プロフィール
 
  写真
本名:森内一寛
生年月日:昭和22年11月18日
山梨県で生まれ、鹿児島で育つ
血液型:O型
サイズ:身長167cm・体重54kg
好きな色:
趣味:ゴルフ
所属:ビクターエンタテインメント

受賞年表 受賞年表はこちら
 
1966
(昭和41年)
6月「女のためいき」(TBSベスト10入り)でビクターレコードよりデビュー。デビュー曲としては驚異的な35万枚の売り上げを記録。デビューのきっかけは、テレビののど自慢番組での勝ち抜き。
1967
(昭和42年)
9月「命かれても」発売。12月「盛り場ブルース」発売、全国の主要な盛り場をギター片手にキャンペーン。レコードの売り上げ急上昇で、TBS「歌のグランプリ」、フジTV「ヒット速報」などのヒット賞を獲得。
1968
(昭和43年)
3月、第7回ゴールデンアロー賞特別賞受賞。5月、「花と蝶」発売。LP「影を慕いて」発売、古賀メロディーを切々と唄い上げ、またたく間に60万枚の驚異的な売り上げを記録。10月、日活映画「花と蝶」に出演。11月「年上の女」発売。東京日劇で初のワンマンショーを開く。12月、NHK紅白歌合戦初出場。この年、レコード大賞企画賞、全日本有線放送大賞など、数々の賞を受賞。
1969
(昭和44年)
3月、浅草国際劇場でワンマンショー。4月、初めてのヨーロッパ旅行。「港町ブルース」発売、120万枚の大ヒットを記録。6月、日活映画「年上の女」に出演。10月、「花と涙」発売。12月、「港町ブルース」でレコード大賞最優秀歌唱賞ほか数々の賞に輝き、紅白歌合戦では早くもトリを務める。
1970
(昭和45年)
1月、松竹映画「花と涙と炎」で美空ひばりと共演。6月、「波止場女のブルース」発売。9月、大阪・梅田コマ劇場で森進一ショーを開く。12月、「望郷」発売。「波止場女のブルース」でレコード大賞歌唱賞を受賞、紅白歌合戦で2年連続のトリ。
1971
(昭和46年)
1月、浅草国際劇場で正月特別公演。4月、日劇で森進一ショー。同月、アメリカ、ハワイ公演旅行。5月、「おふくろさん」発売。8月、大阪・梅田コマ劇場で森進一ショー。12月、「おふくろさん」でレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞、紅白歌合戦で3年連続のトリを務める。
1972
(昭和47年)
1月、浅草国際劇場で森進一ショー。4月「波止場町」発売。5月、日劇に出演。8月、大阪・梅田コマ劇場で森進一ショー。12月「波止場町」で日本有線大賞歌唱賞を受賞。
1973
(昭和48年)
1月、浅草国際劇場で森進一ショー。NET長谷川伸シリーズ「越後獅子祭」で主演。2月24日、母・尚子さん(47歳)死去。4月、日劇で森進一ショー。8月、大阪・梅田コマ劇場で森進一ショー。10月「冬の旅」発売。この年、日本レコード大賞制定15周年記念特別賞ほか各賞を受賞。
1974
(昭和49年)
1月、浅草国際劇場で森進一ショー。「襟裳岬」発売、大ヒットとなる。4月「さらば友よ」発売。12月、この年「襟裳岬」で日本レコード大賞、日本歌謡大賞ほかを受賞。また「さらば友よ」が日本作詩大賞に輝いた。紅白歌合戦では初の大トリ。
1975
(昭和50年)
1月、浅草国際劇場で森進一ショー。 3月、NHK開局50年記念式典において、天覧歌手として昭和天皇の御前で「港町ブルース」「おふくろさん」「襟裳岬」などを熱唱する。歌手生活10周年記念の10枚組LP「絶唱!森進一大全集」発売。日活映画「襟裳岬」に出演。6〜7月にかけて、10周年記念全国縦断リサイタルを行う。8月、初のハワイリサイタル開催。10月「あゝ人恋し」発売。全国ラジオ音楽祭ベストテン歌手特別大賞ほか受賞。
1976
(昭和51年)
1月、浅草国際劇場で森進一ショー。「故郷」発売。5月、日劇で森進一ショー。6〜7月、全国縦断リサイタル。8月「さざんか」発売。10月、デビュー以来シングル2000万枚、LP1000万枚で、レコード総売り上げ3000万枚突破。日比谷野外音楽堂でファン感謝フェスティバルを開く。11月、大阪フェスティバルホールでオーケストラをバックに「森進一特別リサイタル・愛と涙」を開く。この年、日本歌謡大賞放送音楽賞ほかを受賞。
1977
(昭和52年)
1月、浅草国際劇場で公演。「雨の桟橋」発売。6月、世界的指揮者・小沢征爾と共演、クラシック・オーケストラをバックに唄う。8月、大阪・梅田コマ劇場で森進一ショー。10月「東京物語」発売。11月、大阪フェスティバルホールコンサート。12月、東京・普門館で森進一ゴールデンリサイタルを開き、収益を恵まれない人々へ贈る。
1978
(昭和53年)
1月、浅草国際劇場で8年連続の正月公演。4月、ブラジル移民70周年記念行事としてブラジル政府より正式招待、サンパウロ公演で1万5000人を感動させる。5月、日劇公演。8月、大阪・梅田コマ劇場で滝廉太郎を好演。10月、TV朝日「素敵なあいつ」に主演。11月、中野サンプラザ、大阪フェスティバルホールでコンサート。
