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佐山雅弘の音楽旅日記
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佐山雅弘の音楽旅日記
毎回、彼の全国各地での旅のエピソードをお送りします。
瀬木貴将ツアーその1 語学旅行の巻(村上春樹ふう)

 英語を覚えたのはポルトガル人のヒッピーサックス奏者と一月暮らしたときだった。あのラオキャオは今どうしているんだか。向井滋春さんとインドのジャズフェスで知り合ったらそのまま日本までついて来ちゃって、向井さんも人がイイと言うか、ラオが上手だからでもあるんだが、しばらく自分のバンドで吹かしていて、たまたまバンド内唯一の一人暮らしだった僕の所へ居候したのだ。そんなふうに世の中はとても平和にできていた。1978年のことだ。

 そのことがあったので、このたびの瀬木貴将ツアーちょうど30日の行程で、ドナートが一緒だからこのさいスペイン語を覚えてやろうと思い立った。一月じっくり勉強すれば外国語のひとつくらいしゃべれるようになるだろう。入門書と辞書、それに小振りだが分厚い手帳を3点セットにして旅行鞄のいつでも出せる所に納めて出発。車移動である。考えてみれば理想的な教育環境といえるだろう。ネイティブ(スパニッシュでなくボリビアンだが)とバイリンガル(瀬木は英語も話すので本当はトライリンガル)の2人に連れられて30日旅行するのだから。

 11時のチェックアウトの前に教科書のワンレッスン分を予習してロビーに降りると”ブエナスタルデス、プロフェソールドナート”と挨拶から始めてその朝覚えた言葉をいうと直接添削してくれる。朝からワインの注文の仕方など喋り出したりするのは教科書の進み具合でご愛嬌。次の公演地へ向かう車のなかでは運転席の瀬木と助手席のドナートがずっとスペイン語で喋ってるので自然と耳が慣れる。というか英語と違ってほぼカタカナの感覚で聞いたり喋ったりできるので覚えた言葉はすぐ聞き取れるのである。音楽か×××の話だと解説をはさんでくれる。

 それにしてもdonato espinoza すばらしい。彼が和音を弾くと風が吹く。旋律を弾くとこの身が風にのる。彼が弾き終わった後にはわれわれはその前と違う場所にいる。初日の京都大谷大学でのコンサートも盛況なおかつイイ出来だった。 ディアパソンのスタンダードグランドで象牙の鍵盤がイイ感じの飴色になっているところと、長年放置されたのも手伝っているのだろう、タッチレスポンスが辛いことから相当古いものだと察せられる。共鳴鉄板の一番手前にdiapasonの文字とともにno.185と浮き彫りに打ち出されていつのはまさかシリアルナンバーではないだろうけど、大谷大学が101周年らしいから、1902年、明治35年に購入?それもないか。楽屋に使われた集会室のヤマハG5のほうはなにかといたずら弾きされてるのだろう、それなりに弾き易い。立派な空家より、そこそこでも人の住み続けてる家のほうが朽ちないということか。古いディアパソンの来歴を明らかにしつつ、甦らせてあげたいものである。講堂も響きの良い立派なものであるだけに惜しまれる。でもホリゾントを開けるとそれはそれは立派な仏壇があらわれるのだ。ちょっとこわい。

 明くる日は12:30の本番にあわせて朝7時京都出発。両端がつながった淡路島をそれ自体ひとつの大きな橋に見立ててつつ高松に直行してフェリーに乗るはずが、神戸の手前から大渋滞。鳴門海峡で事故があり木材が散乱して通行止めだという。400m先の出口に1時間かかって辿り着き、裏道を通って新神戸に車を乗り捨てた。新幹線で岡山につくと山村さんがお出迎え。岡山駅は最近車の横付け全面禁止なので地下アーケードを400m走って安田さんの車に飛び乗った。安田さんは7/3岡山美術館コンサートの主催者、山村さんはそのお友達で、コンサートスタッフでもある。80分の行程に50分のリミット、なんと45分で到着。なにごともなかったかのごとく着いたフェリーを出迎えてくれたコーディネイタ−の末澤女史はデザイナー。最近自分の会社を起こして官庁街に素敵なワンルームの事務所を開いた行動派。コンサートは今までに何度も開いているがそのラインナップはニ胡、琴、タブラなどディープな方に寄りがち。面白い。金子飛鳥がお気に入りで友人でもあるという。さもありなんと思える涼やかなお人柄。

 翌日昼には終わって屋島の藁屋でたらいうどん。高速バスで神戸。ビッツを無事回収してそのまま富山。さすがにばてた瀬木をホテルに残してジャズ喫茶の老舗ワークショップへ。ずいぶんご無沙汰していたが訪ねてよかった。翌日は休みだし、次回3〜4泊する時はスタッフともどもアフリカにいってるという。相変わらずのアフリカ好きのマスターであった。

 すっかり馴染みになった富山の竹田楽器に今年は300年記念モデルのスタインウエイが入っていて、、、、、、惚れてしまった。別れがせつない。と思っていたら翌々日、白馬のま新しい綺麗なホールにはいってみたら、な、な、なんと!同じモデルがある。日本に10台のうち早くもふたつとランデブー。この日の夜にはドナートと二人で温泉に入りトツトツとおしゃべり。小さい子供が悪い言葉から覚えるのがよくわかったことには、”よろしく”とか”お座り下さい”なんてのは毎日言っててもノートを広げるありさまなのに対し”素晴らしい胸”とか”身障者用トイレでウンチする”なんてのは一発でおぼえるのである。面白がって何度も口にするのでますます身につく。

 ワールドカップはブラジルが優勝し、ボリビアの大統領戦では知り合いが当選してドナート大喜び。でも選挙の方は15政権(?!)のほとんどが知り合い乃至友人で、それぞれに応援曲を提供してるので誰が勝ってもよかったらしい。変な国である。

 いつもの3人に天野清継が入った金沢もっきりやでのライブでカッティングの気持ちよさの中で考えた。

 自分のリズムは出す。人のリズムは聞く+からだに入れる。人のリズムから割り出したリズムに波乗りで弾くと、合うことは合ってもスィングしない。自分のリズムでラウンドし過ぎるとずれていくのはもとより、集合体としてのグル−ブの愉悦から遠ざかる。とかくスイングは骨折れだ。と草枕のもじりである。言葉にしてしまうと数も多いし回りくどいんだけど要するに、”集中して人のカッティングの16分音符まで把握してからだに入れる。なおかつ自分からのスィングはキイプしている。楽しく楽し〜く楽し〜〜〜くなってきたところで、油断しない。楽しいんだからそこにいること。安心してラクなキープの方へ線をまたいでしまうと、音楽は2番目に楽しいことになる。それはそれで”あり”だけど、ちょっと勿体無い。

 あくる三次のラコルレはレストラン。フランス語で”丘”ですね。スペイン語も同じ。元を辿るとラテン語っていうのはやはり便利なようで、何年か以前、やはり瀬木の仕事で一緒になった小林靖宏(今は"COBA"という外人だか町民だかわからん名前になっている)のイタリア語とドナートのスペイン語で十分会話が成立するのを横から渡辺香津美君と一緒に感心していたのを思い出す。そういう光景っていうのはなにはともあれ、すごく素敵なことだと僕は思う。
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