the id : 2001.09.07

『 わたしの木 』

最近突然、本当に急に思い出した事があるんだけど、それは私が小さい時に、何度も何度も描いていた絵のことなんです。
木の絵なんですけど。
大きな大きな木の絵を、理想通りに描けるまで何十回も描き直しました。
とても高い木だったので、いつも紙が1枚では足りなくなって何枚も張り合わせていました。
その木には必ずハンモックやラジオ、ブランコやハシゴが描かれていました。
私が住むための木を書いていたんです。

まず、てっぺんには鳥の親子とその巣。色とりどりの花。それと林檎やオレンジや桃といった数種類の果物が同じ木に成っていました。あと棒付きキャンディーや風船も、成っていました。
そのすぐ下にはベッド代わりのハンモック。側には必ずラジオ。

太い幹のまん中あたりには穴が開いていて、そこから木の内部に入れるようになっていました。私の想像の木は幹の中に空洞があり、その中が全部図書館になっていたのです。昔から本が好きだった私は、たくさん持っているお気に入りの本の山を、木のどこに収納しようか考えたあげくに思い付いたのがこれでした。

他にいつも決まって描いていたのは登るためのハシゴと、一匹のネコ、帽子、ブランコ、傘。
傘は開いた状態のものをいくつも枝にさして、日影の部分を作る役割を果たしていました。
枝に渡したロープには、ハンガーに掛けた洋服を吊るしておきましたし、幹のあちこちには写真や自分の描いた絵をガビョウでとめて飾っておきました。
隅々まで、自分が好きなものだけに囲まれた世界でした。

何度も描き直したと言っても、こんなふうに描きたいアイテムはいつも同じだったんです。
だけど、どうしても納得がいかないんです。人が見たらどれも同じ絵だったかもしれないけど。それぞれをどう配置したらいいか、本当に悩みました。
木の断面図まで描いて、図書館の部分を設計するのにもかなり悩みました。
結局、完成型と思えるものに到達しないままにいつのまにか描くのをやめてしまったのですが、そうやって数えきれないほど木の絵を描いていたのに、今1枚も手元に残っていないのはどうしてでしょう?
広告のウラまで使っていたから、ゴミと思って捨ててしまったかしら。
いや、納得がいかなくて、描いたそばからどんどん捨てていたような気もします。

とにかくそうして随分長い間忘れていた記憶がつい先日ふいに頭をよぎったわけですが、今改めてその絵をもう一度見る事ができなくても、頭の中にはハッキリとよみがえるのです。
私の木の形、構造、理想の姿。
どうしてあんなに夢中になれたんだろう。

あ、今思い出した。もうひとつ夢中になったことがあった。

「ガリバー旅行記」を読んだ時に、漂着したガリバーが砂浜に縛り付けられている(でも大きなガリバーにとってそんなの何の役にも立たなかったんだけど)挿し絵を見た時から、私だったらどうやって巨大なガリバーを縛りつけておくのが一番いいか(例えば髪の毛の所はどうやって結んで杭を打っておくのがいいか、など)頭の中で真剣に考えてた時期もありました。
私って、いまだにシミュレーションゲームが大好きなんだけど、子供の頃からそういう素質があったみたいだな。

とにかく、小さい頃の私は空想が大好きで、その気質は今も残っています。
でも昔ほど、全部を忘れて没頭するくらいのエネルギーはないかもしれないと思うと悔しくなって、今朝からもう一度木の絵を描いています。
ところがこれがまた全然納得いくものが描けないんだ!
やっぱり紙も足りなくなっちゃうし、ラジオをどこに置いてもしっくりこない。今度はちょっと大きいスピーカーを描いてみようかと思ってるんだけど、やっぱ年齢とともに描くもののひとつひとつがハイテクっぽくなっているみたい。
今は、大きなスクリーンをどこかに吊るそうと思っているんだけど、これもハンモックとの位置関係が重要でいまだに配置を決められないでいる。だって寝ながら映画やライブビデオを見たいじゃない!
別に木の上でなくてもいいような気もするでしょう?でもダメなんです。こればっかりは木でないと意味がないんです。

完成はいつするのだろう。わたしの木。

*maaya*