保個人に関していえば、シンガー/ラッパーとしての、様々なミュージシャンとのコラボレーションは枚挙のいとまがない。ビースティー・ボーイズのモンスター・ヒット・アルバム「HELLO NASTY」にゲスト・ラッパーとして迎えられたり、ブラーのデイモン・アルバーンの誘いを受けて、覆面ユニット、ゴリラズに参加したり。ジョン・ゾーン、ラッセル・シミンズ、ボルドウィン・ブラザーズ、アタミ、インクレディブル・モーゼス・リロイ、日暮愛葉などなどのアルバムにもクレジットを見つけることができるが、そうした中で、2000年前後からスタートしたのが、ベックのサポート・ギタリストであったスモーキー・ホーメルとのユニット、スモーキー&ミホだった。
羽鳥美保とスモーキー・ホーメルが知り合ったのは、ベックとチボ・マットが一緒にツアーした際だったという。ふたりはブラジル音楽への強い興味を通じて、意気投合し、2002年には彼ら自身のレーベル、アフロ・サンバから最初のミニ・アルバム「SMOKEY & MIHO」をリリース。続いて、同年、2枚目のミニ・アルバム「Tempo de Amor songs by Baden Powell」を発表。この2枚のミニ・アルバムは翌2003年には、未発表曲を加えた形でアルバム「人間の土地」として、日本のフォーライフ/グートからリリースされた。
羽鳥美保がずっと以前からブラジル音楽に関心を持っていたのは間違いなく、それはチボ・マットの幾つかの作品からも窺えるが、スモーキー&ミホはブラジル音楽の中でもとりわけ、1960年代にバーデン・パウエルらがバイーアの音楽や宗教儀式に触発されて生み出したアフロ・サンバ的なスタイルに強い影響を受け、多くのカヴァー曲も演奏していた。「人間の土地」の収録曲のうちの4曲はバーデン・パウエルとヴィニシウス・ジ・モラエスのアルバム「OS AFROSAMBAS」の曲を取り上げたものだった。
個人的な話をすると、僕もこの時期のバーデン・パウエルのアフロ・サンバ的な音楽が大好きで、そのきっかけはピエール・バルーが1967年にブラジルに赴いて撮った映画『サラヴァ』の中で、バーデン・パウエルが様々なミュージシャンと一緒に演奏するシーンを観てからだった。その魅力は洗練されたハーモニーを聞かせつつ、同時に土臭さや血の熱さといったものを感じさせ、さらに、どこか宇宙的だったりする、謎めいた感覚を持っているところにあると思うが、ロックやヒップホップで育った羽鳥美保がブラジル音楽の中でもとりわけ、バーデン・パウエルのアフロ・サンバに強い興味を持ったのも、同じような部分に惹かれてではないかという気がする。そして、それはこの初めてのソロ・アルバム「Ecdysis」により強く反映されているようにも思える。スモーキー&ミホでのトライアルをふまえつつ、より根源的なところで、日本人として、あるいは地球人としての自分自身を見つめなおした作品。そんな豊かさと拡がりがこのアルバムには感じられるからだ。
スモーキー&ミホは2005年にもライヴ活動を行っているので、活動を停止したわけではなさそうだが、このアルバムは羽鳥美保自身のセルフ・プロデュースで、まさにソロ・デビューというにふさわしい作品に仕上がっている。これまでは、どちらかというとヴォイス・パフォーマーというイメージが強かった羽鳥美保だが、このアルバムではサウンドの隅々にまで彼女自身の大胆かつ繊細な音感覚が張り巡らされているのが感じられる。
クレジットには当然のように、ニューヨークのダウンタウン系のミュージシャンが名を連ねるが、僕はこのアルバムのサウンドをいかにもニューヨークっぽいとは思わなかった。それよりもブラジルの故SUBAであるとか、プレフューズ73=スコット・ヘレンであるとかの音楽作りに近いものをこのアルバムに感じている。と同時に、クールになり過ぎず、どこか人懐っこい感覚を持っているのが、羽鳥美保らしい。
アルバムの2曲目の「a song for kids」は日本語で歌われる。スモーキー&ミホの「Summer Rain」という曲で初めて日本語で歌ってみせた羽鳥美保だが、この曲は日本のキッズに向けたメッセージだということ。さらに、アルバム中の他の英語の曲にも、日本と触れ合ったテーマやモチーフが見出されるものが少なくない。母へのプレゼントだという「in your arms」のイントロには沖縄の三線のようなメロディーが流れるし、死後の世界を夢想した10曲目の「The river of 3 crossings」のタイトルはそのまま「三途の川」であろう。というようなところを見ていくと、いつのまにか、ブラジリアン・ビートと思っていたパーカッションが日本的なトライバル・ビートに聞こえてきたりもするところが、このアルバムの面白さだったりもする。