1979
(昭和54年)
2月、プロダクションより独立し、森音楽事務所設立。8月、「新宿・みなと町」発売、たちまちベスト10入り。11月、1万人の観客を前に日本武道館で公演。
1980
(昭和55年)
1月、大阪フェスティバルホールで公演。森進一作曲の「酒場舟」発売。2月、前年の武道館公演のライブアルバム「時は流れて…いま」発売。7月と10月に、東京と大阪で歌手生活15周年記念コンサートパートI、IIを開く。
1981
(昭和56年)
1月、ハワイNBCアリーナで公演。2月、全国各地で民音コンサート。4月、香港にて公演。8月、大阪・梅田コマ劇場で公演。「命あたえて」で古賀政男記念音楽大賞を受賞。9月、「命あたえて」、11月「それは恋」(帝劇公演「近松心中物語」挿入歌)発売。この年、日本レコード大賞金賞ほかも受賞。
1982
(昭和57年)
1月、民音コンサート。4月、大阪・梅田コマ劇場公演。5月、新宿コマ劇場初公演。11月「冬のリヴィエラ」発売。サントリーのCMソングとしてオンエア。12月、紅白歌合戦の大トリで「影を慕いて」を熱唱。
1983
(昭和58年)
1月、新宿コマ劇場公演。1ヵ月のロングランで観客動員数15万8000人の記録達成。3月、大阪・梅田コマ劇場公演。東京音楽祭にて「冬のリヴィエラ」で金賞受賞。11月、日本レコード大賞制定25周年記念の特別金賞を受賞。
1984
(昭和59年)
1月、大阪フェスティバルホールと東京・渋谷公会堂で新春コンサート。4〜5月にかけて全国縦断の民音コンサート。5月、13年ぶりのサンフランシスコ、ロサンゼルス公演。8月、東映映画「北の螢」の主題歌「北の螢」発売。この年、日本演歌大賞記念演歌名誉歌手賞ほか各賞を受賞。12月、紅白歌合戦では6度目のトリを務める。
1985
(昭和60年)
1月、新宿コマ劇場で歌手生活20周年記念特別公演。3月、歌手仲間で結成した“じゃがいもの会”によるアフリカ難民救済チャリティーコンサート「応援歌‘85」が日本武道館にて大成功。4000万円以上の浄財がアフリカの飢える子供たちの救済活動に役立てられた。4月、森音楽事務所新社屋完成。6月、ハワイ官約移民100年祭のメインゲストとして州知事より正式招待、NBCアリーナで公演。8〜9月・帝国劇場、11月・大阪フェスティバルホールで歌手生活20周年記念リサイタル開催。デビュー以来20年間のレコード売り上げ枚数は5500万枚。12月、紅白歌合戦で大トリを務める。
1986
(昭和61年)
1月、新宿コマ劇場公演。3月、東京・普門館で“じゃがいもの会”チャリティーコンサート、三笠宮殿下、同妃殿下の御臨席を賜る。4〜5月、大阪・梅田コマ劇場公演。〜8月にかけて、全国縦断の民音コンサート。5月、天皇・皇后両陛下の主催による春の園遊会にお招きを賜る。7月「ゆうすげの恋」発売。古賀政男記念音楽大賞、日本作詩大賞などを受賞。10月、森昌子と結婚。12月、3年連続で紅白歌合戦のトリを務める。
1987
(昭和62年)
1月、新宿コマ劇場公演。4月、普門館で第3回“じゃがいもの会”コンサート、皇太后殿下、美智子妃殿下(当時)の御臨席を賜る。7月「悲しいけれど」発売。8月、大阪・梅田コマ劇場公演。10月、大阪フェスティバルホール、東京・中野サンプラザホールでリサイタル。この年「悲しいけれど」で日本歌謡大賞放送音楽賞ほかを受賞。
1988
(昭和63年)
1月、新宿コマ劇場公演。「挽歌の街から」発売。4月、長男貴寛誕生。第4回“じゃがいもの会”コンサートを普門館で開催、フランスからアダモもゲスト参加。5月、森進一作曲による「京都去りがたし」発売。10月、大阪・名古屋・東京でリサイタル開催。この秋、ヒット・チャート誌「オリジナル・コンフィデンス」20年間のランキング資料が発表され、ランキング登場回数などで森進一が断然首位との結果が公表される。
1989
(昭和64年/平成元年)
1月「冬の桑港」発売。新宿コマ劇場公演。2月、昭和天皇大喪の礼に歌手としてただ一人招かれて出席。4月、NHKホールで第5回“じゃがいもの会”コンサート。5〜6月にかけて全国縦断の民音コンサート。6月、次男、智寛誕生。森進一作曲による「指輪」で古賀政男記念音楽大賞優秀賞受賞。7月「指輪」、8月「うさぎ/雨」発売。10〜11月にかけて、名古屋・東京・大阪でリサイタル。11月、劇団四季ミュージカル「ユタと不思議な仲間たち」のカバー・ヴァージョン「夢をつづけて」発売。
1990
(平成2年)
