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ラモーンズのロック・センスとインテリジェンス。
1. Loudmouth(RAMONES / 1976)
1976年4月発売のラモーンズの衝撃のデヴュー・アルバム『ラモーンズの激情』の収録曲。「お前はうるさいんだよ、ぶん殴ってやろうか」という物騒な歌詞が歌われている。シナロケはラモーンズとは初来日のライブも共演したし、彼らとはずっと親交が深かった。(鳥井賀句)
ラモーンズは「ヘイ・ホー・レッツ・ゴー」や「シーナはパンク・ロッカー」とか、俺たちも沢山カバーしているけどこの曲を選んだのは俺のこだわりがあるんよ。ラモーンズはアメリカを代表するミッキー・マウスみたいなパンク・ロック。そんなビーチ・ボーイズとも通じるアメリカのバンドやけど、この曲はディー・ディー・ラモーンのドイツ人の血が入っている独特の幾何学的なコード進行で、そこに彼のロック・センスとインテリジェンスを感じるんよね。そんな彼らのもう一つの魅力を伝えたいと思ったんよ。無機質で機械的に組み合わされている曲の構成がドイツ的かなと(鮎川誠)
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バーバラ・ルイスには昔から尊敬の念があった
2. Baby I'm Yours (BARBARA LEWIS / 1965)
ミシガン州生まれのソウル・シンガー。20歳で出した自作のシングル「Hello Stranger」が全米3位の大ヒットに。本作でカバーされた「Baby I’m Yours」はヴァン・マッコイ作で1965年6月に全米ポップ・チャート11位のミリオン・セラーになった。デビー・ブーンやアークティク・モンキーズもカバーしている。クリント・イーストウッド監督作『マディソン郡の橋』にも使用された。(鳥井賀句)
バーバラ・ルイスにはロニー・スペクターみたいに俺たち昔から尊敬の念があってさ、いつか演奏してみたいねと思っていてやっと念願のカバーができた。2013年頃にYOUTUBEで検索して見たら50年近く歌い続けてきて歳は取ってるけど、彼女の身のこなしが凄く美しくてさ、素晴らしいねえと思った。この時はまだ手探り状態やったけど、とりあえずいい感じにできたと思う(鮎川誠)
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いつかやりたかったブルース・ロックの名曲
3. I Put A Spell On You(Screamin’ Jay Hawkins / 1956)
スクリーミング・ジェイ・ホーキンスはクリーブランド出身のR&Bシンガー。2000年に70歳で没。1956年の「I Put A Spell On You」のシングルが大ヒットし、その後もニーナ・シモン、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(CCR)、アニマルズ他、多くのアーティストがカヴァーしている。ステージでは棺桶から登場する演出で話題を集めた。84年のジム・ジャームッシュ監督作『ストレンジャー・ザン・パラダイス』にもこの曲が使用され、本人も端役で出演している。(鳥井賀句)
シーナが少女時代からCCRが好きでさ、これ以前にもホトケ(永井隆)や布谷文夫さんとセッションでCCRもやったこの曲を歌ったことがあって。俺とシーナはアニマルズが大好きでさ、リーダーのアラン・プライスもこの曲をやってて、いつかやりたいと思っていたブルース・ロックの名曲だね(鮎川誠)
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シーナが歌うサンハウスの「雨」を聴いてみたかった
4. 雨(サンハウス/ 1976)
鮎川誠がギタリストとしてデヴューした70年代の博多を代表する伝説のリアル・ロック・バンド、サンハウスの76年のセカンド・アルバム『仁輪加』収録曲。柴山俊之作詞、鮎川誠作曲。シナロケでは「レモンティー」や「アイラブユー」等、サンハウス時代のナンバーも度々演奏されている。(鳥井賀句)
『ROKKET RIDE』のリハーサルの時にちょっとスケッチ的にその時にやりたかった曲をいろいろやってみたんやけど、「雨」をしてみようかとなったんよ。サンハウスは俺もベースの奈良もドラムの川嶋も参加していたからどの曲でも全曲できるんやけど、俺もいつかチャンスがあったらシナロケでもやりたいと思っていた曲で、歌詞カードも自分のファイルの中に入れていたからさ。シーナが歌う「雨」はどんな感じかなと思ってやってみたら、なかなかいいやん、という感じになってさ(笑)(鮎川誠)
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シーナが歌う「今日を生きよう」
5. 今日を生きよう(テンプターズ/ 1967)
