I.D.向上委員会 : 2000.04.21
「桜の木の下には死体が埋まっている」とは良く言ったもんだ。
なんとも異常な美しさなんだよね。私も本当にそう思う。
桜は特別な植物で、他のそれとは決定的に何かが違っている気がする。
私は今年も満開の桜の下を歩いた。
すごくすごく綺麗すぎると、無気味さや悲しさや、儚さまでを感じてしまうことがあるんだ。
坂口安吾もそういのを感じて、あんな文章書いちゃったんでしょうきっと。
だけどそれに似た感覚って他にもある。
「幸せすぎて怖い」とか「美人薄命」とかもその手の感覚から来た表現なのではないかしら。
美しすぎるものは、同時にまったく相反するはずのものさえ含んでいる(ような気にさせる)んだ。
「実際はどうか」なんてここでは無意味で、ただ「そんな気」が人の心に居座ってしまうだけ。
桜には確かにそんな気にさせる力があると思う。あの花の咲かせ方の迫力には圧倒される。
それにどこかで聞いた話だけど、花って自分の命がどのくらいか知ってるんだって。
花によっては最期にボタッと落ちて終わる花もあるけど、そこらへんが桜の大物なところ。
桜は最期のときも、儚く、美しく、派手に、印象的に終わらせる。なぜ桜はそうなんだろう。
一体何の力を持っているというのだろう。うまく説明できないけど、あれは絶対に特別な植物だ。
私はよく早死にするかもしれないな、と思う。美人ではないけど、運がいいから。
今、とても運が良くて、いろいろ幸せに生きているから。
こんなに人生序盤の早い時期から運がいいと、もうそろそろ使い果たしてしまいそうな気がする。
だからそれでもいいように生きていかなくちゃ。
誰だってそうだけど、いつ死んだって少しも不思議じゃない。
生きてることのほうが不思議と言ってもいいほど。だって、自分という人間が存在するにあたって、
一体どれだけ多くの偶然が重なったと思う?その確率より、明日死ぬ確率のほうがきっと高いはず。
だからそう考えたら、命を削って歌ったり芝居したりしなきゃって思った。
結果がださくても、それが今の精一杯なら仕方ない。何よりも今咲いていられる時間が大事で、
それ以外何も必要じゃないんだから。
桜がそんなつもりで咲いているかどうかは別として、あの生き方はかっこいい。
花が咲かない季節や死に方も含めて。うらやましいと思う。
いつも春がくるたびに、私にとっては特別な存在になる。生きてる価値を忘れたころに咲く花。
と、さもセンチメンタルな風情を漂わせても、結局これも桜が「そんな気」にさせているだけなのでしょう。
それはそうと、もし私が今急に死んじゃったらどうしようと本気で考えた。
つまり葬式とかそういったこと。まず菊は嫌だな、チューリップにしてほしい。
音楽はビートルズにしてね。あと問題なのは骨だ。
いくら親が私のために新しいお墓を買ってくれたとしても、
そこにひとりで入って誰かがくるまで待ってるなんて寂しいから、
それよりもこっそり海とかに捨ててほしい。それとも本当に桜の下に埋めてもらおうかしら。
おばけになって出たりはしないから。とにかくお墓は嫌。
だったら私の大好きな人に食べてもらって、その人のカルシウムになりたいわ。
*maaya*