VICP-61964
【アルゼンチン】
『アグスティン・ペレイラ・ルセナ/CLIMAS 〜 友との語らい』
2003.2.5発売/VICP-62187/税抜\2,400
クラブ・シーンからも再評価。典雅なギターの調べによって編み出されるアルゼンチン人のボサノヴァ。自己のスタイルを確立した3rdアルバムを初復刻。
世界初CD化 1973年作品
解説:若杉 実、アグスティン・ペレイラ・ルセナ本人によるライナー付き
 1.泣いて何になる?(Para que chorar)
 2.アンドリーニャ(Andorinha)
 3.誰が知っているものか(Quem diz que sabe)
 4.テ・キエロ・ディヒステ(Te quiero... dijis)
 5.神のパン(Pao de Deus)
 6.私の中の何か(Algo de mi)
 7.42年の夏(Verano del 42)
 8.トマーラ(Tomara)
 9.偶然の出会い(Encuentro casual)
 10.さよならを言うため(にPra dizer adeus)
 11.エスポンタネオ(偶発的に)(Espontaneo)



【ブラジル音楽の長い歴史に溶け込んでいく、
典雅なギターの調べによって編み出される、異邦人のボサノヴァ】
解説:若杉 実 
 どこまでも続くパンパ、万年雪に覆われるアンデス山脈、それでいて洗練された都 会の景観をも映し出すアルゼンチンは、一度も訪れたことのないぼくにとっては、あ くまでもイメージの中にしか存在しない南米最南の国だ。いつかは訪れてみたいし、 ボカ地区のクラブでバンドネオンの律動に合わせて踊りふけることができるなら、い ち音楽リスナーとしてこれほどの至福はないに違いない。思うに、これとおなじでは ないのだろうか、アグスティン・ペレイラ・ルセーナにとってのブラジルとは。
 そんな環境下に置かれたアルゼンチン人によるボサノヴァ、それがペレイラという 音楽家が描く異国の至宝である。60年代から首都ブエノスアイレスを拠点に、ブラジ ル音楽に拘泥してきたギタリスト。ブラジル人がタンゴを演奏するなんてそう耳にす ることはないけど、彼のようにアルゼンチン人、もしくは当地をベースにする人物が ボサノヴァやサンバを好んで演奏していたという例は意外やめずらしくない。すぐ思 い当たるのがセバスチャン・タパジョス(生地はブラジルのサンタレン)。彼もおな じくギタリストだ。また、そのタパジョスと親密な関係にあったシンガー、アルナル ド・エンリケスは『So Danco Samba』(1976)というソロ・アルバムにてボサノヴァ と対峙。歌姫マリア・ナザレーもタパジョス、エンリケスとともにアルバム 『Sebastiao Tapajos-Maria Nazareth-Arnaldo Henriques』(1973)を発表している が、この中でサンバとバロックを融和させたような「Sambachiana」なんてユニーク な曲も披露してるし、自身のソロ『Sem Voce』(1976)ではエドゥ・ロボらに影響さ れたとおぼしきオリジナルを含む、全面的にブラジル音楽に取り組んでいて興味深い。 ちょっと重箱の角をつつけば、カイトというギタリストが率いるアルゴ・マスや、ボ サノヴァの定番ばかり扱うオス・ボンス・デ・ボサなるグループも70年前後に活動し ていたことが分かる。このCDにギターとストリングス・アレンジで参加するパウリー ニョ・ド・ピーニョも、本オリジナル・レーベルTonodiscにリーダー・アルバムを残 していた。それらが、どのような連帯性をもってシーンを形成していたか計りかねる ものの、断片的なインフォメーションからかの地のブラジリアン・シーンを読み取る ことにもなんら不自由はないだろう。