もちろん、チボ・マットに連なる感覚もそこここに感じられ、キーボードの和声や音色感覚に、ん?これは本田ゆかが弾いている?と思ったりする曲もあったりする。アメリカのロック、ポップのステレオタイプから少し外れた、微妙なエキゾチシズムを漂わせた和声やメロディー感覚は、羽鳥美保が本田ゆかともに築き上げた、チボ・マット時代からの重要な財産だということだろう。そして、そのエキゾチシズムが根無し草的な無国籍風味に終らない、地球をしっかり踏みしめた新しい歌を生み出す糧になっているところが素晴らしい・・・などと書くとちょっと理屈っぽくなってしまうが、そんなこと考えずに、彼女の声に触れるだけでも十分。パワフルで優しくて、どこか謎めいてもいる。そんなミホハトリ・ワールドに巻き込まれていくのに時間はかからないはずだ。
声の中にすべてがある。そんな同時代の表現者を身近に感じられることは、音楽を聞き続けてきて良かったとあらためて思わせてくれる、とびきりに幸せな体験だ。
高橋健太郎
木内 昇ライナーノーツ
新しい音を聴くたびにまず実感するのは、Miho Hatoriと音楽との隔たりのなさで、彼女は自在に変容しながらもその内面をまっすぐにその音楽に投影しているようなのだ。
NYを拠点に活動したCibo Mattoの音楽は常に鮮烈な衝撃をもたらし、私たちを驚かせ続けた。ヒップホップとボサノヴァが不思議な軌跡を描いて融合した曲には、様々な形をした異空間が広がっていた。ただそれは、単に前例を覆すための斬新ではない。音楽的なキマリゴトだのホウソクだのといった手法にはじめから縛られず、表現したいものの根源が音と直結したからこそ可能になった表現だった。
2000年にはBeckのギタリストSmokeyとのユニット、Smokey&Mihoとしての活動へと移行、また新たな局面に達したように見える。彼女が以前から興味があったというブラジル音楽を核に据えた音。チボマットがどこか鋭角な光線のような威力を持っていたとしたら、Smokey&Mihoはもっと広くたおやかになった。ただそれは安らぎとか心地よさ、懐かしさといった一元的なものだけに止まらず、どこかに際どい匂いを含んでいたような気がする。例えば、「かわいい」などといいながら安易に近寄ったら、そこに得体の知れない棘を発見したような感じ。自然も動物も人間とか、この世にあるもので一面的なものはなにひとつない。それぞれが多くの面を含んでいるのだという当たり前のことを、彼女の音楽はいつだって気付かせてくれるのだ。
さて、そんなMiho Hatoriがソロになって、第一段となるアルバムである。タイトルは「Ecdysis」。「脱皮」という意味だという。一聴して、果たしてここに漂っている感覚を貧弱な言葉で表せるだろうか、と不安になった。今までよりさらに深遠な音が鳴っている。ブレイクビーツが散りばめられた曲から感じるのは中東でありアジアでもあり……無国籍な響き。全く経験したことのない、未知なる扉が開かれる。なのに、彼女の透明で蠱惑的な歌声に身を任せていると、どういうわけか目の前にはっきり光景が浮かんでくるのが不思議だった。しかもその景色は、未知の異次元ではなく、確かにどこかで見た風景。とても懐かしく、心から愛した風景。近しい人がいて、生身の自然がある。心の奥でずっと大事にしてきた光景だった──そんな感慨を抱く。おそらく、聴く人によって思い起こす風景は違うだろう、けれどそこで抱く感情は同じなのではないだろうか。「心の視覚」を、ここにある楽曲は持っている。
ここにあるのは説明的なメッセージではなく、あくまでも雰囲気。それは上辺の、とか、一見したところの、という意味合いで使われる「雰囲気」ではない。自分が立っている場所の根っこを掘って掘って掘り返したところに湧いている泉から漂う匂いだったり、感触だったり、温度だったりという説明しがたい感覚的なもの、という意味だ。Miho Hatoriはこのアルバムで、その根元にある感覚に辿り着いたのではないだろうか。