1月、新宿コマ劇場で歌手生活25周年記念の特別公演。4月、「移り香」発売。5月、NHKホールで第6回“じゃがいもの会”コンサート、三笠宮寛仁殿下、同妃殿下の御臨席を賜る。6月、メガロポリス歌謡祭特別賞受賞。7月、これまでの“じゃがいもの会”チャリティー活動が、外務大臣表彰を受ける。8月、歌手生活25周年記念曲「風のエレジー」発売。大阪・梅田コマ劇場公演。9月、初のエッセイ集「渚にて」(主婦と生活刊)出版。女流作家の詩によるアルバム「花物語」発売。10月、千葉・紫カントリークラブで“森進一プロアマチャリティーゴルフ”開催。収益は地元の吉野市の福祉施設および“じゃがいもの会”へ。10〜11月にかけて、歌手生活25周年記念の全国縦断リサイタル。11月、今上天皇「即位の礼」に伴う饗宴の儀に、歌手としてただ一人招かれて参席。12月、アルバム「花物語」がレコード大賞企画賞を受賞。紅白歌合戦では通算5度目の大トリ(トリは通算9度目)を務め、21世紀に残したい歌として「おふくろさん」を熱唱、絶賛される。
1991
(平成3年)
1月「酒無情」発売。新宿コマ劇場で恒例の新春公演、10万人以上の観客動員を記録。2月、「ハワイ日本文化センター」建設協力のためのチャリティー・コンサートを、ハワイNBCアリーナで行い、大成功。4月、NHKホールで韓国出身の国際派歌手パティ・キムとのスーパージョイントコンサートを行う。5月、NHKホールで第7回“じゃがいもの会”コンサート。社団法人・日本歌手協会の理事に就任。6月、「泣かせ雨」発売。8月、大阪・梅田コマ劇場公演。10月、大阪と東京でリサイタル。千葉・紫カントリークラブで第2回「森・港カッププロアマチャリティーゴルフ」開催。純益は地元・野田市、“じゃがいもの会”に贈られるとともに、雲仙・普賢岳噴火災害生活救済金として長崎県にも託された。11月、「泣かせ雨」カラオケコンテスト全国決勝大会が東京・芝のメルパルクホールにて行われる。SEIKOの高級腕時計のCMソング「愛しい人よ」発売。11〜12月にかけて、名古屋・御園座で1週間のロングコンサート(熱唱「それは恋」―近松心中物語より)を行う。12月、24年連続出場の紅白歌合戦で「泣かせ雨」を熱唱。この冬(12月〜翌1月)、ケンタッキーフライドチキンのテレビコマーシャルにも出演し、大好評。
1992
(平成4年)
1〜2月、新宿コマ劇場出演10周年を記念して2か月の長期公演を行い、観客動員20万人を記録。お芝居の「弁天小僧」では初の女形にも挑戦し、大きな話題となる。4月、在日外国人への援助・福祉活動を目的とした社会福祉法人「さぽうと21」の理事に就任。5月、NHKホールで第8回“じゃがいもの会”コンサート。秋篠宮殿下、同妃殿下の御臨席を賜る。同月、「悲しい歌が流行ります」発売。6月、大阪と東京でリサイタル。8月、移転のため閉館となる大阪・梅田コマ劇場の最後を飾る1か月の特別公演を行う。10月、詩人・野口雨情誕生110年を記念し、親族の方々など関係者の要望により、雨情の埋もれていた名作10編に新たに曲を付け(作曲・浜圭介氏)森進一の歌唱により記念アルバム「劇場の前〜野口雨情作品集」として発表。同時にシングル「劇場の前」も発売。東京・浅草寺で行われた発売記念イベントで観衆1万人の大声援を受ける。同月、東京と大阪で“野口雨情の世界を唄う”記念リサイタルを行い、大好評。12月、25年連続出場のNHK紅白歌合戦で「劇場の前」を熱唱。
1993
(平成5年)
1月、11回目の新宿コマ劇場座長公演(お芝居は「雪之丞変化」)を行い、10万人の観客動員を記録。2月、東京・中野サンプラザでファンへの感謝を込めた「オールリクエスト・コンサート」を行い大好評。3月、アルバム「劇場の前〜野口雨情作品集」で文化庁主催の平成4年度・芸術作品賞を受賞。5月、NHKホールで第9回“じゃがいもの会”コンサート。大阪でリサイタル。同月、「わるいひと」/「雨のくちびる」発売。この月、飢えに苦しむソマリア(東アフリカ)の人々を救うために「ソマリアにコメをおくる会」(後援/外務省など5省および日本赤十字社)の呼び掛け人となり、会が発足し、救援活動を開始。6月、“その年の最も素敵なお父さん”に贈られるベスト・ファーザー“イエローリボン賞”を受賞。同月、東京でリサイタル。7月、アルバム「わるいひと/森進一作曲全集」発売。同月、作曲家・猪俣公章氏(この年6月に死去)をしのぶ猪俣公章追悼アルバム「さらば友よ/森進一」発売。8月、大阪・新歌舞伎座コンサート(1〜6日)、猪俣氏の遺作シングル「夢をかざって」、猪俣公章追悼記念アルバム「夢をかざって/千曲川/おんなの海峡」発売。同月、鹿児島集中豪雨被害の救済協力を呼び掛け、東京・銀座で街頭募金活動に協力参加する。10月、鹿児島市内の母校を訪問し、豪雨で被害を受けた在校生を激励するとともに、同校に「森進一文庫」創設基金を寄贈。10〜11月にかけて、民音コンサート全国ツアー(17都市)。11月、「夢をかざって」が第26回・日本作詩大賞の優秀作品賞を受賞。12月、関東鹿児島県人会主催の“風水害義捐金チャリティパーティー”に協力出演。同月、26年連続出場のNHK紅白歌合戦で、猪俣公章氏をしのび「さらば友よ」を熱唱。
1994
(平成6年)
