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毎回、彼の全国各地での旅のエピソードをお送りします。 |  |
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すべてがうまくいくツアー
”すべてがうまくいくツアー”やライブというのはないんです。アマチュアの諸君に限って”PAにめぐまれなかった”とか”ステージがあつい”とかその他体調、メンバー、主催者、オーナーなどなど自分達の不出来の原因をあれこれあげつらうのに忙しい人達をよく見かけますが、なに、へたっピーなだけです。なにがあってもめげず、問題は仲間で協力してカバーし、自分や自分達の演奏を完遂するのがバンドってものです。お客さんに言い訳はきかないんだからですね。
、、、とここまでは前置きで、ある意味すべてがうまくいくツアーというのがあったのでした。
”佐山雅弘、伊太地山伝兵衛を東北にデビューさせるツアー”を敢行した。一月の末にである。冬の東北をなめたらあかんとやがて思い知らされるのはしばしあと、生まれ育ちが尼崎と別府という、自然は味方と無邪気に信じてる瀬戸内のほほんコンビは東北新幹線で盛岡に向かった。
欧陽韮韮のバンドで一緒にラスベガスにも行ったベースの石沢由男さんが、いろんな因果が巡って今は盛岡でさる会社をしながら地元の音楽隆盛に力をそそいでいる。そのかれに”なんとか場を作ってよ”と頼んだところ、実にユニークな集まりを作ってしまった。店に出演交渉をするでなく、会場を借りてコンサートを開くでなく、ホテルにパーティを開かせたのである。
びっくり。
参加者は、、、、、参加者は20代から70代まで(!)のアマチュアミュージシャンとその友達。これで70人くらいの集まりになり、おいしい立食ビュッフェの中、入れ代わり立ち代わりバンドが演奏。上海バンスキングみたいのからケミストリーまでそりゃあもう豪華でバラエティ豊かで収拾のつきかねないながら実に楽しいパーティだった。
盛岡は演劇の盛んな町で有名だがバンドも盛んとみえて、それも全国的に昨日今日みられる現象のような毛の生え揃わぬものどものがしゃついた集まりでなく、78才のテナーマンを擁するモダンジャズバンド、ベテラン新聞記者がピアニストを務めるクァルテット、石沢氏の参加していたのはソウル系ブラスロックバンドでここにはエリック宮城に容貌の似た(プレイも目指してはいるしericと交際もあるそうである)トランぺッタ−までいるし、勿論若者もいて、ギター5本そのうち4人は歌うと言うフォークロックバンド(まとめてやっちゃえばよいというものでもないが、、、)など盛り沢山なんである。
打ち上げは”ジョニ−”。なんと日本一のうるさがたとの評判もないではない陸前高田ジョニ−がいつの頃からか盛岡にあるってのをこの日に知ったのだった。
翌日は仙台でもともとはこの地の主催者の発案が今ツアーの核になってたのだが、石沢氏がかれの出身地北上のFMに出ないかというので喜んで出させていただきますとばかりにまかせておいたらなんと放送局ではなくショッピングセンター内の特設ステージ(ぼくの知ってる範囲でいうと新浦安ダイエー入った所のおばちゃんたちがタムロなみえる吹き抜けのとこ)であったのだった。伝兵衛といるとどうもこういうことが多い、、、、あ、この場合は伝兵衛のせいじゃなかったね。
加えて生本番だというので、こちらのスケジュールに時間をあわせてもらうわけにもゆかず、コンサート開始6時のところ電車移動で仙台に6時00分の到着。駅前のビレバンに駆け込む。ここは20年来の知り合いライブハウスで、雪村いずみさんやタイムファイブと飲みに行って ”すんまへんブルース”が生まれた場所でもあるのだが、なんと超満員溢れかえりで入場の整理もまだついていない状態で、結果オーライ。なにごともなかった風を装っておっとりと演奏を始め、大好評のうちにアンコールまで無事終了。一時はどうなるかと心配しても、、、、過ぎてみたらば、、、”すべてがうまくいくツアー”、、、、、、、、、、。
翌日は偉(スグル)のキャンピングカーで三沢に行くのだととても観光気分で目を覚ませてみると、ホテルの窓の雪景色、ソフトアンドメロウやないかいなとわくわくロビーにおりてみれば伝言有之。曰く
”雪道状況予断を許さぬにつき、レイ(胆沢にレイチャールスがいるのだが今回PAで手伝ってくれてるのだった)と共に朝一で出発す。列車はめったなことでは止まらず所用時間も短いにつき適宜現地に来られたし”
一戸の駅でホームにおりた途端、寒さでピリリと目が醒める。スグルの家に向かうタクシーでそのことをいうと運転手、振り向きもせず悠然と応えることには
”寒くて起きなきゃそりゃ死ぬ時だ”、、、、、
一瞬理解できなかったが、実に真理である。いいjokeにもなっているのだが、つい2〜3日前まで九州にいたので東北的jokeにタイミング的にも内容的にも即応力にかけていたことであった。そこでつい最近まで23℃のところにいたのだと告げると
”なに23℃低いだけだ”、、、、、
