音楽プロデューサー/ミュージシャン 佐久間正英さんが1月16日に永眠されました。
名プロデューサーとして、偉大なミュージシャンとして、日本の音楽史に輝かしい功績を残された佐久間さん。
ビクターにも数々の素晴らしい作品を残してくださいました。
その揺るぎない音楽への情熱と志は私達にしっかりと受け継がれています。
心よりご冥福をお祈りいたします。
佐久間正英プロデュース作品集・奇跡のコンピレーションCD。
佐久間正英、選曲/監修。世代を超えて愛され続ける大ヒット曲/レア音源33曲を自らが選曲。
さらに渾身の遺作「Last Days」も特別収録された全34曲入り2枚組。
音楽プロデューサー/ミュージシャン 佐久間正英さんが1月16日に永眠されました。
名プロデューサーとして、偉大なミュージシャンとして、日本の音楽史に輝かしい功績を残された佐久間さん。
ビクターにも数々の素晴らしい作品を残してくださいました。
その揺るぎない音楽への情熱と志は私達にしっかりと受け継がれています。
心よりご冥福をお祈りいたします。
1952年:東京都文京区生まれ。
1970年:和光大学入学。
大学卒業後、「四人囃子」にベーシストとして参加する。
80年初頭には海外でも高い評価を得た革新的なテクノポップバンド「PLASTICS」のメンバーとして活躍、P-MODELのプロデュースをかわきりにBOØWY、GLAY、JUDY AND MARY、エレファントカシマシ、黒夢、くるりなど数々のロックバンドを手がけ、現在に至るまで日本のロック・ポップス界に多大な影響を与え続けた。2014年1月16日、残胃癌により永眠。
日本の音楽シーンでプロデユーサーの存在が脚光を浴びるようになったのはそんなに古いことではない。世間的な認知度という意味では90年の半ばからだろう。一人のプロデユーサーの書いた曲がヒットチャートを席巻するようになってからだ。”プロデユーサーの時代”という呼ばれ方をするようになったのがその頃だ。もちろん、それまでも存在した。でも、その多くがレコード会社の役職者や制作プロダクションの主催者である。つまり、金銭的な責任や作品全体を統括することが主たる役割だった。
佐久間正英は、彼らとは決定的に異なっている。彼はどこにも所属しないフリーランスであり自立していた。自らも世界に認められたミュージシャンで、しかもベース、ギター、キーボードとこなすマルチプレイヤーであり作曲家。更に自ら設計したスタジオも持ち、独自開発のギターブランドも持っている。つまり一人のアーテイストと楽曲が世に出て行くあらゆる過程を把握習得する究極の音楽人だった。
とは言うものの、自省と自責を込めて言えば、生前に彼の功績が正当に評価されていたとは言いがたいではないだろうか。それぞれのバンドやアーテイストのファンの間では知られていてもキャリア全体に光が当たる機会は多くなったように思う。彼自らが選んだこのベストアルバム「SAKUMA DROPS」は、そのための最高のアイテムと言える。1978年の「東京ワッショイ」から2013年の「Last Days」まで丸35年間。手がけたアーテイストは約140。その中からのDISC1は「当然、入れなければいけない売れた曲」で、DISC2は「売れた売れないに関わらず印象深かった忘れられない曲」だ。その顔ぶれの豪華さに改めて驚く人が多いに違いない。80年代以降の日本のロックの歴史そのものと言って過言でない。
これだけの実績を残しつつ語られることが多くなかったのは、ひとえに彼の姿勢もあった。裏方指向というのだろうか。生前最後となったインタビューで彼がきっぱりと口にしたのは「音楽はアーテイストのものであってプロデユーサーのものではない」だ。「自分の色が出たらお終い。佐久間がやったと思われたら負け」とも言った。それぞれの個性を伸ばす。どうすればそのバンドやアーテイストが求める音を作り出せるか。彼のプロデユースを受けたバンドには、楽器の選び方や演奏、あるいや録音の仕方から教わったという例も少なくない。ここに納められた曲にプロデユーサーの自意識やエゴを感じないことの答えがそれだった。荒削りで未完成な新しい才能を世の中に送り出すことに力を貸す喜びや楽しみ。それは”助産”と言った方が良いかもしれない。「SAKUMA DROPS」は、色も形も味も違うその一粒一粒が愛情の結晶でもあると思う。
彼が、癌に侵されていることを告白したのは2013年8月。それ以降は打って変わったように饒舌になった。あたかも遺言のように語られる言葉の中には「音楽家が音楽を作れなくなる」という危機感がにじみ出ていた。ここ数年、彼のような才能あるミュージシャンがプロデユーサーとしてめざましい活躍を見せている。その先駆であり指針となるのが佐久間正英であることは言うまでもない。レコード会社の枠を超えて実現したこのコンピレーションが、時代の波にさらされている音楽業界への刺激になることを、彼も遠い空の彼方から願っているのではないだろうか。