ライナーノーツ

東京に吹いた風の記憶

1965年から74年、すなわち昭和40年代は社会全体が激しく揺れ動いていた時代であり、音楽に限らず新しい文化が次々と生まれた10年と言っていいだろう。「モーレツからビューティフルへ」なんて富士ゼロックスのCMがあったが、GSからニューロックへ、メッセージ・フォークからニューミュージックへ、と音楽も進化し、人々の生き方も価値観も大きく変化した。
フーテン、サイケ、アングラ、学園闘争、風月堂、西口フォークゲリラ、深夜放送、日比谷野音、エトセトラ・・・。あの時代の東京、特に新宿はカウンター・カルチャーの拠点だった。
あの時、東京に吹いていた風。がむしゃらに熱くなっていた青春の記憶。
時代の肌触りが甦るような16の楽曲が収められた。
あなたはどこで何をしていただろうか? 

 
1. 東京/マイ・ペース
1974年から75年にかけてオリコン・チャートのトップ100圏内に45週連続登場、100万枚を越える特大ヒット曲となったデビュー・シングル。74年10月にビクターSFシリーズからリリースされた。最初は東海地方からラジオを中心にじわじわ火がつき、結果的にロングセラーを記録している。マイ・ペースは元々「放送禁止歌」で知られる山平和彦のバック・バンドとして秋田で活動していた3人組で、この曲のプロデュースも山平。リーダーの森田貢は現在も活動中だ。
2. なのにあなたは京都へゆくの/チェリッシュ
松崎好孝と悦子による歌謡曲の夫婦デュオというイメージが強いが、初期はれっきとした5人組のフォーク・グループであった。アメリカのアソシエイションの名曲をグループ名にしただけあり、ソフト・ロック的な要素も強かった。大ヒットしたこのデビュー・シングルは、71年9月にビクターSFシリーズからリリース。この頃、国鉄(現JR)のキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」の影響か、京都に旅するのが若者の間でも流行っていたが、電車を利用せずヒッチハイクの者も多かった。
3. 時にまかせて/かねのぶさちこ
元祖女性シンガーソングライターとして、後世にも大きな影響を与えた金延幸子のデビュー・シングルで71年7月にビクターSFシリーズからリリースされた。大滝詠一の初プロデュース作品としても知られる。この時のアーティスト名はまだ平仮名表記だ。このシングルから1年後の72年、URCより伝説の名盤『み空』をリリース、同時期にアメリカの音楽誌「クロウダディ」の編集長ポール・ウイリアムスと結婚し渡米している。
4. 高円寺/よしだたくろう
71年の「第三回全日本フォークジャンボリー」での「人間なんて」の熱演が話題になった吉田拓郎は、72年、エレックからソニーに移籍。「結婚しようよ」「旅の宿」の連続ヒットでフォーク界のプリンスとなり、フォークの大衆化に貢献した。「高円寺」は当時の代表的なアルバム『元気です。』の収録曲。72年7月にCBSソニーからリリースされた。この頃より、若者は学生運動にも疲れ、反戦などのメッセージ性のある歌詞より、個人の小さな幸せを歌った作品に共鳴する時代に変わっていったのだ。
5. サルビアの花/岩渕リリ
「サルビアの花」は、伝説のグループ、ジャックスの早川義夫のソロ・アルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』に収録されていた曲で、多くのカバーを生み競作となった。岩渕リリはヤマハのポプコン出身のシンガーで、72年4月にビクターのSFシリーズからリリースされたセカンド・シングルだが、同時期に女子大生トリオのもとまろのバージョンの方がヒットした。
6. 空に星があるように/荒木一郎
元祖シンガーソングライターの荒木一郎は、当時の若者たちに絶大な人気があったラジオ番組「星に歌おう」(ニッポン放送66年4月放送開始22:50から10分間)のパーソナリティだった。66年9月、番組のテーマ曲として自作したこの曲をビクターからリリースし、大ヒット。その後も「今夜は踊ろう」「いとしのマックス」などのヒットを飛ばし、レコード大賞新人賞を受賞している。俳優としても活躍しており、近年では作家やマジックの世界でも知られている。
7. 夏しぐれ/アルフィー