GSのテンプターズの1967年のデヴュー・シングル「忘れ得ぬ君」のB面曲。オリジナルはイタリアで活動していたロークスの曲。それを英語ヴァージョンで吹き込んだアメリカのグラスルーツのシングル「Let’s Live For Today」が全米8位のミリオン・ヒットとなった。テンプターズの日本語歌詞は、なかにし礼。(鳥井賀句)
シーナはグループ・サウンズが大好きやった。特にテンプターズはショーケン(萩原健一)と電話で話したことがあるくらいファンやった。この曲はグラス・ルーツの他にイギリスのリヴィング・デイライツもやってて、そこのベースがノーマン・ワット・ロイやったんよ。でもテンプターズのが最高やね。前年にある祝いの会でシーナがタイガースの「僕のマリー」を歌ってそれが凄く良かってさ、この曲をやってみたらいいかなと思った。テンプターズは俺たちも大好きでとても影響を受けたバンドだしやれてよかった(鮎川誠)
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ニューオリンズへ2回も旅をした俺とシーナの思い出の曲。
6. You Ain’t Nothin’ But Fine(Rockin’ Sydney / 1961)
ロッキン・シドニーは1938年ルイジアナ生まれのザディコ系アコーディオン奏者兼ヴォーカリスト。1985年の「My Toot Toot」がミリオン・セラーになりファッツ・ドミノやジョン・フォガティにもカバーされた。(鳥井賀句)
この曲はファビュラス・サンダ―バ―ズもやっとるけど、デイヴ・エドモンズが来日した時に初めて聴いて、その後ボブ・ディランが自分のラジオ番組でかけて気になって、それからシドニーのレコードを色々集めよった。僕とシーナはニューオリンズへは2回行っとるし、リバーボ―トで川を下ったりもしたし、なにかニューオリンズ音楽からの新しい知恵を得たいと思ってこの曲をやってみた。本物のニューオリンズのルーツにはまだ辿りつけんけど。(鮎川誠)
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最後にシーナが「今日もこれをやろう」と
7. レモンティー(サンハウス/ 1975)
言わずとしれたサンハウスの75年のデヴュー作『有頂天』収録曲で、シナロケもデヴュー作から取り上げ、彼らのライブでの定番曲となっているお馴染みのナンバー。(鳥井賀句)
「Loudmouth」から「レモンティー」は『ROKKET RIDE』のレコーディングを録り終えて1日時間があったんで、「Baby I'm Yours」と「今日を生きよう」をその当時新しいレパートリーに入れていい感じやったんで、「Loudmouth」から始めようぜ、と言って息の合ったバンドの本能のままにスケッチするように曲を次々レコーディングしていきよったんよ。それで6曲を録り終えて最後にシーナが今日もこれをやろうと言って録ったのが「レモンティー」で、結局これがシーナの最期の録音になったんよ。ライフタイムで録音したシーナのラスト・レコーディングになった。2014年4月10日。ちなみにその日は俺とシーナの38回目の結婚記念日。その時はまさかこれが最後になるとは思ってもみなかった・・・(鮎川誠)
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シーナと俺とで録音した曲。
8. SUGAREE(Rusty York / 1959)
1935年ケンタッキー出身のラスティ・ヨークが放った1959年ビルボード77位のロカビリー・ヒット「SUGAREE」。ジョニー・ウィンターもこの曲をカバーしている。(鳥井賀句)
ラスティ・ヨークの「SUGAREE」は1978年、シーナ&ロケッツのファースト『#1』のレコーディングの一曲として俺がチェスのロックンロールから見つけたんよ。同じチェスのデイル・ホーキンスの「スージーQ」はストーンズがやってるし、ウィルコ・ジョンソンのドクター・フィールグッドはエディ・フォンテインの「ナッシン・シェイキン」を初期の作品で取り上げていたので、手垢の付いていないカバーをチェスの白人ロカビリーからレパートリーに入れたかったんやね。『#1』の時は歌詞カードもなくてシーナと幾度も聞きなおして採譜した。その20年後のこのバージョンはシーナと俺とPCで近所のシンクシンク・スタジオで再録をしたもの(鮎川誠)
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シーナの選曲センスとバンドの腕の見せ所
9. What Becomes Of The Broken Hearted(Jimmy Ruffin / 1966)
モータウンのソウル・シンガー、ジミー・ラフィンが1966年に全米7位、全英8位を獲得したヒット・ナンバー。邦題は「恋に破れて」。彼の弟はテンプテーションズのデヴィッド・ラフィン。(鳥井賀句)