 そんなボサノヴァを志向するアルゼンチン人に、直接的にも間接的にも影響を与え たとされるブラジル人が、ヴィニシウス・ヂ・モライスにトッキーニョ、それにマリ ア・クレウザだ。外交官にしてシンガーソングライターであるヴィニシウスと、MPB 界のプリンス、トッキーニョはブエノスアイレスやマル・デル・プラタにあるクラブ などでロングラン・ショーをおこなっていた。そのときのドキュメントは、 『Vinicius de Moraes en "La Fusa"』(1970)、『Vinicius+Bethania+Toquinho』 (1971)といったライヴ盤に記録されている。クレウザのほうは単身で、『Yo... Maria Creuza』(1971)、『Voce Abusou』(1972)、『En Vivo-Grabado en "Edipo Cafe Concert"』(1974)と、計3枚の置き土産を残しているほどだ。
 ところで、このペレイラはどうやってブラジル音楽からの薫染を受けたのだろうか。 彼の記念すべきデビュー盤『Agustin Pereyra Lucena』(1970)のジャケット裏には、 そのヴィニシウス直筆による推薦文が寄せられている。ただし、ペレイラにとってブ ラジル音楽との邂逅は、ジョアン・ジルベルトバーデン・パウエルのアルバムによっ てだそうだ。'02年12月号のラティーナ誌に掲載された西村秀人氏による本人へのイ ンタヴューを参照すると、ペレイラの兄がブラジルへ旅行した際にお土産として持ち 帰ったのが、そんなふたりのアルバムだったという。ジョアンの卓越したバランソと、 えも言われぬ閑吟には感嘆の息を漏らしたものの、本人いわく“歌はあまり得意では ない”ペレイラにとって、むしろ魅力的だったのはギター1本から幻想的な小宇宙を 作り上げるバーデンのほう。ペレイラにプロの音楽家の道を選択させるほど、彼との 出会いは衝撃的なものだった。近年になって(つまり逝去する直前)バーデン本人に 逢うというかねてからの夢が実現したというが、そのとき投げかけた質問には、“ア フロ・サンバはどこから来たのか?”というのがあったそうだ!これに対しバーデン は、“私はバイーアに住んだことはなかったが、近所の仲だったピシンギーニャの元 夫人が私にアフリカの話をたくさんしてくれたんだ”と答えたという。思うに、ペレ イラにとってのブラジル音楽もこれといっしょなのではないだろうか。きっとジョア ンやバーデンのアルバムは、彼に多くのことを語りかけていたに違いない。

 さて、この『Climas』はペレイラにとって通算3枚めにあたるアルバムで、1973年に 発表された。音楽人生の伴侶となるギジェルモ・レウテル(ピアノ&ギターでも参加) との共作を初めてフィーチャーしたことから、ペレイラ本人もメモリアルな1枚とし て記憶に深く刻まれてるそうだ。そんなオリジナルを数曲差し込みながら、バーデン とヴィニシウスの共作「Para Que Chorar」、ジョアン・ドナートの「Quem Diz Que Sabe」、アントニオ・カルロス・ジョビンの「Andorinha」、エドゥ・ロボの「Pra Dizer Adeus」など、ブラジル人作家の名曲をペレイラのギターが丹念に紡ぎ出して いく。ボサノヴァの定番で構成された1st、ブラジルの打楽器奏者ナナ・ヴァスコン セロスとの共同作業となった2枚め『El increible Nana con Agustin Pereyra Lucena』(1971)におけるプログレッシヴな民族志向を考えれば、この3枚めにして ようやく自身の世界への糸口をつかみかけたといったところだろうか。いずれにせよ 均整のとれた構成には、ブラジル音楽の長いヒストリーの中を異邦人によって編み出 されるボサノヴァが溶け込んでいく様子が、典雅なギターの調べによって描き抜かれ ていて素晴らしい。