1月、12回目の新宿コマ劇場座長公演(お芝居は「晴姿若様剣法」)を行い、大好評。同月、新宿コマお正月公演記念シングル「ふたり坂」/「えにし」発売。三男寛樹誕生。2月に東京、3月に大阪で「オールリクエスト・コンサート」開催。4月、「うそつき」発売。5月、NHKホールで第10回“じゃがいもの会”コンサート。秋篠宮殿下、同妃殿下の御臨席を賜る。同月、大阪でリサイタル。松竹映画「土俵の鬼たち」の主題歌「土俵の鬼」発売。6月、東京リサイタル。アルバム「うそつき」発売。8月、「海外援助のためのチャリティーコンサート開催に中心的役割を果たしてきた功績等」により、94年度外務大臣表彰(個人)を受ける。同月、大阪・新歌舞伎座にて3日間のコンサートを行い大盛況。10月より、日産ローレル(乗用車)のコマーシャル(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌)に登場し、大好評。11月、「税を知る週間」にちなんで渋谷税務署の“一日署長”に。12月、27年連続・27回目の出場のNHK紅白歌合戦で「おふくろさん」を熱唱。
1995
(平成7年)
1月、歌手生活30周年の幕開けとして、記念盤「ひとすじの白い道」とニュー・シングル「泣きむし 東京」2枚同時発売。同月、13回目の新宿コマ劇場座長公演(お芝居は「絢爛義経絵巻〜この愛よ永遠に」)を行う。開幕2日間の公演後、乗用車に追突を受けて「ケイツイねんざ」と診断され、痛みに耐えながらの1か月公演を務める。同月、レーザーカラオケ「森進一オリジナル・ベストカラオケ集」発売。同月17日に発生した兵庫県南部地震による大被害(阪神・淡路大震災)に「じゃがいもの会」リーダーとしていち早く対応、救援活動を進める。2月、アルバム「昭和の名曲選(1)〜(5)発売。3月、お芝居「近松心中物語」(秋元松代・脚本/蜷川幸雄・演出)9年ぶりの上演に伴い、主題歌・劇中歌を収めたシングル「それは恋〜近松心中物語より」発売。同月、アルバム「古賀メロディーを唄う/森進一」発売。4月、番組の題字とナレーション・音楽を担当するテレビ番組「自然バンザイ!!」(テレビ愛知ほか)スタート。5月、NHKホールにて“阪神・淡路大震災のための第11回”じゃがいもの会“コンサート。6月、「女恋港」発売。同月、デビュー以来の全シングルA・B面を収録したCDアルバム「森進一シングルファイル」(全13枚・182曲)発売。また、東京と大阪でリサイタルを行い大好評。7月、アルバム「女恋港」(2枚目の森進一作曲全集)発売。9月21日、ファンの皆様や各界からのゲストなど1万人のお客様ご招待し、拍手の嵐の中、歌手生活30周年記念コンサート”'95「歌、そして夢はてしなく……」森進一in武道館“盛大に行われる。全国からの募集・参加の「1000人コーラス隊」も大きな話題に。同日、歌手生活30周年記念曲「悲しみの器」発売。10月、大阪・劇場「飛天」にて1か月公演。11月、アルバム「森進一ベスト」発売。12月、ライブビデオ「'95「歌、そして夢はてしなく……」森進一in武道館」発売。同月、28年連続・28回目の出場のNHK紅白歌合戦で「悲しみの器」を熱唱。また、ナレーションおよび音楽を担当のテレビ番組「自然バンザイ!!」が”厚生省中央児童福祉審議会推薦・平成7年度推薦文化財“に推薦される。
1996
(平成8年)
1月、関西で民音コンサート・ツアー、大好評。2月、「薄雪草」発売。3月、関東縦断の民音コンサート・ツアー(年内約50都市・100回公演)スタート。同月、95年の“じゃがいもの会”コンサートの純益の一部でカンボジアに建設していた中学校・JAGAIMO-SCHOOL(じゃがいもスクール)竣工。5月、NHKホールにて第12回“じゃがいもの会”コンサート。寛仁親王殿下、同妃殿下の御臨席を賜る。同月、大阪にてリサイタル、6月には東京にてリサイタルを行い、ともに大好評を博す。8月、大阪・新歌舞伎座コンサート(13〜15日)。同月、シャ乱Qのメンバーの作詞・作曲による「夜の無言」発売、ロックシンガー“SHINICHI”として大きな話題を呼ぶ。9月〜10月にかけて秋の民音公演(関東)で、23会場46ステージに及ぶコンサートを行い大好評。11月、アルバム「森進一ベスト」発売。12月、29年連続・29回目の出場となったNHK紅白歌合戦で、シャ乱Qのメンバーをバックに「夜の無言」を熱唱。
1997
(平成9年)
2月、「北のふるさと」発売。5月、NHKホールにて第13回“じゃがいもの会”コンサート。7月、大阪と東京にてリサイタルを行い、白いシャツとGパンスタイルで熱唱、新鮮なステージが大好評を博す。8月、北海道えりも町に「襟裳岬」の歌碑が建てられ、除幕式に出席。記念の野外無料コンサートを行う。同月、京都・南座コンサート(17〜18日)。ゆかた姿での童謡のギター弾き語りで大喝采を浴びる。同じく8月、財団法人「根っこの家・若い根っこの会」の評議員に就任。9月、14回目の新宿コマ劇場座長公演(お芝居は、海軍士官に扮した初の現代劇「愛 果てしなく」)を行う。同月、「ライラ ライ」発売。10月、アルバム「森進一ベスト」発売。11月、ボランティア活動功労により横浜市長表彰を受ける。12月(財)長野オリンピック冬季競技大会組織委員会よりアンバサダー(親善大使)に移植される。同月、30年連続出場のNHK紅白歌合戦で「襟裳岬」を熱唱。