1968年夏、俺は博多の中洲のダンスホールでアタックのメンバーとして毎晩出演していた。その頃モータウンのフォー・トップスやテンプテーションズなどを演奏していたけど、大好きでやりたいけれど如何にしても変調のコードが取れずやれなかったのがこの曲やった。2004年に久保田麻琴プロデュースのモータウン・トリビュート・アルバム『SAKURA MOTOWN REVUE』に、シナロケも選んでもらったことは心から光栄で嬉しかった。久保田くん提案の「プリーズ・ミスター・ポストマン」も大好きな曲だけど、シーナの選曲センスとバンドの演奏の腕の見せ所と思い、この曲をやらせてもらった(鮎川誠)
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ミック・グリーンの土台にリンク・レイが乱入してきたようなイメージ
10. Peter Gunn(THE PIRATES / 1977)
オリジナルはヘンリー・マンシーニが1959年に同名のアメリカのTVショー用に書いて録音したテーマ曲。デュアン・エディやジミ・ヘンドリックス、アレサ・フランクリンとブルース・ブラザーズ等、多くのカバーがあるが、ここでは英国の老舗ロックン・ロール・バンドのパイレーツのヴァージョンで演奏されている。(鳥井賀句)
「Peter Gunn」はパイレーツのレコードからインスパイアされた。1988年僕らはニューヨークで『HAPPY HOUSE』をエンジニアのジム・ボールと録音していたんやけど、予定より早く録り終え時間が余ってしまった。ジムがなんかやれ、というので数曲やったうちの1曲。ミック・グリーンの土台にリンク・レイが乱入してきたようなイメージでプレイした。前年に同じニューヨークで買った3マイク、トレモロつきSGを使ったのもリンクへの憧れから。勿論パイレーツにはロケッツ全員深い敬意を持っている(鮎川誠)
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オノヨーコさんにNYのダコタハウスに招待されて
11. KISS KISS KISS(オノヨーコ/ 1980)
1980年11月発売のジョンレノンとオノヨーコの共作アルバム『ダブル・ファンタジー』の中の2曲目に収められているヨーコの歌、作詞作曲によるナンバー。原曲にはヨーコの「抱いて!」という扇状的な声が入る。(鳥井賀句)
これはね、ヨーコさんに聴かせるためになんか1曲ジョンとヨーコの曲を録音したら?と友達のボブ・グルーエン(写真家)から言われたんよ。今回選曲した曲は全て俺たちの必然の道行の中で出会って選んだ曲ばかりなんよ。ヨーコさんがじきじきヴィレッジのカンポー・スタジオに来てくれて、ヨーコさんは『HAPPY HOUSE』を聴いてくれて「いい曲ね、ヒットするわよ」と激励して「みんなをダコタハウスに招待するわ、遊びに来て」と言ってくれ、後日訪問して。高級なお寿司を用意してくれ、ジョンの話や、ショーンにジョンの楽器や(白い)ピアノを見せてあげて、と案内してくれたり最高の時間やったよ(鮎川誠)
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「サンハウス」の初期のレパートリー
12. 朝一番の列車のブルース(サンハウス/ 1973)
サンハウスの初期のレパートリーの1曲。(鳥井賀句)
「Peter Gunn」から「ボントンルーレ」までは1988年のNYレコーディングなんやけど、この「朝一番の列車のブルース」はデルタ・ブルースの巨人、サン・ハウスが歌っていたゴスペル・ブルースからインスパイアされ受け継いだ曲で、そのサン・ハウスから自分たちのバンド名をいただいた「サンハウス」の初期のレパートリーだった。昔のデモテープではシーナがスプーンを叩いて、カセットに録音してたね。NYでのシナロケ録音はドクター・フィールグッドの曲をヒントにしてテンポをアップしてロックン・ロール・ナンバーに変えている(鮎川誠)
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ミンク・デヴィルのケニー・マーゴリスとCBGBでセッション
13. ボントンルーレ(シーナ / 1982)
1982年にアルファ・レコードから細野晴臣のプロデュースで発表されたシーナの初ソロ・アルバム『いつだってビューティフル』の収録曲。松本康作詞、鮎川誠作曲。細野晴臣、高橋幸宏、立花ハジメ、ロケッツらが参加したポップな香りに満ちた作品だった。(鳥井賀句)
「ボントンルーレ」は細野さんの素晴らしいアレンジでシーナのソロ『ビューティフル』の1曲目を飾ってるんやけど、ルイジアナのクラレンス・ガーロウの持ち歌、英語のGood Times Rollのフランス語読みのザディコ・ナンバーのイメージがあった。『HAPPY HOUSE』のNYレコーディングではミンク・デヴィルのキーボードのケニー・マーゴリスが手伝ってくれたんやが、ある晩彼のバンドを聴きに行ったらアコーディオンでザディコ・ロカビリーをやっていて最高やった。それでケニーにシナロケのCBGBライヴに急遽参加してもらった(鮎川誠)
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キンクスをカバーしたシーナ&ロケッツのそのまたカバーちゅう感じがキンキー!
