| 01. ブルー・ムーン |
| 02. 薔薇色のえくぼ |
| 03. いとしの黒馬よ |
| 04. 牧場の唄 |
| 05. 君を慕いて |
| 06. 青春のタンゴ |
| 07. 青春グランド |
| 08. 燦めく星座 |
| 09. 峠の我が家 |
| 10. こりゃさの音頭 |
| 11. 森の小径 |
| 12. ジャワのマンゴ売り |
| 13. 新雪 |
| 14. 鈴懸の径 |
| 15. バタビヤの夜は更けて |
| 16. ジャワの夕月 |
| 17. 南国の夜 |
| 18. 春ほほえまば |
| 19. 緑の小径 |
| 20. 憧れの南 |
| 21. 想い出の罌粟 |
| 22. 小さな花 |
| 23. ジャワの宝船 |
| 24. 南国の夢 |
唄: 灰田勝彦(1〜23)、大谷冽子(12)
演奏:紙 恭輔とそのジャズ・バンド(1)
灰田晴彦とモアナ・グリー・クラブ(4、24)
灰田晴彦と南の楽団(15、17〜21)
灰田勝彦プロフィール
1911年(明治44年)8月20日ハワイのホノルルで勝太郎・千鶴子の三男として生まれる。二つ年上の次兄は作曲家でウクレレ奏者の灰田晴彦(後の有紀彦)。
1923年(大正12年)日本に移り住む。
1930年(昭和5年)立教大学入学。在学中は、サッカーなどでスポーツ万能ぶりを発揮すると共に、兄の作ったモアナ・グリー・クラブに参加し演奏活動を行う。
1936年(昭和11年)大学卒業と同時に兄のいるビクターの専属となりプロ歌手灰田勝彦が誕生する。デビュー曲は「ハワイのセレナーデ」。以後ハワイアンを主体に流行歌も歌う。ハワイアンでは「真赤な封筒」「お玉杓子は蛙の子」がヒット。流行歌では「燦めく星座」「森の小径」「新雪」「鈴懸の径」「加藤部隊歌」などがヒットする。
1947年(昭和22年)「紫のタンゴ」で戦後の再スタートをきる。「東京の屋根の下」「野球小僧」「水色のスーツケース」などを、昭和20年代にヒットさせる。
1982年(昭和57年)5月脳出血で入院。さらに肝臓も悪くして、10月26日逝去。
|
|
|