エドゥアルド・ラゴス/Eduardo Lagos
ASI NOS GUSTA~これが我々の好きなやり方

2003.02.05
アルバム / VICP-62186
¥2,640(税込)
Victor
アルゼンチン音楽の金字塔、記念碑的“フォルクロレッション”遂にCD化!
ラゴス (p)、ピアソラ (bn)、ドミンゴ・クーラ (per)、ウーゴ・ディアス (hca)等が参加!
世界初CD化 1969年作品
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01
サンバ・アレグレ Zamba alegre Zamba alegre
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02
7番目のチャカレーラ La septima La septima
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03
ラ・バンキーナ La banquina La banquina
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04
忘却のチャカレーラ La olvidada La olvidada
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05
農夫 El agricola El agricola
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06
残された者のサンバ Zamba del que se queda Zamba del que se queda
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07
古きチャカレーラ La vieja La vieja
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08
真実をもとめて Encontrar la verdad Encontrar la verdad
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09
11番目のチャカレーラ La oncena La oncena
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10
ラ・バーチャ La bacha La bacha
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11
生きてゆくために Por vivir Por vivir
解説:斎藤充正
【ジャンルを超えた豪華メンバーが、純粋な楽しみで共演した“フォルクローレの延長”】
幻のアルバム、待望の復刻である。
主人公のエドゥアルド・ラゴスは、ある時は演奏家、ある時は作曲家、またある時は評論家と、様々な側面から音楽と深く関わる一方で、自らの医院を開業する眼科医でもあるという、才能溢れる人物である。
1929年2月18日に音楽好きの両親のもとでブエノスアイレスに生まれたラゴスは、フォルクローレの名門グループ、アバロス兄弟のピアニスト、アドルフォ・アバロスをアイドルに育つ。1944年、アマチュア・フォルクローレ・グループのロス・コジュージョスに参加して音楽活動をスタート、その後医科大学に通いながら、アルゼンチンを代表するクラシックの作曲家のひとりであるフアン・カルロス・パスに、ピアノと音楽理論を学ぶ。
1947年、フォルクローレの大家セルヒオ・ビジャールの楽団でプロ・デビュー、以後フォルクローレのピアニスト/アレンジャーとして幅広く活動を展開、1960年にはウーゴ・ディアス(ハーモニカ)、ドミンゴ・クーラ(ボンボ)らと共にフォルクローレ使節団に加わりヨーロッパ公演を行う。
1966年からは、新聞や雑誌にポピュラー音楽やフォルクローレ、タンゴなどの評論を書き始め、放送局のディレクターとしても活躍を始めるが、その一方でコマーシャルな演奏活動からは手を引く。音楽家としてのラゴスは、この時から自分の本当にやりたい音楽だけを、気の合った仲間たちと気の向くままに演奏するだけになったのである。
そんなラゴスにとって初のリーダー作であり、長い間唯一のアルバムでもあった本作は、1968年から69年にかけて制作され、トローバからリリースされたもの。日本でも1974年にビクターから『フォルクロレッション』の邦題で発売されたことがあるが、それ以降は長く廃盤状態が続いていた。今回の復刻が世界初CD化となる。 アルバムが制作されることになった経緯についてラゴスは、雑誌『ラティーナ』 1986年11月号に掲載されたインタヴュー(きき手:高橋敏氏)でこう語っている。
1枚しかない私のアルバムだ(笑)。あの1年ぐらい前からレコードの話はあった。で、ある日「レコードを出したくないのか」とまた言われてね、最初は冗談かと思ったんだ。でも、何をやろうとか、誰とやろうとか、どんなアレンジにしようとか、はっきりした計画があったわけではなくて……結局、ほとんど即興に近い形でリハーサルもやらずに録音したんだ。ピアソラの入ったグループでの2曲を除いてね。あれだって、私のソロは完全な即興だ。
――あのときのメンバーの人選は誰が?
ほとんど私がしたが、オスカル・ロペス・ルイスにも協力してもらった。
このアルバムには、1968年9月から1969年3月にかけての、メンバーの異なる5回のセッションの模様が収められている。このこと自体、従来のフォルクローレでは見られないことだった。いや、これは本人がライナーノーツで《これはフォルクローレではない。「フォルクローレの延長」である》と述べているように、フォルクローレをベースにした新しい音楽である。ジャンルを超えて豪華メンバーが一堂に会している様は圧巻ですらあるが、皆が「純粋な楽しみ」に共感して演奏している点が素晴らしい。