14. You Really Got Me(KINKS / 1964)
1964年にイギリスで結成されたレイ・ディヴィス率いる人気ロックン・ロール・バンド。初期のR&B的なサウンドから、次第にロック・オペラ風なノスタルジックで風刺に富んだ独自の世界を展開していった。この曲「You Really Got Me」は、64年8月に全英1位、全米7位に輝き78年にヴァン・へイレンが全米36位のリバイバル・ヒットをさせた。(鳥井賀句)
2002年にビクター・レコードからのキンクス・トリビュート盤『キンキー・ブート』でアルファの『真空パック』で既に一度やった「You Really Got Me」をまた頼まれた。俺はキンクスはストーンズ、ビートルズと同じぐらい大ファンなので、またやるのも嬉しくキンクスをカバーしたシーナ&ロケッツのそのまたカバーちゅう感じがキンキーでいいなと思った。レイ・ディヴィスを思いながらテレキャスとマーシャル・アンプでハウリングの中でオーバーダブをした(鮎川誠)
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皆をハッピーにする偉大な曲
15. JOHNNY B. GOODE(CHUCK BERRY / 1958)
チャック・ベリーは、1926年にセントルイスで生まれ2017年に90歳で天に召された偉大なるロックン・ロールの先駆者。ビートルズやストーンズ、ビーチ・ボーイズ等、殆ど全てのロッカーが彼の影響を受けている。キャッチーなギター・リフと十代の若者たちの日常をリアルに歌った歌詞もオリジナリティに富んでいた。(鳥井賀句)
もともと俺たちはストーンズから入ったから、マディ・ウォーターズやチャック・ベリーには特別の敬意を持っている。敬意を表すのには口や文字で語るより、演奏するのが一番早道だ。当時、「JOHNNY B. GOODE」は演奏しつくされて新鮮味もなくレトロな選曲という見方もあったが俺たちはこの曲を真剣に(面白がって)スピードアップしても原曲のビートを大切に演奏した。今でもアンコールでこの曲をやるたびにロックは世界の民族を超えた共通語だと誇れる思いがする。皆をハッピーにする偉大な曲やね(鮎川誠)
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シーナは早くからこの曲をお気に入りのレパートリーにしていた
16. Heart Of Stone(THE ROLLONG STONES / 1964)
1963年のレコード・デビュー以来56年も活動を続けているロックン・ロールの偉大なる王者、ローリング・ストーンズ。この「ハート・オブ・ストーン」は1964年にアメリカでシングル盤が発売されチャートの19位まで登った。(鳥井賀句)
「Heart Of Stone」は「Tell Me」とともに、初期のストーンズのシングルで日本でも人気曲なのに、ストーンズ自身はライブで一度もやらない謎が当時からあった。シーナは早くからこの曲をお気に入りのレパートリーにしていたので、近所のスタジオでコンピュータと一緒に二人だけで録音していた。そしたら2006年にストーンズのトリビュート盤『RESPECT THE STONES』への参加の話が来て、絶好のチャンスだと思い、このテイクを使ってもらった。シーナはGS時代の空気感を知ってるから、そのムードも込めて歌っている(鮎川誠)
