坂本真綾
オフィシャルインタビュー

――『今日だけの音楽』は4年ぶりのアルバムで、全曲新曲です。この4年の間にも、坂本真綾のキャリアを彩る重要な曲、ヒット曲がたくさん生まれたわけなんですが。それをあえて入れずにアルバム制作をするというのはなかなかの決断だったように思います。

いつも一緒に制作をしている担当ディレクターの方から『次のアルバムはシングルを入れないで全曲新曲っていうのもいいんじゃないかな』と言われた時に、そういうやり方をさせてもらえるのはありがたいなと思いました。普通はシングルが入っていた方が、売る方は売りやすいですからね(笑)。そういうところじゃないところに価値を感じてくれるスタッフが身近にいるということは恵まれていることだと思います。シングルや既出曲が一切入っていないアルバムは『少年アリス』以来ということですが、こういうやり方をするフルアルバムって次はいつできるだろうと思ったら、もうないかもなという気がしていて。全曲新曲のアルバムは最後かもしれないなという気持ちで制作していました。

――真綾さんが自ら書かれたショートストーリーをもとに楽曲が作られた、コンセプチュアルな作品になりました。アイデアとしてはどういうきっかけで生まれたものでしたか?

次のアルバムはどういうものにしようかという話は随分前から出ていて。私はテーマとかかっちり決めないで曲を作っていくうちにだんだん見えてくるものでもいいんじゃないかみたいなことを言っていたんですけど。ディレクターが『まず真綾ちゃんが小説を書いて、それにサウンドトラックを付けていくような形で、小説ありきのアルバムはどうか』というアイデアを出してくれたんです。それでトライしてみたら、私、文章を書くのは好きですけど、小説という形がどうも向いてないみたいで全然筆が乗らないんですよ。『ちょっと小説は無理だな』と言ったんですけど、そしたら散文でもいいし、短いものでもいいからって、結構、折れてくれなくて(笑)。そんな時にディレクターが『例えば今日しか賞味期限がない音楽ってどういうものだろう』っていう投げかけを、ほんとにポロッとしてくれて、その時にすごくイメージが沸いて。すぐに『今日だけの音楽』というテーマでブックレットに入っているショートストーリーを書き上げたんです。

――『今日だけの音楽』を探す、女の子の物語ですね。

夢の中で一度だけ聴いた音楽を追いかけて、その中で出会う色んな人が色んな歌を歌ってくれて、それぞれに素晴らしいんだけど探しているものとは違うもので、最後にやっと自分で奏でて『これだった!』というところで夢は終わるんですけど。たぶんその夢が終わって目が覚めると、それすらも忘れてしまうという、お話を書いたんです。

――そのお話を持って色んな作家さんに楽曲を依頼していったと。

皆さん『なるほどー』って読んでくださって。昨日も聴いた音楽が、今日はこの歌詞のこの部分にグッときたとか、昔は何とも思わなかった曲が、今日聴いたらすごく良かったとか。もともと音楽ってそういうものだと思うんですね。今日聴くことに意味があって、何か一瞬のシンパシーが生まれるような音楽を、という意味で、大きく言えばそれだけがテーマだったんです。私にとっては、そこからちょっと派生して、過去に縛られる――例えば良かった思い出に縛られたり、悲しい思い出にいつまでも引きずられたりすること、あるいはまだ起きていない未来のことを心配しすぎて思い煩ったりすること。過去や未来のまだ起きていないことやとっくに終わったことに、ずっと想いが縛られることってありますよね。そして今日、今ここにあることを見逃してしまうことがあるなと思って。過去と未来を切り離して、今ここにいる自分の感情だったり、目の前で起きている出来事に目を向けるというのは意外と人間には難しいというか。前に何かで読んだ本に、人間しか時間という感覚を持っている動物はいないと書かれていて。他の生き物は明日のことなんか心配して生きていないし、過去のこともどんどん忘れていく。それが生きるということだから。人間の持つ特技として、目の前にないものを想像することができるのは素晴らしいことだけど、その想像に逆に自分が乗っ取られてしまったり。今に集中することって実はすごく難しいのかもしれないって思ったんですね。『今日だけの音楽』というテーマを与えてもらった時に、これならアルバム1枚を通して表現できそうだなと思ったんです。このショートストーリーを各作家さんに読んでいただいて、この話をどう捉えて歌詞や曲を書くかはお任せしたんです。

――今回もまた、新しくタッグを組む作家の方も多いですが、どういう人選でしたか?

