新居昭乃 ロングインタビュー

デビュー30周年。この長い月日のなかで彼女はどう音楽と向き合い、
そして音楽家としての自己を構築していったのか。
新居昭乃の音楽人生を振り返る、ロング・インタビュー!

01/022010年代

interviewer
2010年代に入り、そろそろ『Red Planet』と『Blue Planet』の制作がはじまろうとしている頃の昭乃さんは、いかがお過ごしだったのでしょうか?
akino
ファンクラブができたり、ウェブでお洋服屋さんを始めたりして、あろうことか音楽ばかりやってるわけにいかない感じにもなっていたんですが(笑)、でもステージ上ひとりで弾き語りでライブする「リトルピアノツアー」を始めたりした頃ですね。安藤裕子ちゃんのツアーサポートも一生懸命やっていました。
interviewer
この時期、自分の音楽に影響を与えるような出来事はありましたか?
akino
手嶌葵さんのために保刈くんと一緒に作った「虹」という曲を周りのミュージシャンやスタッフたちが気に入ってくれて、じぶんでは曲の良さにそこまで気付いていなかったんですが、みんなにいいって言ってもらえたことで、じぶんの音楽にすこし幅ができたように感じた、ということがありました。
interviewer
アルバムの制作がはじまる時期には、ちょうど東日本大震災(2011年3月11日)もあったかと思います。
akino
そうですね。「灰色の雨」と「Our children's rain song」の2曲についてはかなり直接的な想いがこもっていると思います。震災があって日本から外国人が一斉にいなくなった時、ラスマスさんは「こんな時こそ僕は日本へ行く」と来日してくださって、ラスマスさんが泊まっていらした部屋に機材を持ち込んで一緒に作ったのが「灰色の雨」でした。その日も大きな余震があって、雨が降っていて、その時に共有していたのはたしかに同じ感覚だったと思います。
interviewer
「Our children's rain song」はどのように生まれたのですか?
akino
「灰色の雨」は日本語詞ですが、ラスマスさんのために英訳してもらっていて、その英訳にたまたま曲をつけたものが「Our children's rain song」の原型になりました。なのでできれば英詞にしようという話になって。私たちの世代にとっては憧れのクリス・モズデルさんに依頼してみることになったんです。クリスさんご自身も抱えておられた感覚を形にしたいと思っていらしたそうで、喜んで引き受けてくださいました。
interviewer
この時期、音楽家にとってはとても微妙な時期だったと思います。
akino
音楽が何の役にも立たないという想いにとらわれてしまった方は多かったんじゃないかと思います。私は「祈り」という曲をYouTubeに上げたんですけど、それは生きている人のため、亡くなった方々のためにただただ祈ることしかできなくて、ピアノにすがるような感じで作った曲でした。
interviewer
音楽が、被災者のなんらかの力になると信じていた?
akino
それはわかりません。音楽が役に立とうが立つまいが、私には曲を作ることしかできなかったという感じです。
interviewer
Red Planet』と『Blue Planet』は、昭乃さんの生音と打ち込みの多彩さを背景に、様々な表情の楽曲が収録されている作品ですよね。
akino
「灰色の雨」のような曲がある一方で、「喜びの竪琴」みたいな曲もありますね。「喜びの竪琴」は保刈くんが作ったメロディーで、最初に聞いたときに“希望の歌”というフレーズが浮かびました。「希望を持ちたい!」という気持ちになって、世界の美しいことだけを歌う歌詞にしました。いろんな想いが交錯していた時期なので、楽曲にも現れていると思います。
interviewer
このときの、「作りたい音楽」ってなんだったんですか?
akino
ひたすら美しい音楽というものを思い浮かべていました。悲しかったり寂しかったりすることも含めて。「HAYABUSA」は究極の孤独を象徴した曲ですが、その絶望ですら美しいと感じていました。生きているからこそ絶望するのだ、、というような。
interviewer
この時期、昭乃さんは音楽家としてどのようにありたいと思っていましたか?
akino
結局は変わらない感じです。自分自身の中で鳴っている音楽を、できるだけ忠実にこの世界に放っていきたいっていうことだけです。

02/02これから

interviewer
なるほど。だからこそ最新アルバム『リトルピアノ・プラス』に「Stay」のような、今ここにあるものを留めおきたいという曲も生まれるわけですね。
akino
そうですね、この世界の美しさ、調和がとれているものの素晴らしさ、そういったものを、願わくば留めおきください、という願いのような気持ちを「Stay」に込めました。
interviewer
長年、様々な出来事をきっかけに揺れ動いていた昭乃さんの心に、何かはっきりとした答えが出たのでしょうか?
akino
30年という月日の大きさは感じています。30年も、音楽ができる環境だけはあったということは特別なことだと思います。こんなに毎日楽しいことばっかりやって生きていけるわけがないと思いながら、気がつけば30年。それはもう自分の力ではなくて、与えられたもの。そう思うと小さな誇りも生まれます。はっきりした答え、というほどのことではないのですが、その与えられたものに自分自身を委ねて、精一杯やっていくことしかないと思っています。
interviewer
これから先、昭乃さんはどんなふうに音楽を作っていくのでしょうか?
akino
より誠実に、より自由にやりたいです。優しいファンのみなさんに喜んでもらえる作品を作り続けていけたら幸せです。