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突き抜けるシーナの声とシャウト
17. WILD THING(THE TROGGS / 1966)
イギリスのビート・バンド、トロッグスが1966年に全英2位、全米1位を獲得したガレージ・ロックのアンセム。ジミ・ヘンドリックスのカバーが有名。ラモーンズも彼らの「僕は危機一髪」をカバーしている。(鳥井賀句)
トロッグスはラモーンズよりも先に全員スニーカーがトレードマークやったと知って、俺もシーナもセクシーでシンプルな彼らのロック道には敬意を持っていた。でもジミヘンの1967年のモンタレー・ポップ・フェスのライヴ・アルバムは時代のバイブルやった。このテイクは2000年にドラムの川嶋が復帰してライジング・サンに出た時のカセット録音やけど、シナロケがライヴでギターがどんだけ大きな音を響き渡らせているかを皆に聴いて欲しかったのと、それを超えて突き抜けるシーナの声とシャウト、さらに会場のファンの怒涛の声援がビューティフルに一つに合わさって記録されているのを聴いて欲しくて選んだ(鮎川誠)
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アルファ・レコードのAスタジオ最後の3日間
18. MY BONNIE(BEATLES / 1961)
1961年10月にハンブルグで歌手のトニー・シェリダンが吹き込んだスコットランド民謡をロック・アレンジした曲で、当時ピート・ベストがドラマーだったビートルズが、ビート・ブラザーズ名義でバック演奏をしたナンバー。(鳥井賀句)
1996年にYMOやシナロケが録音したアルファ・レコードのAスタジオが閉まることになり、最後の3日間をシナロケで押さえて栄光のAスタのライブ・サウンドを残したいと思った。その時の録音のアウトテイクが今回収録したこの曲と「JOHNNY B. GOODE」なんよ。64年に日本でも発売されてラジオでかかった時はビートルズはバック演奏だけだったとは知らなかった。この曲を歌いたいと言ったのはシーナだった。海に消えた恋人を想う悲しい歌だが、それを明るく元気に歌うところが気に入っていたと言っていた。当時のバンド・メンバーはラモーンズしか叩けないドラムの東川と後に横道坊主に参加した橋本潤がベースです(鮎川誠)
~シーナ&ロケッツに寄せて~
シーナが、少女のような声で歌っている。
そうですか。これが2014年4月10日、シーナさんのラスト・レコーディングですか。
ほらほら、熱い口づけ、それが命だよ。しぼって、僕のレモン。
二人で飲みます「レモンティー」。
私の心にも頬にも、熱い「雨」が降る。シーナが愛しい。誠さんが愛しい。
抱いて、抱かれて「今日を生きよう」とする人間が愛しい。
そんな人間が信じられる。それこそがロックだ!と、改めて強く思う。
奇しくもお二人の38回目の結婚記念日だった2014年のレコーディングが7曲。
シーナが35歳だった1988年のニューヨークでの録音が4曲。’96年の録音が4曲。
2000年代に入っての物が3曲。計18曲。
セルフ・カバー曲も含めたシーナ&ロケッツ初のライフタイム・カバー集だ。
2011年のライジング・サン・ロック・フェスティバルでカセットに残された
ライブ録音の「WILD THING」が、もう最高!! 聴いて、泣きました。
音楽評評論・作詞 湯川れい子
シーナ&ロケッツ “LIVE FOR TODAY!”
