オキナワン・ヒッツ&スタンダーズ
1999.7.23発売/VICG-60211/¥2,600(税抜)

01.ゴーゴー・チンボーラー(海のチンボーラー)
02.我がー判ゆん
03.軽便鉄道節
04.平和の願い
05.ヒヤミカチ節
06.芭蕉布
07.つんだら慕情
08.なんた浜
09.Lovely やんばる
10.御縁花
11.あぬよーたいふー
12.いちゅび小
13.白浜ブルース(白浜節)
14.ボサノバ・ジントーヨー(国頭ジントーヨー)
15.西武門節

うた:饒辺愛子、金城恵子、伊波智恵子、玉城一美、アカナーズ
金城恵子、伊波智恵子参加の女性ボーカリストによる強力オムニバス盤!
既に400曲以上の作品を残している現代沖縄最高峰の音楽家のひとり、普久原恒勇。
「ふくはらメロディー」として多くカバー・バージョンを生み続ける自らの代表作品と愛唱曲を沖縄のトップシンガーたちがベストのアレンジでレコーディングした最新盤が登場。


【各曲解説】
01.ゴーゴー・チンボーラー(海のチンボーラー)
伊江島の民謡といわれている。もともとゆっくりしていたのを、沖縄本島のうたい手たちが三絃に乗せてテンポ・アップし流行らせた。沖縄でもっともポピュラーなうたのひとつ。遅弾きの嘉手苅林昌のヴァージョンも有名。

02.我がー判ゆん
「あなたのことは何でも知っています」といった心得た女のうた。金城恵子にしかうたえないうたのひとつだろう。作詞の門口太郎は他にもこういうコメディ的な新民謡を何曲か書いている。

03.軽便鉄道節
汽笛の音と沖縄言葉の「お兄さん」を掛けた「アフィー!アフィー!」という歌詞が絶妙。作詞の徳田安周さんは新聞記者からテレビ局へ移り今は故人。この曲のフォーシスターズのシングル・レコードは東京の中古店で一万円もするそう。

04.平和の願い
最初のレコードは玉城一美の父親、安定さんがうたったもの。父から娘へとうたが引き継がれて行くのは喜ばしいことです。作詞の故平識ナミさんは文字を持たない人ながらたくさんのうたを書いている。

05.ヒヤミカチ節
敗戦後の県民を元気づけるために作られたうたといわれている。琉球の万葉集といわれる『おもろ』の伝承者であった故山内盛彬翁の作曲。三絃の早弾き曲として有名だが、ここでは本来のゆったりしたテンポで演奏される。

06.芭蕉布
NHKの“名曲アルバム”で全国的に放送されたふくはらメロディーの傑作中の傑作。地元テレビ局のコマーシャルでも伊波智恵子がうたっているが、金城恵子が参加し二人でうたっているのは非常に珍しい。
v 07.つんだら慕情
沖縄歌謡の傑作。作詞の久米仁は日本人ならだれでもわかる歌詞を書きたいと常々言っている人。「娘ジントーヨー」「島々清しゃ」等、普久原とのコンビでのいいうたがたくさんある。

08.なんた浜
八重山諸島、与那国島の民謡「与那国ションカネー」をベースにした故宮良長包の代表的作品。クラシックからジャズ、歌謡曲、民謡の人たちまで、これまでも沢山の人たちがレコーディングしたうた。

09.Lovely やんばる
沖縄本島の北部、有名リゾート地恩納村から北を山原(やんばる)という。普久原恒勇の奥方はこの山原の本部町出身である。作詞の喜屋武通にルビを振るとキャンパスになる。

10.御縁花
玉城一美のアルバムに入っている新しいうたで、現在ラジオ、有線からよく流れている。とりみとりは作詞家として数多くのふくはらメロディーのヒット曲を書いている人。本CDではうたで三曲に参加している。

11.あぬよーたいふー
金城恵子の一番最初の師匠、故川田松夫氏は若いころ嘉数松夫と名乗って沖縄芝居の台本を書いていた。沖縄で新民謡の作詞作曲を始めた先駆者の一人。生前お逢いしたとき「昔は新曲を作ると嘘のうたと言われた」とおっしゃっていた。
v 12.いちゅび小
いちゅびとはイチゴのこと。古いうたで、現在でも七月エイサー(沖縄本島の太鼓を持った踊り)の定番としてよく踊られている。過去にも登川誠仁、嘉手苅林昌、山内昌徳など民謡界のベテランたちがうたっている。

13.白浜ブルース(白浜節)
金城恵子会心の名唄。彼女の新しい魅力を引き出していて実にいい。このうたは小宗三郎作の現代歌劇『浜に咲く花』の中でうたわれた沖縄芝居歌謡。戦前大阪に多くの沖縄県人がいて劇場が二ヶ所あったころ、大阪で生まれたうた。
v 14.ボサノバ・ジントーヨー(国頭ジントーヨー)
沖縄の代表的なうたのひとつ。山里ユキと嘉手苅林昌の名盤があるが、今回のものも大傑作である。古い民謡でもうたを遊べる人たちがいると楽しく新しくなるものだ。みどり、智恵子はフォーシスターズの二人。