こりゃ愉快な運転手さん(60は過ぎてる感じだったろうか)にあたったわいと、その後の会話を楽しみにするも人口は少なく土地だきゃ広く、住んでる人々の苗字が極端に少ない(同姓が多い)こととて早速迷いだし、昔、といってもついこないだまではどうしてたんだろうと思いつつ携帯電話の有り難さで車は移動しながら目的地からのナビゲーションを受ける。なぜかそれでも手間取ったすえにマサヒロ(スグルの長男にして第ニ子、小学低学年ながら津軽三味線を弾く)の待つ(待ってなかったかもしれぬ)雪に埋もれた一軒家に到着するや、かの運転手、迎えに出てくれていた奥様やその毋君に ”電話は便利なのだが自分は耳が遠いのでさほど役にはたちませんなぁ、目の方は近いンでこちらも不自由なことです”と明るく挨拶をなされ、アハアハと笑いながら、迷うそぶりもなく雪道を颯爽と帰っていったのだった。
炬燵でみかん、ひろい窓から見えるはただただ白い雪景色のみ、まだまだ元気なおばあちゃんと、いかにも可愛がられてそだってる2才の女の子、なんていうテレビドラマでも使いにくいくらいのシチュエイションを楽しんでいる所へ這う這うの態(ホウホウのテイ、、、と読むのだが死語だろうか?)で帰って来たスグルの話を聞いて腰がぬけた。
大雪の中キャンピングカーがどうもガタゴト云うのでだましだましなんとか高速出てすぐ路肩に寄せて止まってみるとなんと右後輪6本中5本のボルトが粉砕消失しているではないか!構わず飛ばしていたら高速運行中に吹っ飛んだことだろう、いや待て!仙台をスタッフ2人でなく総勢5人で出発していたら、ネジのゆるみと壊滅は必ずや全員の命あるいはそれ以上を奪ったであろうことは容易に想像できるのであった。ちょっとした用心(雪だからステージの人には確実な方法で動いてもらおう)と慎重な行動(何があるかわからないから無駄になっても朝早く出発しよう)がみんなを救ったのである。スグル nice choice! と感謝しきりな僕達に”去年亡くなった親父がきっと助けてくれたんす”となんと殊勝なことか、みなで父上に合掌。へたすりゃ死ぬ目に会うところを間一髪すり抜けながらも、道中、結果としては、、、、”すべてがうまくいくツアー”
さてその夜は峠の道ばたにぽつんと立ってる山小屋ライブハウス、”ウッドカンパニー”。オーナーのマサトはでかい図体とかぎりなくやさしい心持ちのギタリスト。どこまで積もるかわからぬ夜の峠に100人近い聴衆がにこにこと集まってくれるのも、雪道になれた地元人というよりはマサトおよびそのスタッフの日頃の暖かみなのだろう。アンコールまで終わって寛ぎタイムに入っても半数近い人々がちょうどよい賑やかさでがやがやしているのが酔いの回った耳に心地よくひびいていた。ところへ、例の、、、というか、レイの!玉チャンが、まるっきり ray charles となってピアノの弾き語りをファンキーにかましてくれたのだ。ヘアも衣装も完璧!高速で死にそうになりながらもこの打ち上げのために道具一式持ち歩いてたとは、、、ひやかしの声も、黄色い歓声も、鼻のおくにツンとくるなつかしげな匂いも、なんだか種類の違う多くの感情がふしぎなことにまとまってある一つの色になって心をみたすのだった。
吹雪の中の帰り道、それでも空いてるコンビニに寄った際には両手をひろげて上向いて”ミ−シャ!”などと幼稚なはしゃぎようをしつつ、からりと晴れた翌朝聞くところによると観測史上最大の雪嵐だったそうで、三沢で70cmも雪が積もるというのは本当に珍しい、というよりないことらしいが、前日に体験した舞い上がる粉雪は地嵐といってこのあたりの名物らしく、わざわざ東京から見に来る人もいるという。などと呑気なことをいってる場合ではなかったのだ。伝兵衛などは雪国のひとの苦労に思い及ぶ風もなく、初めてだワ〜イワ〜イとおとな大の雪だるまを朝から作っておったものだが、そういうことだから天罰がくだったのだろう、普段車で1時間ほどの二戸に行くのに6時間かかったのみならず、山の南側ではタイヤを雪にとられ、北側では完璧なアイスバーン。スグルの車が前述の通りなので友人の上久保正俊君に借りた、買ったばかりの乗用車のサスペンションはいかれるわマフラーはこするわではた迷惑とは正俊のこの日のために何百年も前に生まれた言葉だったのだろう。しかし、判断のアマさ、たまたまの悪天候にもかかわらず、ブルドーザーが山野をなぎ倒して進むがごとく周囲に迷惑をふりまき、人々の有り難い助けをいただきながら、、、、、”すべてがうまくいくツアー”、、、。
やっとの思いでたどりついた会場には100人ほどの予約のうち20人程。皆さん家の前の雪掻き雪下ろしをしてから来て下さったのだから20人は大きい数字だと言えるだろう。しかもライブが終わってみると40人程にふえてるではないか!こういうのは本当にうれしい。なにもお返しできないだけに感動する。彼らはそれから帰ってまたガレージの雪掻きをしてからでないと家に入れないのである。東北人おそるべし。
なんだかんだで、一時はどうなるかと心配しても、、、、過ぎてみたらば、、、”すべてがうまくいくツアー”
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