2014.08.19
「異国の丘」から五十年
~作曲生活五十周年時のメッセージ~
光陰矢の如し、私の作曲生活も、もうすぐ五十年になります。軍隊、戦争、シベリア抑留を経て舞鶴港に帰還したのが、昭和二十三年八月の初め、「やっと生きて日本に帰れた」と言うのが実感でした。当時二十七才。茨城県日立市の実家は艦砲射撃で吹っ飛び、父初め兄夫婦子供一家六人、生き埋めで全滅、市役所に復員届けもそこそこに、姉の嫁ぎ先、逗子の菊地家で半月位は静養したでしょうか…。
先ずは生活のために職探し…。幸いに入隊前の動力会社に復職、約一年間、設計課に在籍しました。後日知ったのですが、この年の八月一日(日)のNHKラジオ放送「素人のど自慢」番組で、シベリアからの復員者、中村耕造君が、よみ人知らず「俘虜の歌える」と題し、唄を歌い鐘を鳴らしました。この曲が「異国の丘」で、私の作曲した原題は「昨日も今日も」でした。この曲が縁で、ビクターレコードの専属作曲者として契約したのが昭和二十四年四月一日。あれから五十年。自分らしい仕事が出来たのか…出来なかったのか…不満足であることは確かです。しかし、プロとして創作する才能があったとは思えない凡人の私が、作曲を生業として今までやってこれたのは、神仏の加護、運、そして多くの皆様の支えがあったからです。
戦場で重傷を負い死にそこなった私が今、こうして生きていることに感謝しています。 生きているってことは素晴らしいことです。
1997年9月
当年77才 吉田 正