硫黄島からの手紙

OTHERS
その他

2006.12.20

<マイケル・スティーヴンス プロフィール>

1967年10月7日シカゴ生まれ、パラティンという郊外で育つ。彼の祖父、アーサー・ジェイムス・スティーヴンスは1920年代後半、初の女性ブルース歌手として、その歌声がラジオで全国放送されたEleanor L’Esperence,と結婚。彼女の歌声をラジオから聴いたアーサーは、その女性に会うためにシカゴからデトロイトまで車を走らせ、一週間後に結婚。これをきっかけにスティーヴンス家はより音楽と密接な関係を持つようになる。
5歳の時、祖父が建築士となったマイケルの父へプレゼントしたピアノを弾き始め、数年後ドラムに変更。家での練習音に困った父がクラシック・ギターを買い与え、それが後に彼がミュージシャンとしてのキャリア始める楽器となった。
1985年、17歳のときにマイケルは音楽を追及するためシカゴを離れ、フロリダのマイアミ大学にて有名なキューバのギタリスト、ジュアン・メルカダルらと共にクラシック・ギターを習う。オリジナル楽曲の作曲やレコーディングを始め、18歳になる頃には、彼の作曲した曲2曲がビージーズの‘ESP’というアルバムのためにレコーディングされた。最終的にアルバムには収録されず、マイアミの音楽シーンに限界を感じた彼は、1987年LAに移り南カリフォルニア大学に通い始める。大学にてベーシストのカイル・イーストウッドと出会い、2人はグループを結成。“マグネティック・ヴァケーション”という初のアルバムをレコーディングする。
1989年、マイケルとカイルは『ルーキー』という映画のために「レッド・ゾーン」という曲を共作。
これがマイケルにとって映画音楽に関わるきっかけとなる。1990年にはハリウッドのトップ映画音楽作曲家、ハンス・ジマーと仕事をするようになり、その後、ハンスとともにアカデミー賞を受賞した『ライオン・キング』を含む20作以上の映画音楽に、演奏、プロデュース、レコーディング等で関わっている。
1998年、マイケルはシンガー・ソングライターとしてドリーム・ワークスと契約、Chrysalis Musicと出版契約を結ぶ。その後カイル・イーストウッドの話題となったアルバム「パリス・ブルー」にプロデュース、共作で関わり、そこに収録された数曲が映画『ミスティック・リバー』に使用されることになる。
マイケルとイーストウッド親子との密接な関係はその後も続き、アカデミー賞を受賞した映画『ミリオン・ダラー・ベイビー』にも3曲のオリジナル楽曲を制作した。
そして最近は、クリント・イーストウッドの最新作『硫黄島からの手紙』のために、彼自身初となる映画のオリジナル・スコアをカイルと仕上げたばかりである。

SHARE

VICTOR’S INFORMATION
ビクターエンタテインメント情報

NEW RELEASE ニューリリース

TOPICS トピックス

PLAYLIST プレイリスト

SNS ビクターエンタテインメント公式SNS

Xアカウント
Facebookアカウント
  • LINE
  • LINE

VIDEO ビデオ


サザンオールスターズ

悲しみはブギの彼方に [Special Movie]


サカナクション

怪獣 -Music Video-