これほど自然にロックミュージックを好きで愛してる鮎川君と今は亡きシーナ。
最高にカッコいい。
彼らの選ぶ曲達のそこに流れているイメージを、彼ら独自の音楽として表現し、
聞いている私に音楽を映像化させるマジック。楽しい。
「I Put A Spell On You」このブルースはたまらない。
悲しみと諦め、グッとくる。(すいません、自分勝手な解釈で)。でもスーパークール。
「You Ain’t Nothin' But Fine」 ロックミュージックのカッコ良さと楽しさをたっぷりと。
「レモンテイー」はシーナのカッコ良さが際立つロック。
「SUGAREE」はコケットリーなシーナが可愛い。彼女の声はロックミュージックのためにあると思う。「Peter Gunn」この曲は私の青春時代から好きな、確かアメリカのテレビドラマのテーマ曲。
映画”007”や”ミッションインポシブル”の様にスリリングな気持ちにさせる。
「Kiss Kiss Kiss」も楽しくかわいい曲。
次の「朝一番列車のブルース」も、ビンビンな列車に乗ってるぞ、これぞロックだ、というイメージ。
挙げたらキリがないほどに次々にシーナ&ロケッツに引き込まれる。酒が欲しくなる(笑)。
そして最後に「WILDTHING」から「MY BONNIE」へ。最高。
TAKEO KIKUCHI クリエイティブ ディレクター 菊池武夫
中学生の頃から洋楽ロックに目覚めた自分に 初めて“日本のロック” の扉を開けてくれたのが高校生の時に観た1980年久保講堂での SEENA & THE ROKKETS 東京での初めてのワンマンライヴだった。
一番最前列で半分ケツをステージ上に乗せてかぶりついて観たライヴの衝撃は今だに鮮明に記憶に残っている。
その日以来自分のロックミューズアイコンにシーナさんが加わったのは当然のこと。。
その思いはのちに僕がHYSTERIC GLAMOUR を立ち上げた時にも重要な要素となった。また2014年に行った HYSTERIC GLAMOUR 30周年のイベントで圧巻のステージを快く演奏してくれたこと、またそのステージがシーナさんにとって最後のパフォーマンスだった事。。この事実がこのバンドがいかに自分にとってまたブランドにとっても重要で特別なバンドである事を証明している。それと” ああ、もうシーナさんのボーカルでニューアルバムは聴けないのか。。”と諦めかけた時にこのアルバムの登場はまさに天国からの贈り物である。しかも全曲カバー曲。バンドを形成した魂が集結された興味深いアルバムだ。。1曲1曲聴くたびに ジーンと来る。42年間活動してきたバンドの原点。シーナさんのシャウトに絡む鮎川さんのギター。生きている。シーナさんは確実に生きている。。。。。今もこれからも。。。
ありがとう シーナさん! ありがとう ロケッツ!
HYSTERIC GLAMOUR 北村信彦
爆音で突破する 超音速の暴走ロケット
これに憧れないなら、夢ってなんだ?
甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)
シナロケがあれば他に何も要らない!
また、泣いちゃった。カッコ良すぎて。
ミュージシャン オカモトショウ(OKAMOTO'S)
シーナさんの新しい歌声をまさかこんなに聴くことができるなんて!
いらないモノを削ぎ落としたバンドサウンドは最高、
意外なカバーも聴けてうれしい。
「ロックは若い心!」シーナさんのこの言葉をいつまでも忘れない。
ウルフルケイスケ(ミュージシャン)
ロックンロールはシンプルで誰にだって出来るところが大きな魅力の一つだ。でもそんな中でも「ロックンロールのマジック」を魅せてくれるバンドは幾つも存在しない。
シナロケは間違いなくその一つだ。そんな彼らが次に見せてくれたマジックはなんと「不老不死」だ!間違いなく此処にシーナさんは生きてる。歌い踊る姿が目の前に現れる!もう不死身もう不滅になった、いつだって会えるんだ。このアルバムを聴いたら少し寂しい気持ちになるんじゃないかと思っていたが全くの杞憂だった。その逆でそれこそこっちが天国にいるみたいな幸せな気持ちになった。シナロケ最高!
増子直純(怒髪天)
僕の高校時代のバイブル「テクノのススメ(著者: 佐久間英夫)」という本に載っているアーティストを漁っている時に、シナロケの2ndアルバム(LP)『真空パック』に出会いました。
近所の中古レコード屋で探し当て、聴いた瞬間からやられてました。
そして今この作品『LIVE FOR TODAY!』を聴き入って、あの『真空パック』を聴き返して、ノスタルジックな気持ちと多幸感に包まれています。
ミュージシャンNAOTO(ORANGE RANGE)
自分は鮎川誠さんのような直線的なひとを見たことがありません。
それはブレるブレない、とか、スジが通ってるとか通ってない、とかそういうレベルの話ではないのです。
好きなことを一生を通して直線的に貫こうとする鮎川さんの愛情の在り方に憧れます。
これからも聴くひとのハートに真っ直ぐ直結なロックンロールを、よろしくお願いします。
ミュージシャン谷中敦(東京スカパラダイスオーケストラ)
毎回、最初の一音でブチ抜かれます!
