the id : 2006.9.28
最近、宇宙のこと、いろいろ考えてまーす。
と言うと、「なんかオカルトなヤツ」とか「あんた電波系?」なんて思われそうですが、宇宙ってつまり私たちが暮らしてる場所の話ですから、そんなに特別なことじゃないと思います。
数学や物理のテストでは赤点以外とったことのない私ですから、難しいことはよくわかりませんが、最近はとにかくいろんなことが計算で求められるようになって、宇宙の謎は次々解明されているようです。遠い星のこともまるで誰かが見てきたかのように語られているし、どの星とどの星がどんな周期でめぐりあい、星と星の距離、星の大きさや、どのようにして宇宙が生まれたかということも、だいたいわかっている。ということになっている。
で、それについては宇宙図鑑を読みあさり、すでに理解している私がここにいる。でも理解するということと、「わかる」ということは、違う。
なんか、根拠はないのだけど、どうも信じがたい。昔「地球は丸いんだぞ」と言われた人が「そんなばかなことがあるか!お前見たのかよ!」と思ったような気持ちに近いのだろうか。本当の宇宙の始まりを見た人はいないし、本当のことは結局誰も知らないのに、なぜ答えが出ているんだろう?と、不思議になってしまうのだ。
それと同じようなことが、実は日々の生活の中にもある。
たとえばこうして何か文章を書こうと思ったら、私の脳みその中にある細かい感情や思想なんかを、日本語に変換して書き写さなければいけない。でも「ことば」に変換するということは、頭の中のモヤモヤとした形のない煙みたいな物質に一番近い単語を選んで並べるだけの作業に過ぎず、すべてを思った通り完璧に表現できるということは、まずありえ無い。だって、日本語がいくら繊細な言語だとしたって、その種類には限界があるんだから。私は作詞をするとき「この気持ちを的確に表す言葉って、日本語には存在しないんだよな~」と困ることがある。つまり、私が本当に言いたいことや、本当に感じている気持ちを、正しく理解している人はこの世で私ひとりだけということになる。
でもそれじゃあ寂しいし、誰かに伝えたいと思って一生懸命表現するのだけど、それが正しく伝わっているのかどうかは、これまた私には一生分からない。なぜなら「わかる~」と言ってくれた人が、何をどうわかるのかを知っているのは、この世でただひとり、その人だけだから。
えーっと、難しいですか?
で、私が至った結論はですね。宇宙のことも、自分の内側にあるモヤモヤしたものも、正体は同じなんだなってことです。宇宙も自分自身も、謎だらけの不可解な存在。だから名前をつけたり、計算したり、理由をつけたりして、もうずいぶん「わかった」ことにしている。そうして人と共通の認識を持つことで安心したいのです。
でも、本当の答えは唯一、自分の中だけにしか存在していない。誰かが決めた法則や計算式では求められない、もっとあやふやなものが、私たちひとりひとりを支えているのでしょう。だからこそ、いつも自分の中の声に耳を澄まして、自分が何を欲しているのか、何を感じているのか知ろうとしなくちゃいけないんだと思います。うまく言えないけど、宇宙の神秘がこんなに人を惹き付けるのは、自分自身の奥深くとつながっているからなのかもしれません。
自分を知ることは、宇宙の本当を見ることだ。
*maaya*