1933年 | 8月17日 リオ・デ・ジャネイロで生まれる
家具作りの職人だった父の仕事場がオズヴァルド・クルース地区にあり、この地本拠とするエスコーラ・ジ・サンバ(直訳はサンバ学校だがコミュニティに根差したサンバ・チーム)“ポルテーラ”(1935年創立)のサンバに親しんで育つ |
1943年頃 | 家計を支えるために学校を辞めた10歳の頃、ポルテーラの創始者、パウロ・ダ・ポルテーラと知りあい、11歳から本格的にサンバをはじめ、曲作りもスタートする |
1949年 | パウロ・ダ・ポルテーラ死去 |
1950年 | 17歳でポルテーラの作曲家チームに参加、エスコーラの先輩たちと多くの共作曲を残す |
1970年 | パウリーニョ・ダ・ヴィオーラの呼びかけでこの年に結成された、ヴェーリャ・グァルダ・ダ・ポルテーラ(ポルテーラの伝統の守り手たち)に、最年少の37歳で参加し、コミュニティの外部でも活躍するようになる
同グループのファースト・アルバム『ポルテーラとその栄光』(RGE)録音 |
1976年 | マルチーニョ・ダ・ヴィーラに提供した「トド・メノス・アモール (愛以外はすべて) 」がヒットし、初めてのソロ・アルバム『ポルテーラの誇り』を録音する
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1980年 | セカンド・ソロ・アルバム『テレイロ(ヴェーリャ・グアルダに捧ぐ)』発表 |
1984年 | 3枚目のソロ・アルバムとなる『イネージトス(未発表集)』が発売される |
1986年 | ヴェーリャ・グアルダ・ダ・ポルテーラのセカンド・アルバムをリーダーとして録音
制作にあたったのは86年から91年までの5年間、ブラジルに渡って伝統的なサンバに新たな息を吹込むアルバム10枚をプロデュースした田中勝則氏(初プロデュース作) |
1989年 | 田中勝則氏とのコンビで、創始者パウロの作品を探し集めたコンセプト・アルバム、ヴェーリャ・グアルダ・ダ・ポルテーラ『パウロ・ダ・ポルテーラに捧ぐ』を録音する |
1991年 | 4枚目のソロ・アルバム『サンバの声』を田中勝則氏のプロデュースで録音 |
1992年 | ギリェルミ・ジ・ブリートとともに来日公演 |
1995年 | アルバム『サンバの声』で、ブラジルのグラミー賞ともいわれる、シャープ杯の“最優秀サンバ歌手部門”を初めて受賞する |
1999年 | ブラジル・ポピュラー音楽界で最高の歌姫と評価されるマリーザ・モンチのプロデュースで、ヴェーリャ・グアルダ・ダ・ポルテーラの最新アルバムを録音。
また田中勝則氏の8年ぶりのサンバ・プロデュース作品『サンバの古き仲間たち/V.A.』(ビクター/Globe Roots)を、ネルソン・サルジェント、ギリェルミ・ジ・ブリート等、エスコーラの垣根を越えた現在最高の古老たちとともに録音する |
2000年 | ヴェーリャ・グアルダ・ダ・ポルテーラのアルバムがブラジル国内でヒット、マリーザ・モンチ等をゲストに迎えたコンサートでも好評を博す |
2001年 | 『サンバの古き仲間たち』日本に続きブラジルで発売 |