1曲目の「Ecdysis」で彼女はこんな風に歌っている。
「見たこともないものが見えてきたの
重力が心にのしかかってきて
目にする刻が変わり始めたの」
彼女はまた、これまでとは違う地表に根を張った。何度目かの、孵化をした。もしくは新たな脱皮をした。そこで見えてきたものを、余さずすくい上げた。
ソロというスタンスを選んだ理由を、彼女はこんな言葉で語っている。
「自分なりに歩んできた中で、自然とそういう風向きになっていたのです。しかし、いままでやってきたこととは違う居場所というか、新しい場を自分の中に造っていくのには、時間がかかりました。ソロという形は、自由だけれど、だからこそ、簡単にできるものではなかったです」
自由に音と融合してきて、今ソロというなんの制約もない自由なスタンスを得たことで、これまで以上に自分自身の本質と対峙する必要があったのだろう。
「In Your Arms」では母親の手を通して家族やそこに繋がっている自分自身の在り方を歌い、
「Barracuda」では深遠な自然の世界を描く。
「Walking City」で自然と人間との関わりを感じ、
「Sweet Samsara PartII」で新たな世界に邂逅する。
「今回は始めてのソロなので、やはり以前とは違うものを生み出さないと意味ないなぁと思いました。どういう方法でやろうかな、と試行錯誤しました。私の中で生きていないと、伝わらないのではないかと思ったのです。そうすると、自分の“動く井戸”を掘り出していってみる作業が必要だったのです。井戸の中には色んなものがあります!! 自分なりの勇気を出しながら、形になるまで、かなり地味な作業をくりかえしました。当たり前のことですが、そういう作業は好きです」
生きていることは旅にも似ている。誰しもその旅の過程で、見えてくるものが変わってくる。感じ方も変われば、行きたい場所も変わる。でも、ある時期から、そうして自在に変わることが怖くも億劫にもなる。誰だって安定した場所にいたほうが楽だし、新しい場所へ続く扉を開くのは怖い。例えそれが「その時の自分に一番ふさわしい場所」だとしても。見たくないものを見ないで済むから、脱皮する怖さや不安を経験しなくて済むから。
彼女はそれでも、自分の「動く井戸」を掘り返した。「自分なりの勇気」をもって、行くべき場所へと飛躍した。そして今、スカーンと抜けのいい笑顔でいるような気がする。これほどの挑戦を可能にしたのはたぶん、彼女が自分の中の「変わらぬ芯」の存在を知っているからだろう。それから「音楽」というけっして嘘のつけない、信じて止まぬ存在を手に入れているからだろう。
このアルバムを聴いていると、聴いているこちらまで壮大な旅に出ているような気になる。見慣れていたはずの世界がまるで違った光を讃えて目に映る。当たり前の日常が、とても貴重で愛おしいものに感じられる。
「ソロで、しかも自分でプロデュースもしたので、悩む部分もあったけれど、できあがったときに、長く知っているミュージシャンの友達に『これが、ミホかぁ!!』って言われたときは嬉しかった。より自分のことを受け入れてくれた感じを確信したというか」
アルバムに息づくMiho個人の物語世界に魅入られるから、これほどまでに生身の実感を得ることができるのだろうか? もちろんそれもあるだろう。ただ、それだけではないような気がしている。ここにある楽曲は、彼女の物語であると同時に、それを聴くすべての人の物語でもある。彼女は個を突き詰めたことで、普遍を生み成した。内面に深く深く潜って、外側の世界と繋がる術を手にしてしまったのだ。
「ソロになって私がしているのは、自分自身を掘り下げる、ということなんです。でも、基本的に私のしたいことは、社会と通じることだと思っています。通じると、気持ちいいでしょう?」
Miho Hatoriの音楽はやはりある雰囲気を持っている。なにかに限定するものではなく、すっぽりと取り込まれてしまうくらいの大きなムードだ。「Ecdysis」は、広い世界を、尊い自然を意識させる。言葉で表せるメッセージより遙かに凄まじい力を持って迫ってくる。そしてそこにたゆたっているとひとつの「答え」のようなものに行き着く。素直に多くの事象を見るということの凄さや、その時々の自分としっかり対峙していくことや。そして、脱皮することの喜びや。そこに生きるということの源があるはずだ、ということも。
木内 昇
Miho Hatori自身による全曲解説
