|
 |
 |
毎回、彼の全国各地での旅のエピソードをお送りします。 |  |
 |
 |
 |
ひろびろとした田を蔽う一面の白色は遠目に見る山間部の雪景色にもまして心に泌み入る。自然そのものというより人文もまじるからだろう。山といえども植林のような肯定的な事柄から外科の荒療治のような(山の悲鳴が聞こえてきそうな)土木まで人の手は入ってはいる。明治政府は林業にとても力をいれていたそうである。富国強兵の工業化と並立させて植林その他の山間部の手当てを丁寧にすすめていたそうな。それが田中角栄の土木と目先の経済を結び付けた列島改造に全国の土建屋が便乗して琵琶湖や長良川にまで護岸工事をしたり鉄砲水をそこらじゅうにまきちらしたり、スギ花粉野放しになったりしてきたわけだ。それはともかく。
耕して天に至ると諷された日本の民としては数少ない平野部にしきつめられた水田に郷愁とも畏敬ともつかぬ感慨をもつものであることだ。 新庄から土岐というちょっと無茶な移動行程は、ルースと松田昌がともに一日おきの日程を組んだことによる。すなわちルースの千葉~豊橋~土岐というそれぞれの間に、松田の金沢~新庄がはさまって両者の伴奏(もしくは共演)者としては4日間のあいだに千葉、羽田、小松、金沢、大垣、豊橋、東京、新城、東京、名古屋、土岐というピンボールのような移動をおこなうことになる。名古屋から土岐まで中央本線に乗った。つまり久々に在来線(指定席のない地元電車)に乗り込んだわけだが、このあたりの人間はだめであるなぁ。4人がけの席の男二人は向かい合って座ってそれぞれの隣を荷物で占領して小心そうにゆずらない態勢を守っているし、二人がけのシートは全部一人ずつ。10分も化粧しているバカ娘はあろうことか最後に髪を念入りにとかし始めたではないか。となりの空席に人がくると迷惑そうな顔をするに至ってはどうであろうか。美濃尾張三河地方の印象になりかけたけれど、たまたま在来線に乗ったのがこの地方だっただけで多分日本中こうなんだろうな。こういうときに強い味方はオバタリアンである。“ごめんなさいね~”と大きなお尻をどっかとおいてくれると、まわりのおじ様たちもおずおずと空いてる席に。やっと普通の満員である。
携帯電話も声高な話し声も子供でなく大人たちが平気でそうしているんだから教育やしつけがどうこういう次元はもう過ぎている。車内アナウンスも機内放送もずいぶん増えたように思う。以前は移動時間は作曲や編曲に絶好の瞑想タイムだったが東京から新横浜直前くらいまでは放送事項がある。おまけに音楽(らしき何か)まで付いてきて迷惑な話である。でもこちらの集中力や持続力の低下ということでもあるんだろうな。才能の枯渇?少なくとも環境は変わりそうにないから自衛手段を考えるか、体質改善を図るか、である。車移動かな。 さてルースである。本名竹内ナオミ、知多半島出身の30代デビューしたこの歌手はひさびさに安心して歌が聴ける本物である。地力がしっかりしてる歌手が珍しいということのほうが珍しい現象なんであるが、、、。 まだまったくはやっていない頃からその世界に惹かれ、単身サンフランシスコに留学して現地の教会のクワイアにとびこんで時を経ずしてソロパートを任されるなどしていたそうな。欲のない人で、帰国後は普通に就職しようとしたのだがストーブの売り子くらいしか働き口がないところにたまたまゴスペル指導の口がかかって働いているうち知り合いのバックコーラスなど手伝っているところを見出されたという、今時珍しい謙虚な出自である。その謙虚さが今回のデビューツアーで裏目に出ることもまぁあるのだが、人間としての美徳が歌の表現にもそこはかとなく乗っかっているところが実にいい。本当にうまい、プラスちゃんと人生経験が歌唱に入っている、そしてさして美人でなく年も若くはないこの大型新人を日本のオーディエンスはどう受け止めていくのか、興味深く客席を眺めて各地を回るのは伴奏者としてのひそかな楽しみでもある。
別の興味もある、それは、、、。
ずばぬけて歌がうまい(または、うまいとされる)女性歌手たちは浅川まき、金子まり、亀淵ゆか、吉田美奈子、カルメンマキなど(敬称略)それぞれ素晴らしい個性で勿論ひとくくりにはできない(一筋縄でいかない?)のではあるが、みんななぜかなぜか黒い衣装と長い黒髪になる法則があるように思えて、ルースもやがて、、、?
|
 |
 |
 |
|
|