ロベルト・杉浦

Roberto Sugiura

プロフィール

<ロベルト・杉浦 プロフィール>

1970年名古屋市で生まれる。
幼少の頃より父親の影響で日本の昭和歌謡や演歌などを聴き、既に3歳の頃からコブシを付けて歌う。
中学生時代になると、父親兄弟が残していたラテン音楽のレコードに聴き入り、アルゼンチン・タンゴに魅了される。
京都大谷大学在学中の19歳よりタンゴ歌手としてプロ・デビューし、以降日本の様々なタンゴ楽団で歌い、瞬く間に日本国内No.1の歌い手として実力を知られるようになる。

1993年、タンゴの本場アルゼンチンに渡り、現地のラジオやライブに出演。
その歌唱力を自ら尊敬して止まないタンゴの大歌手、ロベルト・ルフィーノに実力を認められ、彼の名「ロベルト」を正式に与えられる。

1997年、アルゼンチンにおいて現代最高峰のバンドネオン奏者ネストル・マルコーニ、ピアソラと共に活躍した名バイオリニスト故アントニオ・アグリを迎え、「ロベルト・杉浦ーレメンブランサ」をリリースし、タンゴ・ファンたちから高い評価を得る。
その後コロンビア滞在中、ラテン音楽の一つであるボレロに出会い、魅了され一気にその世界へ没頭していく。

1998年、キューバで開催された”ボレロ国際フェスティバル”に出演、キューバ音楽界、マスコミ、そして国民を熱狂させ、本場に於ける実力派ボレロ歌手としての華々しいスタートを切る。
その後、本格的にボレロ歌手としてコロンビア各主要都市で開催される”ボレロ国際フェスティバル”に何度も出演し、ロベルト・杉浦を、ラジオや各新聞社はこぞって称賛。
その後数々のテレビ出演を行い、日本人ボレロ歌手、ロベルト・杉浦の地位を不動のものとしていく。
その噂は他国にも広がり、ベネズェラやエクアドル、ペルー等に於けるボレロ国際フェスティバルにも招かれ、その名を知られるようになっていく。その頃、映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」で大ヒットした女性歌手、オマーラ・ポルトゥオンドとライブで共演。

1999年4月、プエルト・リコに渡り、国民的象徴のスター歌手ダニー・リベーラに実力を認められ、プエルト・リコ、ドミニカ共和国、キューバで開催された彼のコンサート・ツアーに参加。「ボレロとタンゴを本格的に歌う日本人」として驚異の念をもって評される。
キューバの国民的英雄歌手故ベニー・モレ誕生80周年記念の国際音楽フェスティバルに出演し、その歌唱力を称える記事が国内最大の新聞「Granma」紙に「ロベルト・杉浦がベニー・モレの歌を甦らせた」と掲載。

2000年、マイアミのエージェントと契約。スペイン語圏の人々100万人が見ていると言われるアメリカのUNIVICION局(ウニビシオン)の超人気番組「サバド・ヒガンテ(巨大な土曜日)」にレギュラー出演。確かな歌唱力とコミカルな演技力でアメリカを含むラテン・アメリカ中で絶大なる知名度を獲得。

2001年、番組出演での好演を高く評価され、「サバド・ヒガンテ賞」を授与される。
この番組出演を好機に新たに、チリ、ベネズェラ、コロンビア等の各国の主要テレビ番組に幾度も出演し、本名の「タカフミ」の愛称でゴールデンタイムの顔になる。番組ではマラドーナらとも共演。
その間、日本国内では、サルサの音楽分野で国内外で活躍するラテンジャズピアニストの平田フミト、パーカッションの大儀見元、小松亮太&タンギッツのツアー公演に加え、バイオリニストの寺井尚子等と共演を重ねる。

2002年、グロリア・エステファンやマック・アンソニー等と共演し、録音にも携わり、音楽アカデミー賞ラテン部門にもノミネートされた名トレス奏者ネルソン・ゴンサレスのプロデュースによって、ロベルト・杉浦初のボレロ集アルバム「ボレロを歌う(Yo canto bolero)」をリリース、同年、リリース記念に天王洲アイルのホールで彼と共演。

2004年、アルゼンチンに渡り、アミリカル・トローサ(オスバルド・プグリエーセ楽団で15年間コントラバス奏者を務めた)率いるコロール・タンゴ楽団と4回に渡って共演し、大好評を博す。この時のライブ録音盤が2年後、アルゼンチンのレコード会社よりリリース。

2009年、彼は20年近く活躍した南米から、日本に活動の拠点を移し、タンゴ、ボレロなどのラテン音楽を日本に紹介すると同様に、幼少の頃、心に懐かしく秘めていた昭和時代の歌謡曲を熱く熱く歌い始める道を開拓。

そして2010年、南米時代のオリジナル曲「Dame Un Beso」に阿木燿子が日本語詞をつけた「ダメウンベソ」にて正式に日本デビューが決定。
その圧倒的歌唱力だけでなく、「こんな日本人がいたんだ」と誰もが驚愕する壮絶な生き様が話題の39歳。