現在も活躍中の「ジ・アルフィー」は、元々はサイモン&ガーファンクルを完璧にこなす明治学院大学の4人組コンフィデンスを前身とするフォーク・グループだった。松本隆と筒美京平コンビのペンによるデビュー・シングルで、74年8月にビクターSFシリーズからリリースされた。
8. 恋は風に乗って/五つの赤い風船
五つの赤い風船は西岡たかしをリーダーとする関西のフォーク・グループでカリスマ的な人気を誇っていた。「遠い世界に」をはじめとしてシングアウトするメッセージ・フォークのイメージが強いが、アバンギャルドとポピュラリティを併せ持った独特のサウンド・メイキングは非常に独創的である。この曲は、高田渡とLPの片面ずつ分け合ったデビュー・アルバム『高田渡/五つの赤い風船』収録曲で、69年8月にURCよりリリースされた。
9. 宇宙にとびこめ/中山千夏
50年代から天才子役として知られた女優の中山千夏は、60年代末に一躍時代の寵児となり「チナチスト」と呼ばれる多くのファンを生んだ。69年には「あなたの心に」で歌手デビュー。「宇宙にとびこめ」は71年8月にビクターからリリースされたシングル「逃げたお日様」のB面曲で、ドラマ「焼きたてのホカホカ」の主題歌で中山本人も出演していた。
10. 12月の雨の日/はっぴいえんど
大滝詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂の4人からなるはっぴいえんどはまさしく日本のビートルズであり、日本ロック黎明期を代表するグループである。URCから70年8月にリリースされたデビュー・アルバム『はっぴいえんど』(通称ゆでめん)より。渋谷道玄坂の今もある老舗ロック・バーB.Y.Gによく出演していたが、はっぴいえんどの音楽には、下品なコドモの街になる前の渋谷の雰囲気を嗅ぎ取ることが出来る。
11. 学生街の喫茶店/GARO
日本のCSN&Yとして再評価著しいガロの大ヒット曲。メンバーの手になる優れたオリジナル曲も多かったが、プロの作家チームによるこの曲のヒットにより、ガロは一躍大スターになり、歌詞に出てくるボブ・ディランを聴く若者が増えたほどであった。72年11月、マッシュルーム・レコードからリリースされた。メンバーは、マークこと堀内護、トミーこと日高富明、ボーカルこと大野真澄。
12.悩み多き者よ/斉藤哲夫
70年2月にURCからシングルでリリースされたデビュー曲。斉藤は10代でこの曲を作り、まだ軟弱化する前のフォーク世代に熱く支持された。バッキングは、はちみつぱい。ポール・マッカートニーとボブ・ディランを融合させたような独特の作風でいくつものアルバムを残しているが、80年に宮崎美子の水着で知られるミノルタのCMソング「いまの君はピカピカに光って」を歌い大ヒットさせた。
13. 受験生ブルース/高石友也
関西フォークの先駆者、高石友也のヒット曲で3枚目のシングル。「帰って来たヨッパライ」の影響でテープの早回転を使用するとなぜか「アングラ・ソング」と呼ばれ流行っていた。この曲にも一部で早回転が使われている。68年3月にビクターからリリースされた
14. 雨あがりのビル街/遠藤賢司
はっぴいえんどにも強い影響を与えたことでも知られるエンケンこと遠藤賢司の初期の名曲で、URCから70年4月にリリースされたアルバム『NIYAGO』から。バッキングは、はっぴいえんどが務めており、10曲目同様、この時代の渋谷道玄坂や新宿がフラッシュバックしてしまうような不思議な浮遊感を持った曲である。遠藤は現在も精力的に活動中で、昔の曲もまったく変わらない歌声とギターで聴かせてくれる国宝的な純音楽家。
15. 塀の上で/はちみつぱい
鈴木慶一を中心とするはつみつぱいはムーンライダースの前身グループで、73年10月にベルウッドからリリースされた唯一のアルバム『センチメンタル通り』から。渋谷のB.Y.Gによく出演しており、はっぴいえんどとの交流も深いが、メンバーも流動的で東京のヒッピー的な存在感もあった。「羽田から飛行機でロンドンへ」という一節が時代を感じさせる。
16.一本道/友部正人
「日本のボブ・ディラン」と呼ばれたシンガーはたくさんいたが彼こそがそう呼ぶに相応しい。吟遊詩人、友部正人初期の代表曲である。72年4月にベルウッドからシングルでリリース、73年1月にはURCからリリースされたセカンド・アルバム『にんじん』にも収録された。この曲を聴いて、阿佐ヶ谷駅のホームから夕焼けを見た人が何人もいたことだろう。今もその風景は変わらない。
■■■ サミー前田 ■■■