1998
(平成10年)
2月、長野オリンピック・チャリティーウォーク〈東京大会〉に参加、対人地雷廃絶を訴え、臨海副都心を歩く。3月、費用を寄贈して建設された"モリスクール(ソティア小学校)"の開校式への出席および地雷原視察のためカンボジアを訪問。同月、「女心」発売。5月、NHKホールにて、第14回"じゃがいもの会"コンサート。同月、大阪にてリサイタル。6月、東京にてリサイタル。9月、民音コンサート秋の全国ツアー(28都市)スタート(〜11月)。12月、31回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「冬の旅」を熱唱。(連続出場最多記録31年)。
1999
(平成11年)
1月、「女の愛」発売。2月、大阪・劇場飛天にて1ヶ月座長公演(お芝居は「愛果てしなく」)。5月、15回目の新宿コマ劇場座長公演(お芝居は「坊ちゃん」)。6月、東京と大阪にてリサイタル。7月、「昭和最後の秋のこと」発売。同月、NHKホールにて第15回“じゃがいもの会”コンサート。紀宮清子内親王殿下の御臨席を賜る。8月、「裏切り」と「語りかけ」のシングル2枚同時発売。10月 亡き母親・尚子さんの出身地、鹿児島下甑村(下甑島)に 「おふくろさん」の歌碑 建立される。11月「森進一 全曲集」をリリース。同月、天皇陛下即位10年国民祭典にご招待いただき出席、代表して“万歳三唱”の音頭をとる。12月、32年連続(最多連続記録)・32回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「おふくろさん」を熱唱。
2000
(平成12年)
2月、サントリーウィスキー(角瓶)のコマーシャルソングを唄い、オンエア開始。4月、天皇・皇后両陛下の主催による春の園遊会に招待され出席。5月、NHKホールにて第16回“じゃがいもの会”コンサート。同月、新曲「ウィスキー色の街で」(サントリー・ウィスキー・コマーシャルソング)発売。また、大阪にて歌手生活35周年記念リサイタルを行い大好評。6月、音楽文化向上への貢献と社会貢献活動に対し 文部大臣感謝状 が贈られる。同月、「森進一35周年記念アルバム」(4枚組CD)発売。東京・名古屋でも歌手生活35周年記念リサイタルを行い、大好評。7月、 アメリカ・ロサンゼルス での「2世ウィーク日本祭」のメインゲストとして招かれ、パレードに参加。ミュージックセンターでベネフィット(慈善)コンサートを行い、収益の全額を現地日系社会活性化のため日米文化会館に寄与。8月、福岡にて歌手生活35周年記念リサイタル。9月、新曲「終列車」、および全詞を作家・五木寛之氏が書き下ろしたアルバム「こころの雫〜平成和讃」発売。同月、郵政省「20世紀デザイン切手」シリーズ(第14集)で 「襟裳岬」切手 発売。10月、宮城県気仙沼市に 「港町ブルース」の歌碑 建立。同月、「歌手生活35周年記念リサイタル」のライブビデオ発売。11月、アルバム「ファンが選んだ森進一ベスト」発売。12月、33年連続(最多連続記録)・33回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「終列車」を熱唱。
2001
(平成13年)
1月、大阪・梅田コマ劇場で1ヶ月の座長公演(お芝居は「坊ちゃん」)を行い大好評。3月、サントリー<熟茶>のコマーシャルソングを唄い話題を呼ぶ。同月、建設費用を寄贈してラオスにタオタン小学校完成。4月、「近松心中物語〜それは恋」上演1000回を記念し、東京・明治座の舞台で挿入歌「それは恋」を熱唱、喝采を浴びる。5月、NHKホールにて第17回“じゃがいもの会”コンサート。同月、「雨の空港」発売。 9月、東京と大阪にてリサイタル。12月、34年連続(最多連続記録)・34回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「それは恋」を熱唱。
2002
(平成14年)
1月、「セピアの雨」発売。同月、モスクワ・インターナショナル・シンフォニック・オーケストラの演奏に乗せて「おふくろさん」など10曲を唄った「森進一シンフォニックアルバム 悠久」発売。2月、東京国際フォーラムで「森進一シンフォニックコンサート2002with東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団」を行い大好評。5月、NHKホールにて第18回“じゃがいもの会”コンサート。9月、代表を務める「じゃがいもの会」の活動が平成14年度ボランティア功労者厚生労働大臣表彰を受ける。10月、大阪と東京にてリサイタル。同月、「運河」発売。12月、35年連続(最多連続記録)・35回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「運河」を熱唱。
