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佐山雅弘の音楽旅日記
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佐山雅弘の音楽旅日記
毎回、彼の全国各地での旅のエピソードをお送りします。
瀬木貴将ツアーその2 ロングドライブの巻(東海林さだおふう)

 やっとアナゴが食べられた。瀬木と名古屋にくるたび連れてもらっては休みだったり休憩時間だったり。ありますね、そういう縁のない店ってものが。そういうところに限ってやっとありついてみると、お味が思った程じゃなかったり店員が妙に高ピーだったりする。まぁそれは振られ続けてるうちに期待過剰になっていたり、たがいの精神のテンションがずれていたりということなんだろうけど。ところがここんチは良かった。ツアーの共演者にして速成スペイン語の師匠、ドナートエスピノーサと地元名古屋の友人、計3人で入ったので3種類のアナゴ料理と6種類の箸休め。瀬木が別行動だったので、ここぞとばかりスペイン語であれこれ喋っていると店の人、”川口さんのご紹介ですよね?”。瀬木の名古屋での兄弟分にして地元のフォルクローレの名手(zanpona and quena)川口クンのことである。なんでも姉妹店のうどんやサンにいるルミコさんが川口君のなかよしでそちらに是非立ち寄ってもらうように言い遣っているという。ルミコさんはこのチェーン店のオーナーの娘さんなので断るとこの若い女性店員にもよろしくなかろうと、そのうどんやさんを訪ねた。さんざん食べて来たとことわるのに、”このくらいならデザート代わりに”と冷や麦をいただいたのであった。スペイン語でムィリヤモ、英語ではマッチイナフ になりながらも、もてなしは受け取らねば、と食べる僕の横ではドナート氏、すずしい顔で平らげた。これは彼が大食漢なのではなく、頑張ってる様子を見せることすら相手に気遣わせるとの思いやりなのである。偉いのである。そのへんのラテン人とは違うのである。いやゴメン。ラテン人をまずそこでくくることが間違っているのである。政治経済文化などの差から来る相性好悪の割り合いはあっても人と人は先ず個人個人のフラットな判断から入るべきである。その上で嫌いだったらちゃんと嫌いだと思うべきである。わざわざ表明することはないけれど。嫌いな時は嫌いでいるほうが好きになった時ちゃんと好きになれるのである。自分の中の嫌いにフタをしてる間は好きになるチャンスも自ら逃していると知るべきである。そういう発想に基づいた国際交流は少なくとも民間レベルにおいて可能なのである。おおげさである。

 東名春日井〜小牧ジャンクションで中央道〜岡谷ジャンクションで長野道〜上越ジャンクションで北陸道、、、と、普段運転しないものには酷な道程を、峠ごとの大雨にも負けずとばしてたら燕三条駅の手前でパトカーに止められ(スピード違反)切符貰って再出発してすぐに駅真横でガス欠。3ヶ月の免許停止期間があけて初の運転がこれである。2月に運転した時も、半年振りだというのに左折禁止を破ったら真後ろにパトカー。免許証不携帯だったので無線で問い合わせると期限切れにつき無免許運転になるという。10年程も前の事だが当時は電気楽器を使っていたこともあってよく運転していたのだが、クリスマスシーズンに友達を送ろうとして”どっち?””あっち!”と突進したら踏み切りをノーブレーキで超えてしまったところが交番のまん前。おまけに一方通行を逆行していて酒気帯び、この時も免許証不携帯プラス期限切れ。でも罰金は45000円だった。決して安くはないが自分が悪いんだし、今回もそのぐらいだと思って覚悟をしていたら80000円とられた。物価はあがる、事件は起こる。

 ドナートと二人の新潟でのオフはビリヤードとジャズ喫茶でそれなりに楽しんだが、長旅恒例のクリーニング屋さがしにおまけがついた。いや、おまけと言っては失礼だろう。カウンターに珍しく若い女性がいるので(当然)声をかける。イクミちゃんというその美人もスペイン語会話に興味があるらしく翌日のコンサートにくるという。外人はトクだね。英和辞典を持って来たのは、よくわかってなかったのかせめてもの気持ちなのかはわからぬ。それでも熱意というのは通じるものである。僕のスペイン語辞典と彼女の英和辞典で二人だけで随分話し込んでいた。出演者の三人それぞれにお花を持って来てくれたのも感激。

 新潟大四ホールのべ−ゼンがいいのは前から知ってたが今回は特に相性もよく、客入れ前に2時間以上楽しんだら調律師の人がずっと聞いててくれてそのあと再調整。おまけに”いいご褒美をいただきました”なんて言ってくれちゃうもんだからすっかり嬉しくなって木に登る。

 函館は乙部町公民館のkawai がなかなか弾き易いと思っていたら打ち上げで、”あのピアノでよくぞいい音を”と言われた。鳴りの悪さが定評の楽器がピアニストが気付かぬ程によく仕上がっていたのである。もっとも僕は無頓着アンド鈍いほうの弾き手だけれど。何時間もかけて調整してくれた調律師上出(かみで)さんに感謝。朝からずっと格闘してくれてたそうである。おまけにコンサート終わるまでずっと脇で見守っていてもくれた。こういうのはグッとくる。

 翌函館金森ホールでのyamaha C-3Fも上出さんと一緒で嬉。ピアノのキャスターが外向きと内向きでそれぞれ外交的とその逆の鳴りがする、というある種の定説があるそうだ。びっくり。腕立て伏せで胸板を響かせる際の両手の向きを考える要領だと言われてみれば判る気がする気がするし、実験してみると確かにそうも思えたが僕の場合先入観の要素の方が強いんだろうな。

 中新田では着物が出来あがりつつあった。くるみ染めの黒地に梅染めのピンクや生地ままの白の格子。見ると地味、着ると派手、不思議である。似合いそう。羽織はまだ機織り器にはさまっている。

 この日でドナートとはお別れ。あっと言う間のひと月だった。いつもそうだけど。休むことなく毎日朝の自習と積極的な会話は続けたけれど思ったほどスペイン語は話せるようにはならなかった。ノートを見ながらの会話ならできる程度で終わったのは残念だけど充実した毎日だった。寿命に間に合うかどうかは別にして何かを学習してる時間があるというのはそれ自体で楽しいことなのだ。
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