1.Ecdysis
Ecdysisとは、ギリシャ語が語源です。
私は多摩川の近くで育ちました。今では密集した住宅地へと様変えりしましたが、 私の小さい時は、梨畑があちこちにあったのです。夏になれば父と蝉取りをしました。蝉の抜け殻が大好きでした。私の目には神業に映ったのです。
昆虫達にとって脱皮ができないということは死をあらわします。
人間はどうなのでしょう?もちろん、脱皮というシステムは私達は持っていませんが、心は脱皮する勇気を持って生きたいと思っています。変化することです。
2.A Song For Kids
少子化や、ゆとり教育などという事柄を、耳にしますが、日本のキッズに熱いメッセージを送りたくて書きました。自然と接してほしいなと思います。
3.In Your Arms
これは、母さんへのプレゼントです。
彼女の手は見事に皺だらけなんです。私にはとても大切で、この世で一番お世話になった手です。
4.Barracuda
カリブ海の島に行ったときの話です。
そこは世界でも有数の珊瑚礁の宝庫で、その現場にたどり着くには、ベラクーダという歯のある恐ろしい顔をした魚の群れを通らねばなりませんでした。運慶(鎌倉時代の彫刻師)の仁王様(法隆寺)もすごいですけど、海の世界も ベラクーダが仁王様みたいに動かないで泳いでいた(変ですね)のです。 自然もすごいです。
5.The Spirit Of Juliet
脳と心というのはとても興味があることのひとつです。
6.Walking City
これは、1960〜70年代初期のイギリスの建築家グループ、アーキグラムがつくったアート作品、"walking city"(街が虫のように足で行きたいところに移動する)を基に、勝手にSFな話を作ってみました。
地球の今の現状を考えると悲観的な世界になってしまったけど、 ここで言いたかったのは、私の好きな日本語のひとつ、"虫のしらせ"という 言葉です。なんてすばらしい表現なのでしょう。こういう言葉を大切にしたい と思います。なぜなら、こういうメンタリティーを持った言葉は英語にはないです。特殊ですし、なんて美しくて、詩的なのでしょう。
7.Sweet Samsara PartI
8.Sweet Samsara PartII
samsaraとは、サンスクリット語(インド亜大陸の古典言語)で、
sam=together
sara = flow (go)
9.Today Is Like That
いっぱい泣いたときに落ちてきた曲です。
10.The River Of 3 Crossings
死後の世界というのは、ものすごいファンタジーです。
11.Amazona
この曲はアルバムの曲作りが終って、スタジオに入る直前にやってきてくれた曲です。
とある写真撮影のために、胸の無い私は、福与かな胸のある人のために作られた 服を着る羽目になりました。残念ながらどう客観的に考えても似合ってはいなかったのです。それはなんとも歯がゆい気分でした。無理があったのです。煮え切らない気分が小さな胸に残りました。どうにかして、はけ口をみつけたい私にやってきてくれたのはこの曲でした。(ちなみに、私自身、小さい胸はとってもコンフォタブルです)
私が幸運にもアマゾンの話に遭遇したのです。私はブラジルの音楽が大好きで、また、アマゾンの生態系やらジャングルそのものはとても興味のあることのひとつでした。
さて、このアマゾンという名の由来は、ギリシャ神話から来たそうです。アマゾネスという女戦士族がいました。とても勇敢な種族でその女達は矢をより効率的に打てるように、片方の胸と剥ぎ取ってしまったそうです。とてもおぞましい話です。
16世紀になってスペイン人が南アメリカを制服したころ、今のアマゾンに住んでいる原住民に遭遇しました。スペイン人は長髪の原住民をてっきり女の種族がいると勘違いをして、(実際、女戦士に遭遇したという伝説もあります)ギリシャ神話のアマゾネスの女戦士と重ねたのでした。それがアマゾンの名の由来だそうです。
私はこれを知って思ったのです。私がアマゾネスになったら胸を切り落とさなくてもいいのだと。私は弓道をやっていたことがありますが、胸が邪魔になった経験は皆無でした。
この曲を書いたおかげで、私が持っていた煮え切れない気持ちはすっきり消えたのです。
煮え切れない想いは煮てみると意外と美味しいこともあるものですね。