2003
(平成15年)
1月、元日の第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝(東京・国立競技場)試合前のセレモニーで「君が代」を独唱。5月、NHKホールにて第19回“じゃがいもの会”コンサート。この年より同コンサートは、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)および難民教育基金(緒方貞子名誉会長)への支援を目的に開催。6月「哀の河」発売。7月、東京と大阪にてリサイタル。9月、森進一後後会公式ウエブサイト「絆」スタート。同月、この年7月の集中豪雨で壊滅的な打撃を受けた福岡県飯塚市の「嘉穂劇場」再建キャンペーンに協力。12月、「狼たちの遠吠え」発売。同月、古賀政男生誕100周年記念アルバム「影を慕いて」(昭和43年に発売され大ヒット)がリマスター(音質を向上させること)され発売。36年連続(最多連続記録)・36回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「狼たちの遠吠え」を熱唱。同曲を作詞・作曲の長洲剛さんとの共演も大きな話題に。
2004
(平成16年)
5月、NHKホールにて第20回“じゃがいもの会”コンサート。同時に森進一はじめ同会メンバーの歌唱による活動20周年記念のチャリティーCD「じゃがいもの唄」発売。6月、リサイタル“隠れた名曲に愛を込めて”を東京と大阪で開催、大好評。7月、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)から、世界の難民支援活動への協力に対し、代表を務める「じゃがいもの会」に感謝状。同月「NHKのど自慢・イン・ロンドン」にゲスト出演。8月、NHKラジオの歌謡ドラマ「狼たちの遠吠え」に主役として声の出演、大好評。10月、新潟県中越地震の発生に伴い、「じゃがいもの会」から被災地にいち早く救援物資を寄贈。11月、東京・大阪にて「ふれあいバースデーミニコンサート」を開催、大好評。同月、「さらば青春の影よ」発売。12月、37年連続(最多連続記録)・37回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「さらば青春の影よ」を熱唱。
2005
(平成17年)
1月、西日本新聞による戦後60年を考える特別企画“幸せの道標〜森進一とその時代”13回にわたり連載。3月、前年10月に発生の新潟県中越地震の被災地復興義援金として、個人として500万円を新潟県に寄贈。また別途「じゃがいもの会」として、ファンの皆さま方などから寄せられた義援金52万円余を新潟県に寄贈。同月、前年12月に発生したスマトラ沖地震の被災地復興支援のためのチャリティーイベント「ツナミ・エイド・ジャパン」(東京・サントリーホール)に出演し「うさぎ」を感動の熱唱。5月、NHKホールにて第21回“じゃがいもの会”コンサート。6月、歌手生活40周年記念シングル「はな」発売。東京・大阪・名古屋にて歌手生活40周年記念リサイタル“熱唱!時代が愛した森進一名曲選”開催、大好評。同月、歌手生活40周年記念写真集「晴れた日に」(日本文芸社刊)発売。9月、歌手生活40周年記念アルバム「森進一セルフカバーアルバム」(2枚組)発売。同月、広島にて歌手生活40周年記念リサイタル“熱唱!時代が愛した森進一名曲選”開催、大好評。11月、歌手生活40周年記念リサイタルの模様を収録したビデオとDVD発売。同月、アルバム「森進一ベスト」発売。12月、38年連続(最多連続記録)・38回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「おふくろさん」を熱唱。
2006
(平成18年)
2月、歌手生活40周年記念「森進一スペシャルCDボックス“感謝”」(10枚組CD)発売。 5月、新曲「たずねて小樽」発売。JR京都駅ビル大階段にて発売記念スペシャルイベントライブを行う。同月、NHKホールにて第22回“じゃがいもの会”コンサート。6月、大阪と東京で「森進一リサイタル〜歌の道はるかに」開催、大好評。同月、歌手生活40周年記念オリジナルアルバム「森進一/人生ひたすら…」発売。8月、札幌で「森進一リサイタル〜歌の道はるかに」開催、大好評。9月、特定非営利活動法人 国連UNHCR協会(UNHCR<国連難民高等弁務官事務所>の難民支援活動への日本における民間からの公式支援窓口)評議員に就任。10月、アルバム「森進一全曲集〜たずねて小樽」発売。11月、自身が30年来闘ってきたC型肝炎が、前年3月から継続しての定期治療により完治の診断を受ける。12月、39年連続(最多連続出場記録)・39回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「おふくろさん」を熱唱。
