
日本のオルタナティヴロックが新たな夜明けを迎えた1990年代の終わり、まだ何もなかった10代の自分にとって、Dragon Ashはようやく現れた同世代のリアルなロックバンドだった。当時確かに大きく立ちはだかっていたメインストリームとストリートの壁、邦楽と洋楽の壁、ロック/パンクとヒップホップをはじめとする様々なジャンルの壁――そういったものをすべて超えていく新しいミクスチャーサウンド。先人へのリスペクトを持ちながらも、それまでに誰かが作ってきたカテゴリーや価値観を壊し、自分達の世代の新しいカルチャーが生まれていくことを遂に現実に感じることができた瞬間。それはとてもワクワクする、エキサイティングな出来事だったし、大げさじゃなくこのジェネレーションが主体となって創造する新たな時代がここから始まっていくんだという、そんな興奮と実感が確かにあった。
そしてDragon Ashは実際に、この国の音楽カルチャーに対して様々な角度からカウンターを打ち、メイン・チャートを塗り替え、音楽メディアのみならずストリート系のファッション・メディアも巻き込みながら、それを現実のものにしていった。ロックとヒップホップの融合、ドラムンベースやエレクトロニカのエッセンスが色濃いサウンドプロダクション、その上で試みたラテンミュージックの導入――作品ごとの様々な変化は別途掲載されるアルバム解説に委ねるが、それぞれの楽曲で彼らが果たしてきた試行は今もなお強度の高い、というよりもジャンルのクロスオーヴァーが当たり前になった今の時代だからこそ再発見されるべき部分も多々あるのではないかと思う。17歳の降谷建志&桜井誠+兄貴的な存在であるIKUZONEこと馬場育三からなる3ピースで始まった彼らは、時を追うごとにバンドの編成、つまりDragon Ashというアートフォームを更新しながら、四半世紀に近い歳月を走り続けてきた。Dragon Ashが進化させたミクスチャーロックが今のロックバンド達に与えた影響はとても大きいのは明らかだし、音楽仲間をフックアップするべく自らレーベルやイベントを立ち上げたり、恐ろしく忙しかった時期に敢えて精力的にプロデュースワークや別プロジェクトを展開したりと、制作のスタイル含め、メジャーに居を置きつつインディペンデントな、かつパースペクティヴな視点を持って活動を繰り広げたそのアティチュードは、今の世代にとってもヒントとなる側面があると思う。
革命を掲げた時もあった。自分達の世代ですべてを塗り替えてやろうと大志を抱き、現実に時代の寵児になった時もあった。傷ついてボロボロになった時もあった。大き過ぎる喪失に今度こそ砕けてしまうのかと思った時もあった。だけどこうやって改めて初期の音源から聴き返して思うことは、現在に至るまで一貫してずっとそこにあり続けたのは、ただ溢れるほどに純粋な音楽への好奇心と挑戦心と、自身の才能と心にひたむきに向き合い続ける誠実さと情熱と、ロックバンドへの愛と、そして、それぞれの場所でそれぞれの夢を追いながら日々を生きる自分も含めたちっぽけな存在を、それぞれが抱える悲しみや痛みごと一歩踏み出すその勇気を肯定する、厳しくも優しい鼓舞とリアルなメッセージだった、ということだ。
Kjが“Viva la revolution”の<塗り替えるのは僕達の世代>というリリックを、ステージ上で柔らかな笑みと共に<塗り替えるのは君達の世代>と歌うようになったのは、いつからだっただろうか。
彼らは今も変わることなく音楽を作り続け、ステージの上で闘い続けながら、音楽を共に歌い鳴らすその瞬間の喜びだけを動力としながら、その瞬間を信じながら、バトンを繋いでいる。それは別に誰かのためじゃない。紡ぎ出す音と言葉の根拠は常に彼ら自身の中にあり、その矛先はまず彼ら自身と、そして仲間やリスナーも含めた彼らが大切に想う人々に向かっている。
ここに解放されたのべ322曲、そのとても色彩豊かで芯の通ったDragon Ashの豊饒な音楽の軌跡、そこに刻まれた彼らの人生の軌跡が、一人でも多くのミュージック・ラヴァーに届くことを願って。
有泉智子(MUSICA編集長)