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 1960年生まれ。4歳よりエレクトーンと作曲を、6歳よりピアノを始める。10歳でヤマハのエレクトーンコンクールジュニア部門で第1位を獲得して以来、ヤマハのコンクールを次々に制覇し、15歳までの間に、ヤマハの音楽使節として、アメリカ、メキシコ、西ドイツ、香港、シンガポール、インドネシアの各国に派遣される。

 79年東京芸術大学音楽部付属高校を卒業。'83年東京芸術音楽学部作曲家卒業。'85年東京芸術大学音楽学部別科オルガン専修卒業。作曲を矢代秋雄、佐藤眞、永富正之、ピアノを高良芳枝、坂弘子、仙石浩之、エルンスト・ザイラー、パイプオルガンを秋元道雄、酒井多賀志、ハープを影山真菜の各氏に師事。'80年より映画、ドラマ、コマーシャル等の音楽を作編曲する。'85年から'87年まで田中太郎の名前でハーピストとしてロックバンド『竜童組』のメンバーとなり、エレクトリックハープを演奏。その他、ピアニスト、ハーピスト、オルガニストとしてクラシックからロックまで数多くのレコーディングやコンサートに参加。'88年よりハープとピアノ演奏を中心にライブやスタジオワークを積極的に行っており、CD『ハープと波によるリラクゼーション』をリリースした。

 作編曲の代表作としては、映画『絆』『REX恐竜物語』『あ・うん』『天国にいちばん近い島』、NHK連続ドラマ『純ちゃんの応援歌』『心はいつもラムネ色』、アニメ『ジャングル大帝』『ファイブスター物語』等があり、アジア太平洋映画祭最優秀音楽賞、日本アカデミー最優秀音楽賞等数々の賞を受賞している。
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 3歳よりヴァイオリンを、7歳よりピアノを始める。 慶応義塾大学経済学部卒業後、パリ大学を経てパリ国立高等音楽院オンド・マルトノ科を 主席で卒業。ピアノを遠山慶子、オンド・マルトノをジャンヌ・ロリオ両氏に師事。 在学中よりオンド・マルトノ奏者として、また作曲家として積極的な音楽活動を開始する。 パリ留学(1978〜1982)を機に、ヨーロッパをはじめ世界各地でソロ・リサイタルや室内楽、またオーケストラのソリストとしての共演も数多く、今まで初演してきた新作も170を越える。

 東京交響楽団、NHK交響楽団、フランクフルト放響、シドニー交響楽団、メルボルン交響楽団、東京都交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、バーミンガム市交響楽団、京都市交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団ソリストとして活躍。共演指揮者も、秋山和慶、外山雄二、岩城宏之、エリアフ・インバル、小澤征爾、若杉弘、エサ=ペッカ・サロネン、ジャン・フルネ、マレク・ヤノフスキー、サイモン・ラトル、井上道義、大野和士、大友直人等の名を挙げることができる。  '92年3月には、名指揮者リッカルド・シャイーのもと名門アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と演奏会及びレコーディング(メシアン『トゥランガリラ交響曲』)を果たし、'93年度Diapaspn c'Cr受賞。

 その他20世紀フォックス映画『ライジング・サン』、東京バレエ団公演『M』のレコーディング等、日本を代表するオンド・マルトノ奏者として、多方面において目覚しい活躍を続けている。グローバル音楽奨励賞、出光音楽賞、飛騨古川音楽大賞奨励賞、横浜文化賞奨励賞受賞。
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 1960年、東京生まれ。ヘルベルト・カラヤンをテレビで見て直感的な憧れを抱き、3歳よりピアノを習い始める。11歳でチェロを始め、'79年、東京芸術大学音楽学部器楽科チェロ専攻に入学。'85年同大学を卒業した頃から、アーティストのサポート、アレンジの仕事を始める。

 22歳の頃、自動車事故でムチウチ症になり、その苦しみから開放されたいため『眠るための音楽』を自作自演で多重録音により創り始める。『眠るための音楽』は自分自身のソロ楽曲として書きためられ、1986年に1stアルバム『ハーフインチデザート』として発表。以来9枚のソロ・アルバムをリリース。ソロ活動と並行してアレンジ、CM音楽制作、サウンドプロデュース、映画音楽、他のアーティストへの楽曲提供やサポートなど、音楽活動は多岐に及んでいる。彼の奏でるチェロの美しさ、そのホスピタリティあふれるサウンドは、ジャンルを超えて多くの人を魅了し続け、ミュージックシーンに独自のスタンスを確立している。一方、'ピースライト(日本たばこ)'のCF出演などにより多くの人々にその姿と音楽を印象づけることになったが、加えてFMのDJ、テレビ番組のレポーター、コンサートや空間プロデュース、カメラマンなど、幅広い才能を発揮している。
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