2007
(平成19年)
1〜2月ころ、作詞家・川内康範先生による“「おふくろさん」歌唱禁止”発言。3月、夕刊紙「日刊ゲンダイ」で、3ヵ月にわたるエッセー「森進一/人生ひたすら」連載開始。同月、福岡県飯塚市の嘉穂劇場でコンサート、全国からご来場のお客様の大声援につつまれて熱唱。5月、NHKホールで第23回(最終回)“じゃがいもの会”コンサート開催。同月、新曲シングル「人生ひたすら」発売。6月、東京と大阪で「森進一コンサート〜人生ひたすら」開催、大好評。7月、名古屋で「森進一コンサート〜人生ひたすら」開催、大好評。9月、アルバム「森進一ベスト〜人生ひたすら」発売。10月、金沢で「森進一コンサート〜人生ひたすら」開催、大好評。11月、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏を発起人代表とする「森進一さん還暦祝いの会」(東京・アメリカンクラブ)開かれる。同月、難民支援活勣への多大な貢献により、アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官から感謝状を受ける。12月、この年8月に逝去された作詞家・阿久悠先生をしのぶアルバム「森進一/阿久悠作品集」発売。同月、40年連続(最多連続出場記録)・40回目の出場となったNHK紅白歌合戦で、阿久悠先生をしのんで「北の螢」を熱唱。
2008
(平成20年)
3月、新曲「女の恋」発売。東京・新宿ステーションスクエアで新曲発表イベントを行う。4月、この年いっぱいで閉館となる新宿コマ劇場で「演歌の祭典/森進一コンサート(26日・27日)開催、大好評。6月、東京と大阪で「森進一コンサート〜熱唱!演歌・こころ歌」開催、大好評。10月、新曲「波止場」(ビクター主催“森進一シングル「歌詞大募集」”入選作)発売。東京・新橋のニッパーズギンザで新曲発表ライブを行う。同曲で史上初の通算100作目のオリコンTOP100入りの快挙を果たす。11月、この年4月に逝去された作詞家・川内康範先生のご遺族代表・飯沼春樹氏のご了解・同席のもと、「おふくろさん」歌唱再開報告会見行われる。同月、アルバム「森進一ベスト」発売。12月、41年連続(最多連続出場記録)・41回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「おふくろさん」を熱唱。
2009
(平成21年)
1月、アルバム「“歌とカラオケ”ベストテン!/森進一」発売。5月、ユーキャンから「森進一の世界」(CD/カセット全10巻160曲)発売。6月、新曲「ゆらぎ」発売。東京・渋谷のタワーレコード「ステージワン」で発売記念スペシャルイベント開催。テレビやステージ等では、ダンサーをバックにダンスを交えての熱唱も大きな話題になる。同月、東京と大阪で「森進一コンサート/おふくろさん〜わが想い、歌に託して…」開催、大好評。10月、甲府で「森進一コンサート/おふくろさん〜わが想い、歌に託して…」開催、大好評。11月、ジャンルを超えて選曲されたラブソング10曲を収録したカバーアルバム「Love Music」と、アルバム「森進一全曲集〜ゆらぎ」同時発売。12月、42年連続(最多連続出場記録)・42回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「花と蝶」を熱唱。
2010
(平成22年)
この春、前年11月に発売したカバーアルバム「Love Music」に収録の各曲が、歌唱力・表現力の豊かさで多方面から絶賛される。5月、台湾・台北市の台湾大学総合体育館ホール(29・30日)および台南市の市立文化センター(31日)にて「歌手生活45周年記念・日台親善/森進一コンサート」開催、大好評を博す。6月、歌手生活45周年記念シングル「眠らないラブソング」発売。同月、東京と大阪で歌手生活45周年記念“森進一コンサート〜はるかなる夢、限りなき道”開催。7月、高松と松山で歌手生活45周年記念“森進一コンサート〜はるかなる夢、限りなき道”開催。12月、43年連続(最多連続出場記録)・43回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「襟裳岬」を熱唱。
2011
(平成23年)