15.西武門節
曲は沖縄本島北部やんばる羽地地方の民謡「ヨーテー節」といわれている。『西武門哀歌』という芝居の中から出て来たうた。那覇の昔の遊郭、辻の遊女は街を出ることが禁止されており、西武門までしか客を見送る事が出来なかった。


【プロフィール】
普久原恒勇
既に作曲した400曲以上になるうたの数々は、沖縄大衆から“ふくはらメロディー”と呼ばれ広く愛されている。「芭蕉布」他多数の名曲は様々なカヴァー・ヴァージョンを生み演奏され続けており、幼児からお年寄りまで知らぬ者のないほど。沖縄を代表する作曲家として中山晋平や山田耕作らに匹敵する。
また普久原は地元民謡レーベルの草分け、マルフクレコード代表でもある。戦前から運営している唯一の地元レーベルであり、「十九の春」「兵の一本松」「ハイサイおじさん」等、大ヒット曲を大量生産している。またネーネーズのプロデューサー知名定男ら、普久原に学んだ人材も多くまさに沖縄音楽のゴッドファーザー的存在。コザに腰を落ちつけ地元に密着した活動を続けてきた。
現nafinレーベル総監修者。
1999年5月、渋谷クラブ・クアトロにおける初の東京公演を大成功させた。

饒辺愛子
沖縄本島中部コザ(沖縄市)山里出身。
1962年より喜納昌永門下で民謡の手ほどきを受け、程なく吉里和美、玉井良子らと「民謡三人娘」としてテレビやラジオで活躍。1965年「なんた浜」でレコード・デビューし幅広い人気を得た。上原正吉とのコンビで「愛の雨傘」「海洋博は招くよ」などもヒットさせる。
1969年より現在まで民謡クラブ「なんた浜」を経営。その創立20周年記念盤として『肝がなさ節』(マルフク)を発表している。 普久原恒勇作曲、とりみとり作詞によるこのアルバム・タイトル曲もまた大ヒットを記録した。 美空ひばりの大ファン。

金城恵子
沖縄本島中部具志川市出身。
幼いころからうたと芝居が好きで19歳の時大城志津子門下に入る。三絃は力強く、性格もさっぱりしていて男性的だが、なぜかうたは色っぽい。
1971年に「想い」でデビュー。艶っぽいうた声などそれまでに無かった独特の雰囲気で民謡の中での艶歌的なジャンルを確立し、多くの熱心なファンを獲得する。代表曲は本盤に新録された「我がー判ゆん」「あぬよーたいふー」他多数。マルフクよりそれらをまとめたCD『金城恵子』が出ている。レコーディングの際には1回うたえばOKを出してしまうワン・テイク・シンガーである。

伊波智恵子
若干8歳にして沖縄の伝説的コーラス・グループ「フォーシスターズ」の末娘として衝撃的デビューを飾り、その斬新さから大きな支持を集めた。グループは「ちんぬくじゅうしい」「軽便鉄道節」「丘の一本松」等、沖縄のレコード・セールスを次々に塗り替えるヒットをとばすが、1974年、長姉伊波貞子の結婚のため惜しまれながら解散。智恵子は2年の充電期間を経て、大ヒットした「チョッチョイ子守唄」でソロ・デビューし、その後も従来の沖縄民謡とはひと味違ったポップ感覚溢れる普久原恒勇作品をうたって確実に地歩を築いてきた。
1998年5月、nafinレーベルの第一弾作品として栗コーダーカルテットとの共演アルバム『おもろうた』を発表した。

玉城一美
コザ生まれコザ育ち。
「二見情話」「時代の流れ」等のヒット曲を持つ玉城安定を父に持ち、20歳の頃より本格的に島うたの世界に入った。「美童花染小」でレコード・デビュー。沖縄の他、ハワイ、ロサンゼルスでも公演を行う。
1987年より民謡クラブ“花ぬ島”に出演し連日うたう。同年坂本龍一『NEO GEO』のレコーディングに参加し、翌年にはワールド・ツアーにも同行。アメリカ、ヨーロッパ各地で好評を得た。
1990年再び坂本龍一『BEAUTY』のレコーディングに参加。国内外のコンサート・ツアーにも同行。
1991年以降は本土の沖縄ブームを尻目に活動の中心を沖縄に絞ってきた。イベントはもちろんラジオ局やテレビ番組のアシスタントなどもつとめている。

アカナーズ
沖縄県内でも定評のある、上原鉄男(弓の会主宰)門下で沖縄民謡の研究に励む19歳前後の女性からなる4人組のコーラス・グループ。
メンバーは天願亜子、那覇あさひ、真栄田さとみ、天願夏美で、本作収録の「いちゅび小」ではそれぞれが三線演奏も行っている。アカナーは沖縄の言葉で「夕焼け」の意。

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