SHEENA & THE ROKKETSが鳴らす"ロックンロール"への大きな愛が"ロックンロール"とは何か?を全て教えてくれる!
そして、迷わず!進め!真っ直ぐと!Keep on rockin'!! って、気持ちにさせてくれるんです!さぁ今すぐ、何も考えずに聴いてくれ!
ROY(THE BAWDIES)
40年以上前、高校時代から聴き始めた「SHEENA & THE ROKKETS」
その音楽は思春期の僕の心と体を揺さぶり、
以来シーナの歌声と鮎川さんのギターは常に人生の伴走者であり続けた。
そして髪も真っ白になった僕に届いた「LIVE FOR TODAY !」
40年以上に及ぶシナロケの歴史は、
そのまま文学としてのラブストーリーだと気付かされた。
そしてそこに終わりはなく、僕らの心で永遠に紡ぎ出される。
「今日を生きる」ということによって。
松重豊
子供の頃に、初めてシーナ&ロケッツを聴いた時の衝撃は今も忘れないです。
気づいてみたら僕も53歳、
2020年『LIVE FOR TODAY!』最高のバンドサウンドを聴かせて頂き感動しております。
シーナ&ロケッツは永遠に不滅です!
ミュージシャン樋口 豊(BUCK-TICK)
こんなに貴重な音源を今また聴けるなんて!シーナさんの歌声に胸が熱くなる。
「LIVE FOR TODAY」は、シーナ&ロケッツから私たちへの愛の贈り物です。
野宮真貴
俺にとって存在そのものが「POEM」なんて思える男、女は、何人も居ない……が、何人かは確実に居る……。何人かは居る……が、何人もは居ない。マコちゃん、鮎川誠……数少ないそのうちの一人……。同時代にR&Rの洗礼を受けた俺たちが共有するのであろうフィーリングとその選曲、この選曲に敬礼を!そして胸に突き刺さるシーナの唄声達。2014年夏、北海道、ライジング・サン・ロック・フェスティバルで久しぶりに再会した時のステージ、その時のシーナの笑顔…… 忘れられない…… 今、この唄声達に蘇るとびきりの笑顔……。
Hey マコちゃん!「今日を生きよう」だ・よ・な……。
きっとシーナにも届くぜ、そのSpirit……。
P.S. 「Baby I’m Yours」、俺はこの曲、リヴァプール・サウンドの初来日組、ピーター&ゴードンのヴァージョンで出会った。なんかいい曲だなぁってさ…… うん、1965年、遙かなる日、でもついこないだのような日……。
Hey マコちゃん!ますますぶちかましてくれーい!
「シーナ&ロケッツ」のBeatを支える川嶋&奈良コンビに乾杯を!
「LIVE FOR TODAY!」……Yeah, Yeah, Yeah!
仲井戸“CHABO”麗市(バンドマン)
シーナさんの歌声、特にその口元から溢れ出る一言一言の余韻には、僕らの世代には到底真似の出来ないロック世代のリアルな情緒がある。彼女から発せられる時にかすれたメロディも、偶発的に伸びたビブラートも、Rock 'n' rollという瞬間芸術でしか感じ得ない完璧なアンサンブルとして僕らの胸に響いてくる。「どうやったらこんなにロックが漂うのだろう」と解けることのない魔法に翻弄されっ放しのままアルバムを聴き終えた。
僕はそんなシーナさんの歌声にずっとずっと寄り添ってきた鮎川さんのギターが好きだ。最高の相棒のために最強の爆音で完璧なハーモニーを奏でてきた彼のギターも同じように、譜面では到底表すことの出来ない完璧なRock 'n' rollを奏で続けてくれている。これこそが正確無比、完全無欠なロックギターだと思う。
シーナ&ロケッツはアヴァンギャルドであり続けながら彼らの世代にしか伝えられないロック芸術の普遍性をも僕らに教えてくれた最初のロックバンドだと思う。素敵なアルバムをありがとう。
そしてお二人が出会ってくれたことに心から感謝します。
NAOKI(LOVE PSYCHEDELICO)
エレキギターを始めたころに、シナロケはよく聴きました。
そこから海外の音楽を少しずつ知っていきました。
このアルバムは、そのころの自分をすごく思い出させてくれました。
好きなものは変わってはいないです。
ありがとうございます。
ミュージシャン奥田民生
SHEENA AND THE ROKKETS’ “LOVE BOX” (perfect title!!)
released on Valentines Day (2020.02.14) - containing a bunch of my lyrics (STIFF LIPS, ROCK FOX, JAPANIC,CAPTAIN GUITAR AND BABY ROCK and others).