2月、新曲「八甲田」発売。5月、東日本大震災で被災した多賀城市、仙台市、気仙沼市を訪問。6月、東日本大震災復興支援「2011森進一コンサート~希望の明日へ!」を東京にて開催。7月、一般社団法人 日本音楽事業者協会主催 東日本大震災被災地復興支援プロジェクト「演歌キャラバン隊」鳴子温泉公演に出演。同月、東日本大震災復興支援「2011森進一コンサート~希望の明日へ!」を大阪にて、8月、名古屋にて開催。9月、アルバム「森 進一スペシャルベスト 〜希望の明日へ!〜」発売。10月、東日本大震災の被災者らを励まそうと、「港町ブルース」の歌碑がある宮城県気仙沼市を訪問。津波で被災した歌碑前で熱唱。11月、アルバム「森 進一スペシャルセレクション〜ご当地ソング・ベスト〜」発売。12月、44年連続(最多連続出場記録)・44回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「港町ブルース」を熱唱。
2012
(平成24年)
4月、新曲「女坂」発売。6月、「2012森進一コンサート~演歌の心を唄う」を東京、大阪にて開催。8月、「森進一コンサート2012」を大阪にて開催。10月、一般社団法人 日本音楽事業者協会主催 東日本大震災被災地復興支援プロジェクト「演歌キャラバン隊」日比谷公演に出演。11月、アルバム「森 進一ベスト <演歌の心を唄う>」発売。12月、45年連続(最多連続出場記録)・45回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「冬のリヴィエラ」を熱唱。
2013
(平成25年)
4月、新曲「情炎」発売。同月、台湾・台中市、台北市にて、5月、台南市にて台湾公演開催。6月、「2013森進一コンサート 情炎~情熱の歌、いのちの歌」東京にて開催。7月、同じく大阪にて開催。8月、新曲「富士山」発売。10月、「2013森進一コンサート 情炎~」を横浜、同月「2013森進一コンサート」を大阪にて開催。12月、46年連続(最多連続出場記録)・46回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「襟裳岬」を熱唱。
2014
(平成26年)
1月、アルバム「森 進一ベストアルバム〜富士山〜」発売。6月、「2014森進一コンサート~富士山/日本の歌、こころの歌」を東京、大阪にて開催。9月、新曲「えにし」発売。12月、平成26年度「文化庁長官表彰」を受ける。同月、47年連続(最多連続出場記録)・47回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「年上の女」を熱唱。
2015
(平成27年)
5月、台湾・台北市にて台湾コンサート開催。6月、新曲「あるがままに生きる」発売。同月、「歌手生活50周年記念 2015森進一コンサート~歌・愛・人生」を大阪にて開催。7月、同じく、東京にて開催。12月、48年連続(最多連続出場記録)・48回目の出場となったNHK紅白歌合戦で「おふくろさん」を熱唱。初出場以来48回連続出場となったNHK紅白歌合戦を、歌手生活50周年を区切りとして、この年の出演を最後に、卒業を発表。
2016
(平成28年)
3月、ベストアルバム「森 進一ベスト〜歌手生活50周年記念盤〜」発売。4月、「2016森進一コンサート~歌・愛・人生」を名古屋にて開催。6月、歌手生活50周年記念シングル、新曲「私の恋」発売。同月、「歌手生活50周年記念 2016森進一コンサート~ありがとう。50年」を東京にて開催。8月、「2016森進一コンサート」を大阪にて開催。
2017
(平成29年)
4月、台湾・花蓮市、5月、台湾・台北市で公演。6月、新曲「花のブルース」発売。同月、「2017森進一コンサート~人生の歌、明日への歌」を東京にて開催。11月、東京・「没後10年・作詞家50周年メモリアル「阿久悠 リスペクトコンサート」~君の唇に 色あせぬ言葉を~」に出演。同月、「2017森進一コンサート~人生の歌、明日への歌」を大阪にて開催。12月、最後となるTBS「第50回 日本有線大賞」に、第1回「日本有線大賞」受賞者(1968年「盛り場ブルース」)として出演。
2018
(平成30年)
6月、新曲「北港」発売。同月、「2018森進一コンサート」を東京にて開催。
2019
(平成31年/令和元年)
6月、新曲両A面シングル「恋せよ乙女/あなたに抱かれて」発売。同月、「2019森進一コンサート」を東京にて開催、7月、同じく大阪にて開催。
2020
(令和2年)
2月、「第14回大正琴音楽大賞」を「襟裳岬」で受賞。6月、歌手生活55周年記念シングル、新曲「昭和・平成・令和を生きる」発売。東京(6月)、大阪(7月)、名古屋(8月)に開催を予定していた「森進一 歌手生活55周年記念コンサート」は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、残念ながら公演中止となる。
2021
(令和3年)
2月、東日本大震災の津波により被災した「港町ブルース」の歌碑(宮城県気仙沼市)が、再建されることが決定。4月、令和3年春の叙勲で、旭日小綬章 受章が決定。

 
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