 そんな中にも異彩を放つ7曲めの「Verano del 42」は、ミシェル・ルグランが手が けた同名の映画(邦題『おもいでの夏』'71年公開)主題曲だ。ちょっと意外な組み 合わせながら、首都ブエノスアイレスには多くのフランス移民が住むことから、“南 米のパリ”との異名で呼ばれるほど、欧州文化を街並に張り巡らせていることで知ら れている。ペレイラのような音楽家にとっても、サントラをはじめとするフランスの 音楽は身近な存在だったに違いない。ちなみに、ペレイラ自身は本作のリリース後 ('75年)、まもなくしてヨーロッパへ渡り、そのフランスをはじめ北欧諸国にまで 足を伸ばし、ブラジル音楽の普及活動に励んでいた時期があった。このとき制作され たのが『Candeias』と『La Rana』のふたつのアルバムだ。前者は多国籍バンド、カ ンデイアスの一員として'75年にフランスで録音、後者はカルテット編成による'80年 の作品で、ノルウェーで制作されている。“私の楽団が初めてノルウェーにボサノヴァ を紹介したんだ”と本人も自負しているが、そんな活躍が伏線となってか、この 『Climas』につづいて故郷で制作された『Ese dia va a Llegar 』(1974)は、当時 フランスやスペインでもライセンスされた。
 このように70年代中盤のペレイラは、ボーダレスな軌跡を自己のバイオグラフィー に残すことになる。だが、それはタパジョスやエンリケスといったアルヘンティーナ・ ボサノヴィスタにしても同じだった、ドイツを筆頭にヨーロッパ方面での演奏に多く の時間を費やしていたというから、結果的にアルゼンチンにおけるブラジル音楽の環 境はそれほど整えられていなかったのだろう。国内ギタリストのアイコンといえば、 ビート時代から活躍してきた大御所リト・ネビアを筆頭にロック世代のチャーリー・ ガルシア、“アルゼンチンのジャンゴ・ラインハルト”の異名をとるオスカル・アレ マン(本CDに参加のオスカル・アレムとは別人)、フュージョン系のロドルフォ・ア ルチョウロンといった名を挙げられるが、彼らにはアルゼンチン人としてのアイデン ティティとともに幅広くリスナーを取り込めるポピュラリティが備えられていた。む ろん、ペレイラにそれらが不足していたわけではない。が、隣国であるブラジルの音 楽をアルゼンチン人が取り組むという曲折したスタンスは、受け手側にとって誤解を 招くものだったのではなかろうか。
 しかし、ヨーロッパにおける広汎な活動を見ても判断できるように、ペレイラは今 日謳われるグローバリゼーションを抱えた音楽家であり、そこに映し出されていたの はアルゼンチン人ではなくパン・ラティーノとしての矜持だったのではないか。だか らこそ、彼はいたずらにタンゴのようなものを自己のヴィジョンに反映させることな く、純粋に魅力ある音楽としてボサノヴァをそのまま素直に受け入れたに違いない。 いや、バーデンやジョアン、あるいはジョビンでもいい、彼らがつくり出す非の打ち どころのない作品には、すでにあらゆる要素が内包されている。それを踏襲したとこ ろで、自然にもさまざまな音楽的ミクソロジーがペレイラの演奏においてすら具象化 していたと考えてもいいだろう。
 そんなところで、国境、ジャンルの垣根を越えて音楽を楽しむクラブ系リスナーに よって、ペレイラの活動記録が盛んに掘り起こされているという事実が今日あること は、じつに納得のいく話ではないか。彼らは(ぼくとおなじく)音楽を体系的に聴い ているわけじゃないだろうし、タンゴやフォルクローレの知識を多く所有しているこ ともないのかもしれない。だが、わずかながら一点の鋭い光に着目したときに発露さ れる探究精神は、学究的に物事を処理する音楽研究家以上の才能を発揮するもの。そ んな彼らのフックアップによって、ペレイラという時代の狭間に埋もれたギタリスト が、今アルゼンチンを抜け出し世にあらためて問いただすのが、この『Climas』だ。 なお、今後ペレイラの初期のアルバムが漸次にCD化されるというから楽しみにしたい。
('02-12-13, Minoru Wakasugi)


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