単純にやってみたかった人ばっかりです。私の中では久しぶりに一緒にやってみたい人もいたし、前々からお願いしてたけどタイミングがなかなか合わなかった渡邊忍さんにも今回参加してもらえたり。堀込泰行さんとは冨田ラボさんのライブなどでご一緒したりすることがあったんですけど、すごく楽しくて優しい方で。以前お兄さんの方には詞曲を書いていただいたことがあるんですけど、泰行さんとも顔見知りになったから今なら頼みやすいかなと(笑)。お願いしたら、快く引き受けてくださいました。大沢伸一さんは、ディレクターが前々からいつか坂本真綾との組み合わせを実現できたらという想いを持っていました。私は大沢さんが手がけたたくさんの曲を聴いてきた世代ですし、あまりにも遠い人で、お願いする勇気がないと言ってたんです。でもありがたかったのは、今回のこのコンセプトにすごく興味を持ってくださって、楽しんで作ってくださった感じでした。

――川谷絵音さんはご自身の複数のバンドやプロジェクトだけでもかなりの曲数を生み出しながら、楽曲提供まで積極的にされているのはすごいですよね。しかも今回2曲も。

以前から川谷さんの書かれる曲や歌詞がすごく好きで聴いていて、今回『面識はないけど、やってもらえるかな~?』と思いながらお願いしてみたら、思った以上にあっさり引き受けてくださいました(笑)。もともと最初から2曲お願いしていたわけではないんですよ。すごくお忙しい時期に引き受けてくださったんですが、打ち合わせのときに『曲を作ったり詞を書いたりするのに煮詰まることはないんです』っておっしゃってて。もうほんとに天才なんですよね(笑)。こちらがお願いした締め切りよりもかなり早く1曲あげてくださって、すでにすごく良かったんですけど『ちなみにもう1曲、こういうパターンも聴いてみたいです』という提案をしたら、またすぐに作ってくれて、どっちも良かったので両方入れたという流れでした。

――アルバムは物語への導入のようなインスト「はじまり」を経て、2曲目の「Hidden Notes」が真っ直ぐに今作の主題を投げかけるような美しく強い楽曲に仕上がっています。

実はこの曲はアルバムのためにコンセプトをお話して作ってもらったのではなく、もともと別のタイミングで集めたデモの中にあった1曲なんです。その時既にアルバムの構想が始まっていた時期で、この曲のデモを聴いた時に、作曲されたSIRAさんのことを私は全然知らなかったんですけど、すごくアルバムに合っているから入れたい!と感じました。夢の中の世界に一歩踏み出した時に、見たことのない景色が目の前に広がる、そういう壮大さがあるというか。何か始まりそうっていう期待を高めてくれるような音楽だなと思ったので。

――<からっぽの心の中>という言葉で始まるのが、すごく印象的です。

過去を引きずっている人、例えば大切な人を亡くすとか、すごく大きな出来事を経た後の、悲しみさえ沸き上がってこない無の状態というか。そういうところにいる人がずっとあの日に帰りたい、あの日に帰りたい、と思いながら生きていて。そうじゃなくて、今日のあなたは今日だけのあなたを生きてるんだよ、ということと。ずっと変わらないものが欲しいと思って未来を心配している人に、今日だけを生きていると伝えるという大きなテーマをここで全部言っちゃおうと。過去や未来じゃない今。はっきりとアルバムのテーマに触れるのはこの曲にしようという感じでした。

――そして4曲目「ユーランゴブレット」は川谷絵音さんによる作詞・作曲で、クールな温度感の大人なアップナンバー。また新しい扉が開いた感じがしました。

今回のアルバムの歌入れを全体的にやってみて思ったのは、川谷さんが書いてくださった『ユーランゴブレット』と『細やかに蓋をして』の2曲が私は一番歌いやすかったんです。どこまで計算されてることなのかはわからないですが、歌っていて気持ちいいという意味では波長が合ったのかなと。難しい曲なんですけど、椎名林檎さんの曲を歌った時と似ていて、ハマるとすごく気持ちいい。常日頃、作詞家の岩里(祐穂)さんとご飯に行くと最近は誰のどんな曲が良かったかという話になるんですけど。私も岩里さんも川谷さんの歌詞が大好きで、よく川谷さんの歌詞の話をしてるんです。今回もだから楽しみだったんですよ。<味噌汁>って出てきただけでもう、ね(笑)。このちょっと引っかかるワードが、私にとっていい刺激になるのかそれとも違和感なのか、ここ「味噌汁」じゃない別のモチーフの可能性もあるかなって、私の中で一瞬考えてみたんですけど、でも<味噌汁>を変えちゃうと、今度は<団地>が生きないんですよね。

――そうですね。だから<味噌汁>も<団地>も歌詞においては初めての経験でしたよね(笑)。

地元の板橋を感じちゃいました(笑)。この仄暗さがあってこその疾走感だから変えられないし、私も味噌汁って歌う機会たぶんこれを逃すとないなとか(笑)、そういうひとつひとつが楽しかったです。川谷さんはお話していても、スタジオでの仕事の仕方を見ていても、小さなことから大事なことまで決断のスピードがめちゃくちゃ早いんですね。ミュージシャンとのやりとり、そのひとつひとつのプレイについてのアリ/ナシを判断するスピードが高速なんですよ。『じゃあ、もっとこうしてみて』とか『それはないですね』『いいですね』っていう反応と、ひらめきが早いし、迷いがない。どこかで見たことあるなこの感じ、と思ったんですけど、菅野よう子さんにちょっと似てるんです。

