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毎回、彼の全国各地での旅のエピソードをお送りします。 |  |
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千歳空港に降り立った空腹の松田昌が発車2分前のJRのホームで慌ただしく買ったイカメシを座席で食べようとするが厳重な包装にてまるで開かない。カッターナイフを使ってやっとの思いで中身にたどりついてみるとなんとそれは展示用の見本だったのだ。呆然としているところへ車内放送あり。”千歳駅でイカメシをお買い上げのお客さま、商品は見本ですので食べないで下さい。札幌駅でお申し出下さい。”車中は大爆笑である。いくらあせっていたとはいえ、商品見本をひっつかんでお代(700円)を置いて走り去った客というのは過去に居ただろうか。天が下新奇なることなし、とはいうものの、かなり珍しいキャラであることはまちがいない。
勿論駅で返すわけはない。楽屋に持ち込んでそれをネタに笑ったりコンサートのMCネタにしたりするのであるが、翌日旭川駅に降り立った途端、”千歳でイカメシをお買い上げの、、、”とのアナウンス!ライラック号に珍しく公安が乗っていたがまさかこのことではないよなぁとあらためてひとしきり笑えたことだった。
今年は松田昌の音楽生活30周年で、間を空けつつ十数カ所をまわっているシリーズコンサートも終盤に入り、雪の札幌道新ホールはsold out ! エレクトーン人気というのも侮れないものである。30年とは言えそれは松田昌がコンクールにおいて当時誰も考えの及ばないコンテンポラリィつまり現代曲を発表してグランプリを取った所からの勘定である。周囲はおろか本人さえも優勝など考えておらずコンクールを自作の発表ないし提起の場として使ったのであって、これはある意味正しい。チャイコフスキーコンクールでもショパンコンクールでもいわゆるコンクールで入賞するための方法論や選曲方がいつのまにかできていって、それはそれでしょがない流れではあるのだろうが、エレクトーンコンクールなどは楽器の歴史が浅いだけにその傾向は強まる。松田昌の投じた一石は大きい。が、現代音楽的要素を多分に含んだクラシカル作品がここのところグランプリを取り易くなっている傾向を彼が始めたといえなくもないので複雑ではアル。まぁ表現者というもの好悪その他多面的な結果はついてまわるものだし、無条件に受け入れる覚悟がなくては直感にやすりをかけたようなアイデアを発表出来るものではないだろう。
個人的なことを比較すると佐山雅弘と松田昌は面白い。二人とも兵庫県の同郷それも尼崎と宝塚という比較的近い地域なのだが奇縁である事にそれぞれの連れ合いが同じ町、同じ中学高校の同窓生なのである。まぁそれは内々のこととして、、、。
ぼくは甲陽中学そして大阪教育大学付属高校というそれぞれ受験校にチャレンジしていずれも果たせなかったのだが松田昌は小学校が大阪教育大学付属、高校は北野高校という関西エリアでは知らぬもののない超偏差値高の学校を出て、ぼくが諦めた東京芸術大学作曲科にすすみ、ぼくが短期間で気の済んだヒッピー生活を7年程続けてのち、ぼくが小学5年で予選落ちして以来縁のないコンクールというものでデビューを飾るのである。
すごい。
そしてその放浪生活のある一時期、ひと冬を札幌で過ごしている時にたまたま知り合いに誘われて行ったコンサートが沖浩一エレクトーンコンサート、それも道新ホールなんである。客席の後ろ端からステージまで32年。アンコール最後のピアニカによるソロ、タイトルも”夢のごとし”のエンディングではうっすら涙も浮かぼうというものである。
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