AYNURAYNURアイヌール
近年までトルコではクルド系住民やその他少数民族が彼らの言葉や文化を広めることは禁じられていた。トルコ政府は文化的な浸入と分離を恐れ、特にクルド系住民は自分達のアイデンティティを隠さなければならなかった。このパラノイア(被害妄想)がクルド系住民自体で内戦を引き起こしそうにもなったほどだ。教育において全ての相違を解消させる狙いの下、多民族社会で起こったこの種の排他性は既に過去のものであるが、クルド文化の自由化へと導いたのはトルコ内の信念だけではなく、トルコのEU連合に向けてEU諸国からの政治的要求の結果なのであった。
アイヌールは自分の民族に自信を持って伝統を伝えるために、あえて伝統的なクルド音楽を歌うのである。彼女の歌は苦しむ人々の壮大な物語そして哀歌であり、人生の痛みの表現で、一種の東洋のゴスペルと言えるであろう。それらの物語を含む歌はデングベジュ(Dengbej)と呼ばれる吟遊詩人たちによって歌われていて、アラビアやメソポタミア、さらにユダヤの影響を受けているヴォーカル・ミュージックである。
アイヌールの声には明快さと強い力がある。映画に最適な視覚・音響環境をつくるために、ハッケは彼女の曲をハマム(トルコ風呂)で収録する事にした。ハマムのドームで彼女の声は神聖な響きと催眠的なエコーを帯びた。そして、彼女の音楽を一つの精神的な経験に昇華した。
他の家族と同様に、アイヌールの家族もクルド系住民が多く暮らす地域からイスタンブールに来た。幼少期にはクルド語は公式の場での使用が禁じられていたため、トルコとの同化のプロセスの間に移民の子供たちの多くは母国語を忘れてしまった。音楽によりアイヌールは自分自身の言葉とアイデンティティを再発見している。アイヌールのようなアーティストはトルコに暮らすクルド系住民の新たな象徴である。