――そうなんですね!その曲が向かうべきところが見えてるというか。

きっとゴールは川谷さんの頭の中に明確にあるんです。現場での指揮がすごく面白かったし見ていて勉強になりました。

――そして堀込泰行さんの作詞・作曲による7曲目「火曜日」がうっとりするような景色が広がる素敵なバラードで。冒頭の「黄昏に」のワンフレーズだけでやられました(笑)。

わかります。泰行さんのデモも初めて聴いた時に<黄昏に>だけで『来たっ!』と思いました(笑)。ほんとに一度ぜひ泰行さんの声でカバーしていただきたいっていうくらい。お願いした時に想像した通りの、全く期待を裏切らない曲です。最初からアルバムの中のバラードをお願いしたいとお話していて。『今日だけの音楽』というテーマですけど、例えばよく知っている自分の街で、丘の上かなんかに登って、いつも見ている景色だけどなんか今日はちょっと違って見えるみたいな。そういう日常感と特別感の間みたいなのがいいなという話をしていて。それも完全に取り込んでくださったのと、ショートストーリーの中にあった<火曜日>というワードを拾ってくださってほんとにすごいなと思いました。

――「オールドファッション」「火曜日」「トロイメライ」……と曲調が様々に変わっていくアルバム中盤を経て、10曲目「ディーゼル」はカントリー調の素朴な愛らしさのある曲ですね。

これはアルバムで一番最初にできた曲で、歌詞は岩里さんにテーマをお話して自由に書いていただきました。歌詞をいただいた当初は<窓をたおして>という部分がすごく好きで、バスの中でみんなでワイワイ、楽しい絵が浮かんでいたんですね。でも岩里さんから、実は隠れたテーマがあるというのを後から聞いたんです。日本は災害がすごく多いじゃないですか。避難地域として、今もふるさとに帰れない方もたくさんいる。もしも一日だけ、ふるさとに帰ることができるとしたら。というところからこの歌詞の発想が生まれたと聞いて。私はそれまでバスでどこか遠くに行くんだな、くらいにしか捉えていなかったんですけど。それを知った上で聴くとまた趣が変わっていく。きっと誰でも、ふるさとを離れて暮らす経験や、変わっていくふるさとに寂しさを感じたことはあるはず。とても限定されたテーマであるのに、誰が聞いても自分自身に重ねることができる。それこそ聴く日の自分の気持ちによって違うフレーズが飛び込んでくるだろうな、やっぱり作詞家ってすごいなと思いました。そんな歌詞の深みとはまた別の、無条件に人を和ませる曲でもあって。こういうピュアな曲でアルバム制作の船出ができたのはすごく良かったし、いいアルバムになりそうだなという予感を感じさせてもらいました。

――そして最後に真綾さんご自身が作詞・作曲された11曲目「今日だけの音楽」でひとつの答えに辿り着く。この曲に関してはどんな構想がありましたか?

最初からラストに来る曲は自分で書かなきゃいけないと思っていて。あえて小細工は考えず、テーマとしてはずっと探してたものは自分の中にあったんだ、ということだけでいい。やっと見つけた答えは、なるべく素朴でシンプルなものであるほうが私っぽいかなと思って。舞台だったら、最後に今まで出てきた人が全員出てくるラストシーンのようなイメージをしていて、山本(隆二)さんにもアレンジしていただくうえで、そういう映像的なイメージをお伝えしました。

――真綾さんが今回の制作を通じて見つけたものは何でしたか?

最近、誰にも聴かせない自分だけの歌ってもうずいぶん歌ってないなって、ふと気づいたんです。嬉しくていつの間にか鼻歌歌ってるってこともなかなかないし、カラオケにも行かないし、私が歌うときはもう仕事なので、人に聴いてもらう前提のもので、いつも誰かをがっかりさせたくないという思いがある。もちろん歌うことが好きだし、仕事が好きなんですけど。だけど小さい時に、誰も聴いてないと思って家の中で大声で歌っていたら、どこかで聴いていた母がやってきて『真綾って歌上手いのね!』と言われたことを今も覚えていて。めったに褒めない母親に褒められて『私って上手いんだ』と思ったことが全ての原点なんです。もうあんなふうに、誰に聴かせるでもなくただ夢中で自分のためだけに歌を歌うことは二度とないかもしれないけど、でも原点としては変わらずにある。ほんとにイルカが泳ぐように自由に歌った時の、延長線上にある今日の歌というのを見つけることができればいいのかなって思いました。

――ショートストーリーからはじまるアルバム『今日だけの音楽』。聴いている方もきっと色んな答えに辿り着く過程を、その時々の感じ方で楽しめると思います。

ほんとにこのような贅沢なアルバム制作をさせてもらえてありがたかったです。1曲1曲すごく気に入っていて、色んな曲が入っているんですけど1枚の作品としてストーリーのある、良いものになったと思うので、ぜひアルバムまるっと1枚を通して聴いてもらえたら嬉しいです。すごく今の自分に近いアルバムを作ることができて、大きな達成感を感じています

Text : 上野 三樹