My wham-bam all-time favorite rock band! Shine on, dear Sheena!!!
Chris Mosdell(作詞家 / アーティスト)
このアルバムは SHEENA & THE ROKKETS というバンドがどれほどにピュアな音楽精神の持ち主であるのかを聴いたその一瞬で分らせてくれる。
そして同時にR&Rのルーツに基づき、それにリスペクトし、その深淵に迫ろうとしたバンドのヒストリーの危うい瞬きを映し出した作品なのだ。
VIVA SHEENA! VIVA THE ROKKETS!
大貫憲章(音楽評論家 / DJ)
まずはリリースおめでとうございます!ご機嫌でカッコよくて、たまにちょっと切なくほろ苦い…ロックンロールのあるべき姿がこのアルバムに詰まっていました!音の中でシーナさんと再会出来たのも嬉しかったです!
長谷川正(Plastic Tree)
シールドを裂き、わくわくしながらCDに針を落とす。WOW!シーナだ!!これがシーナだ!!!他の誰でもないシーナの歌声が、イナヅマになって、脳天から全身を一撃でしびれさせた。2020年にシーナの新しい歌を聴ける幸せ。なんて美しいプレゼントか。
鮎川さんのおかげで、古いブルースやロックの素晴らしいレコードにたっぷり出会った。先達への敬意に溢れているから、シナロケを聴くことはロックの最高の歴史を見ることでもあった。だから、シーナが天国に先に行ってしまってから「最初」のオリジナルアルバムが、シーナの愛したロックのカバー集だってことが、ものすごく美しく思える。
豪華版BOXセット『LOVE BOX』には、PV「浮かびのピーチガール』『キスミークイック』が収録されているが、これらは、なんと私の叔父岩下俊夫が監督した作品だったことを、最近になって知った。なんという偶然だろう。3曲のMVを一日でシューティングしたと、鮎川さんが懐かしそうに語っておられた。1980年、MTVもなかった時代(米MTVは1981年8月に放送開始)、日本のロックで最初期に制作された貴重なMVだ。
ロックって言葉は、じつはよくわからない。解釈はひとそれぞれだったりする。しかし、僕にとってはかんたんで、それは鮎川誠がロックで、シーナ&ロケッツがロックなのだ。だから、ロックは最高なのだ!僕がはじめて自分で切符を買ってでかけたコンサートが中2、宇都宮・栃木会館のシーナ&ロケッツとRCサクセションのジョイントコンサートだった。シナロケに出会って、鮎川さんのレスポールの音に感電して40年になる。ずっと愛して、私の血肉となり、だから、私にもロックの血が流れている。奇跡が起こり、今年、シーナ&ロケッツに岩下の新生姜ミュージアムでライブをしていただいた。350人満員のお客様と一緒に、感謝と感動でいっぱいになった。ロックは生きている。シーナも生きている。それが証明された一日だった。
今日を生きよう。今日をロックしよう。シナロケと同じ時代を生きられて、本当に幸せです!
岩下食品株式会社 代表取締役社長 / 岩下の新生姜ミュージアム 館長岩下和了
すべての音楽はブルースである。
すべての音楽はブルーでなければならない。
ブルーにまみれてこんがらがった、そんな音が聞きたい。
そんな音がやはり、ここにある!
向井秀徳(ZAZEN BOYS)
そう、この”匂い"なんだよ. 血が...騒ぐ!!!
ありったけの”情熱”で、今日を生きようぜ。
ROCK&ROLL IS NOT DEAD!!!!!
LUNA SEAINORAN
LIVE FOR TODAY! アルバムを聞いてたら、鮎川さんとシーナさんの「ここが、最高やとよ!」って会話が聞こえてきた。
やっぱり、このバンドは最高だ!
バンドのヒストリー潤ちゃんがいるのも、
うれしい。
奈良さん、川嶋さんに最高の敬意を。
シーナさんの最後のレモンティーは、たまらなかった。
鮎川さんがこのアルバムに込めた愛、意味…
今、この時期をくじけることなく、
前に進めて行く勇気をもらった。
三宅伸治