『私の体内にある時計は常に正統なものに反発して動く。』
ヴィヴィアン・ウエストウッド自身が語る'70年代初期パンク時代から'90年までのプロフィール
刺激的で歴史的なドキュメンタリー。
『私の体内にある時計は常に正統なものに反発して動く。』
ヴィヴィアン・ウエストウッド自身が語る'70年代初期パンク時代から'90年までのプロフィール
刺激的で歴史的なドキュメンタリー。
この作品のリリースを記念して、作品の上映&トークセッション イベントを行います。
抽選で100組200名様をご招待!
【日時】2007年3月24日 16:30 open/17:00 start(18:30終了予定)
【場所】東京モード学園 15階マルチホール(東京都新宿区西新宿1-6-2)
【トークゲスト】島津 由行(スタイリスト,ファッションディレクター)×荏開津 広(ライター)
【応募方法】イベントの応募は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。
1990年に放送されたイギリスのアート番組「THE SOUTH BANK SHOW」のヴィヴィアン・ウエストウッド特集。
少女時代の回想から始まり、70年代にファッションだけでなくアートや音楽など世界中に影響を与えたパンク・カルチャーの発信源、ヴィヴィアン・ウエストウッドのインタビューをメインにレアで貴重な映像が収録されている。
パンク・ムーブメントの仕掛け人とも言われパートナーであったマルコム・マクラーレンのインタビュー、彼らの服を着たSex Pistolsのライブや当時キングス・ロードにあった店の様子、ストリートの若者達のファッションや髪型、ヴィヴィアン自身がガーゼやゴムの服を着た記録フィルムなど、本人の回想と当時の証言者たちの言葉によって紹介されている。更にパンクムーブメント以降におけるヴィヴィアン・ウエストウッドのデザイナーとしての成長、世界的に認められ成功し変遷していった様子が描かれている。
次々に生み出される刺激的なファッションスタイル…パイレート、バッファロー、ウイッチズ、ミニ=クリニ、ハリス・ツイード、タイム・マシーン、ヴィヤージ・トゥ・ティキラ、ポートレイト…1990年のテーマ・ペイガンまでの服がファッションショー、ロケ、スタジオセット撮影などにより番組内でさまざまな形で盛り込まれている。
ヴィヴィアン・ウェストウッドはイギリスでもっとも斬新で、かつ論議の的となるファッションデザイナーのひとりである。
ファッション業界において風変わりではあるが才気溢れる傑出した人物と評価され、ときに衝撃的な彼女のデザインは、つねに他のデザイナーたちに模倣されている。
模倣されたデザインは手直しされ、既成のものと同化し、そしてストリートの男女に馴染んでいく。
このドキュメンタリーはウェストウッドの経歴に焦点を当て、彼女がどのように歴史、フェティシズム、ストリート文化からインスピレーションを引き出すのかに迫る。
『女王は私にとって常に重要な存在 私の歴史の一部ね セックス・ピストルズ絡みで女王の唇に安全ピンを刺した。』
『アイデアとは すなわちサプライズ 見たことないものを見せて 意表を突くの』
『ヴィヴィアンもファッション界の革命児だ。 ファッションの壁をぶち壊して、専門家が作り上げた衣服の概念を根底から変えてしまった。』
※ジャスパー・コンラン:ファッションデザイナー 家具、インテリアで有名なハビタ社の会長テレンス・コンランの息子。
『僕らが作る服は明らかにアンチ・ハイファッション』
※マルコム・マクラーレン:1970年代SEX PISTOLSのマネージャーにしてパンクカルチャーの仕掛け人。
その後、アダム・アントやボーイ・ジョージを最初に大きくブレイクさせ、レコードアーチストに転向。
『2人はチームだった。一大ムーブメントの中心を二人三脚で走り抜けた。』(パンク時代のヴィヴィアンとマルコムについて)
※ピーター・ヨーク:作家/ファッション・ジャーナリスト
「衣服は異端になるか?藤原ヒロシとのインタヴュー」
荏開津 広 ライナーノーツより抜粋
「どういう服を着るかによって人に与える影響は全然違う−」
「ヴィヴィアンたちが前にやっていたロカビリーのレザー・スーツなどは、僕がヴィヴィアンたちにロンドンで会った時はもう普通でした。それで、ロンドンの人に『パンクは衝撃だったけど、革の上下は衝撃だったのか?』と聞いたら、『その当時のロンドンで革の上下で歩くのは異端であることを意味していた』と言っていました。きっと、そういうことをこの2人は続けて来たんじゃないでしょうか。」
(以上藤原ヒロシ談)
藤原ヒロシはパンクの理解者として日本で最も正確なインタープリテーションをした1人である。1980年代当初ナイト・シーンのアンファンテリブルとして知られるようになった彼は、DJから音楽プロデュース、クロージングのプロデュースからブランディング、すべて日本(世界)の常識を壊しながら、原則を貫いて来た。
彼を学校で習ったカテゴリーに入れようとするとどうしても無理が出る。ヴィヴィアン・ウェストウッドからエリック・クラプトンまでに親交があるのは、彼に才能があり、その才能を有効に使ってきたからである。
TINNIE PUNKS SUBLIMINAL CALM、TOKYO NO.1 SOUL SETの川辺ヒロシとのユニット=HIROSHI II HIROSHI、宮崎泉(DUB MASTER X)とのユニット=LuvMasterXなどとして活動し、小泉今日子/藤井フミヤ/UAなどのプロデュースも行った。
94年『NOTHING MUCH BETTER TO DO』、95年『HIROSHI FUJIWARA in DUB CONFERENCE』、つづいて『ユーリ』(OST)を翌年に発表した。
現在も活動出来るありとあらゆる分野で活動し、日本のポップ・カルチャーのスタンダードをあげるのに貢献している。
テキスト/コンセプト/ディレクション/DJ。立教大学文学部在学中からDJを始め1990年代はルーティン、デ・ニーロズなどの音楽ユニットに参加、と、その後「大転落(イヴィリン・ウォーな感じで)」。現在はキーチャ・アラード、イアン・シモンズ、ニキ・クリストドールなど写真家とコラボレーションしながら、コンテンポラリー・アーティストのヨルグ・ガイスマール、パリ6区大学教授でニュー・メディア・リサーチャーのフィリップ・コドニエとの3人でのプロジェクトonestoneinsidetheshoeを進行中。KIOSKHELLOトーキョー・アジャンクト・キュレーター(?)としてもがんばったり、非常勤講師としても活動中。